応援したいと思わせられる人と、そうでない人の違いは、どこから?

ここでは「応援」に限らず実質的な支援や具体的な賛同・参加など、リアルアクションまでも含めた感覚で記しています。

 

○ 応援したいと思わせられる人と、そうでない人

 

この両者には、どのような違いがあるのか考えられるところを綴ってみたいと思います。

人は何かを成し遂げたいと思ったとき、それが自分ひとりの範疇を超えることであれば応援や支援などを願いたいと考え始めます。

それが願ったように行けば言うことはないのですが、必ずしもそう都合よくなるわけではなく空回りする事例もあちらこちらで見かけます。

おそらく、このほうが多いのではないでしょうか。

そうかと思えば、本人の予想以上にトントン拍子に、どんどんと上手く回りだす事例もあります。

私も後者のリアル経験を得ていったプロセスで、かなり、この実感をさせてもらってきています。

この両者の違いには、はたして何が在るのでしょうか?

能力やスキル・背景、思いの強さだけの違いでしょうか?

いえ、それらが同レベルでも大きな違いなど出やすいものです。

では、何だろうとなりますが、今回は出来る限り、端的に絞り込んで書いてみます。

せっかくですので、あなたも一緒に考えてみてください…。

 

○ 答えは一つではないと思います。

 

きっと、あなたが考えられた答えも素晴らしいものだと思います。

私は、まず「根本の違い」という言葉が真っ先に浮かびました。

根本の違いとは、取り組みを始める前段階の根っこです。

その根っこに何があるか、であり、なぜ始めるかのWhyです。

ここで言うWhyについては、既にこちらの過去記事で記していますので、よろしければご覧いただきましたら幸いです。

「Why(なぜ?)」って?

次に、その根っこをどのように社会に伝えようと考えているかです。

こちらの過去記事『「矢が届かないのは」?』にも書きましたように、まずマインドが先です。

 

○ 仕組み化のためにも

 

次に取り組みを個人的なレベルを超えたものにしていくのでしたら、チームやコミュニティなどをベースにした仕組み化にしていくことが必要になります。

これは私の専門の一つであるビジネスモデルなどに代表されますが、社会起業(ソーシャルビジネス)こそビジネスモデルが必要です。

日本ではボランティア活動などの無償の奉仕が推奨されやすいですが、世界ではそれはスタンダードではないと言われています。

目的を遂行していくためには、やはり経済は欠かせなくて、ここが弱いばかりに求める姿と現状のギャップが開いている実情が多く見られます。

だからといって、物事は金銭によるマネーモチベーションだけで動くのではなく、前述した「根本」である「Why」を、どのように認識しているかで、大きな違いとなります。

 

○ Whyを徹底的に携えて

 

この「Why」の認識次第、それだけかと言えば、決してそうではありません。

Whyを徹底的に携えていきながら、その表し方・伝え方によっても大きく違いが出ます。

Whyの表し方・伝え方も具体的な方法がありますが、それだけではなく仕組み化自体もいわば、一つの表現です。

そのクリエィティブの精度や質が強く問われます。

精度とは、どれだけ現実的であるか、柔軟性・成長性があるかなど…どこまで安定的・継続的に価値を提供し続けられるものかが、自ずと問われます。

そのようなものにしていくための具体的なスキームも、私から体系的にお伝えすることが可能です。

それらの前提として当然ながら独り善がりレベルではなく、社会問題や社会情勢・世間の風潮を細かくリサーチの上、反映されたものである必要があります。

サークル活動の自己満足で納得できる人は、あまり、ここまで考えないかのように見受けられる時があります。

例えば「リサーチ? お金がかかるから無理」と思われるかも知れませんが、資金や時間をかけずとも明確なリサーチが出来る方法だってあるのです。

そのような知識を多方面に求めていくことも必要ですが、リサーチ方法のリサーチとも言えます。

この方法はネットに落ちているようなものでもないですが、それを知っている人なら私を始め多くおられます。

 

