思うまま話せて吐き出せたけど、なんだか後悔・・・

もし仮に、傾聴サービスの実施後、以下のようになったとしたら・・・? 

 

 (傾聴クライアント様): 

 「思うまま話せて吐き出せて、その時は、さっぱりしたような気がしました。 

 ・・・ だけど、後になって、なんだか後悔していると言いますか、後味が悪くなった感じがします。 

 聴いてもらえたのは嬉しかったのですが、なんだか言わなければよかったな・・・と。。。」 

 仮に後日に、このようにクライアント様に言われたとします。 

 さて、この要因は、どこにあると思うでしょうか? 

 今回のトピックはワーク形式にします。 

 お手元にメモ用紙とペンをご用意いただき、書いてみていただけますでしょうか? 

 その内容を、最下部のコメント欄に入力していただけますでしょうか? 

  
 それでは、シンキング・タイム(考えるお時間)です。 

 ・・・・・・・ 

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 ・・・・・・・ 

 これは、クライアント様に実感を持っていただけるように、心で支えるように聴けていなかった、ということが言えます。 

 クライアント様としては、本当に受け止めてもらえたという実感が薄かった、ということになります。 

 どこか刹那的になった、とも言えるかもしれません。 

 これでは、自己肯定感を得ていただけることには繋がりませんね。 

 問題を整理・客観視するどころか、問題を増やしてしまっていることになります。 

 (あぁ、自分は言わなければ良いことを、他人に聴いてもらって楽になろうとしていたんだ。。。 情けないんだ。。。) 

 この心境からは、自分自身で腑に落ちる方向性を、自らの中から見い出す、自分らしく・・・ということを、邪魔してしまうことにもなりかねません。 

 つまり、形だけ傾聴っぽくなっていたら良いということではありません。

 そんな簡単なことでは「受け止められた」という、心から良かったと思える実感が伴うはずもありません。

 傾聴者が質問で、傾聴者の都合の良いように誘導をかけても、それは「傾聴」ですらありません。

 相づち1つでも、傾聴中の反応する言葉に、どんな気持ちを乗せているか?が、本当に大事です。

 

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