楽しみに買ってみたところ、期待外れの本だったとき、「あぁ〜時間を無駄にした。途中からつまらなくなって読むのが苦痛になって、ななめ読みで読んだけど、それだけでも時間がもったいなかったように感じる」ということもあると思います。
ななめ読みで読みつつも「後半からは期待に応えてくれるかと思ったら、最後まで期待外れだった…」
「前評判やプロモーション、またはレビューが、どれだけ良かろうと、自分に合っているとは限らない」
それは読み手によって求めるものが、その時々で違うのと同様、書き手によっても表現したいアプローチは、当然違うからでしょうし、それらがマッチすれば面白いとなり、ミスマッチだと読み手には苦痛となるからではないでしょうか。
生きていくための効果的なエッセンスを、生きるために心底から強く求めている読み手にとっては、アカデミズムっぽいのは無駄が多く感じられますし、そんな暇はないとすら思えてくるでしょう。
ダイナミズも感じられず単調に思えたり、非実践的。役に立つところは、ほんの少しだけ。
机上の空論、言葉遊びにすら思えてきても不思議はありません。
しかも、その「ほんの少し」は、とうに知っている内容で、自分のほうがもっと深く分かっているなら、無駄に感じられてしまうものです。
期待して買って、いくばくかでも時間をかけて、これでは時間が、もったいないと感じるのも当然です。
これからの指針の1つになるかと思ったら、全然そんなものではなかったというのも多くありますし、書籍の体裁をとるためにページ数を増やす目的で書かれることもあります。その視点で書かれると薄まりますね。
それでも、目次やその構成だけは光っていた。だから買ったし読んでみた。
本屋なら中身を確認して買えたかも知れないが、このコロナ禍にわざわざリスクを増やすような愚は踏みたくない。
結果、光っていたその先の中身がつまらないものであっても、それでも売れてるんだ…と感じられてしまう。
それならば自らが創り出したほうが、もっとスピーディーに実践的に、ダイナミズムも交えて染みるように、刺さるように生み出せるのではないか、と私なら考えます。
そう思うと、ほとんど駄作も数行、または数単語の価値があるのではないかと思えてきますし、コスパはとんでもなく低い、単なる参考資料の片隅の一つでいいかと思えてきます。
その場合は気持ち的には「プロモーション先行の駄作よ。ありがとう。そして、さようなら」で良いのではないでしょうか。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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