かつ、リサーチなどは、あくまで準備運動に過ぎません。

さらにさらに自助努力を要する具体的ステップが徹底的に問われて当然なのは、それこそサークル感覚で出来ることではないでしょう。

ステップは、それこそワンツースリー的に体系的に私の元にもありますが、それは、やれば誰でも出来る再現性があるものです。

ですが、誰でもがそれで効果が出せるかと言えば、そうではありません。

ノウハウさえあれば、誰でも上手くいくのかと言えば、そうではないですよね。

やればいい、ということではないのです。決して。

なぜなら、ここでは端的に書いたまでですが、実に奥深く魂を削って行うほどの精査のプロセスを持って、そうして現実に反映することで効果が出せるからです。

砂のお城のようなものでは意味がありません。安定的・継続的に飛行し続けられるかどうかです。

それは、ここに書いてきたことへの具体的で強い認識がなければ、到底できることではなく、中途半端なままだったり、下手に無理すれば空中分解するのがオチです。

下手に無理するのではなく、安定的・継続的に飛び立てていけるスキームを徹底的に進め続けることで、視える世界は違ってきます。

それは、地べたをいつまでも這いずり回っている芋虫か、大空を悠然と羽ばたくワシほどの違いになってくるかもしれません。

かつて私は芋虫だったと思いますが、ワシの視点をイメージして近づこうと進み始めたときから、少しずつ世界が違ってきたのだと思い出せます。

体系的なスキームの徹底活用で甘い見通しにも気が付けたり、徹底的にブラッシュアップしていけることにもなります。

実際には、そこまで出来る人が少ないのが通常ですから、だからこそ価値があり、そこまで極めて行くほどに別世界の次元があります。

ましてや、それを「あの人だから出来た」等々、どこかで、ひがみや妬みめいた発想を少しでもしていたら、永久にたどり着くことはないでしょう。

そのような感覚では誰も惹き寄せられないですし、出来ない言い訳より、出来る言い訳のほうが何万倍も重要なのは言うまでもないですね。

 

○ とことんするかしないかだけの違い

 

なぜなら、徹底的に削ぎ落として一言で言ってしまうならば、とことんするかしないか、だけの違いだけだからです。

とことん出来るか出来ないか、の違いとも言えますね。

とことんする、というのは、そのための学びへの姿勢の持ち方から始まり、いくつものステップがあります。

自分を甘やかさずに、自分と戦いながら脳みそに汗をかき続けるプロセスです。

まず学ぶ姿勢というのは、素直さや謙虚さがとても重要ですが、それだけではありません。

ここで「守破離」(しゅはり)という言葉を聞いたことがある方も中にはおられるかもしれません。

では、その「守破離(しゅはり)」が、明確にどのようなものか、どこまで認識されているでしょうか?

最初に千利休が述べたとされている、新しく物事を学んでいく際の最初のワンツースリー、その姿勢についての原則ですね。

その後、歌舞伎や能などの伝統芸能の世界でも重視されることとなり、今は様々な場面でも用いられるようになっている、それだけ基本以前の大原則となっています。

「守破離(しゅはり)」への私の認識は以下の過去記事に記しましたが、ご関心がありましたらご高覧いただきましたら幸甚です。

「守・破・離」というプロセスの重要性

 

○ 人生は常に選択の連続

 

拙い駆け足の記事だったかも知れませんが、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ザワザワしながら「ふーん」と思考停止だったでしょうか?

それとも言い訳の達人が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)したでしょうか?

資格のない自己弁護士が懸命にドリームキラー声援してくれましたか?

それとも万難を排して主体的・自発的に「本質を感じ取りたい」・「その先を知りたい」だったでしょうか?

何を、どのように捉えるのも選ぶのも、いつだって誰だって自分自身です。

部分だけを切り取って歪めて解釈するのも、全体を深く見つめて本質を解釈していこうとするのも、自分にとって選べるのはご自身だけです。

ステレオタイプのノイズにまみれるのも、そこから離れて本質を求めるのも人生は常に選択の連続です。

自分に不誠実でワガママなエゴに流されるのも、エゴを超えた誠実な世界観に生きるのも自分次第です。

後者の段階になるほどに、今まで視えていたものが、きっと違って視えてくるでしょう。

世界は優しいようでザンコクで、ザンコクなようで慈愛に満ちています。

きっと、多くの物事は表裏一体なのでしょう。同じコインの表と裏です。

同じものを視ていても、どう感じとるか、その捉え方で視え方や現実は違ってきます。

いわば人生の時間は、誰だって「命」です。

命を、どのように使うかで魂の在り方は頭で考える以上に変化して、現実を創り出します。

新年に向けて、あなたにとって、ほんとうの意味で実りある一年となりますように…。

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