「矢が届かないのは」?

先に整えるのは何でしょう?

 

  • どうして言葉が届かないのだろう…?
  • たくさん勉強も努力もした。
  • とにかく、たくさん頑張った。
  • なのに、なのに、集客も営業もカラ回り

もし、このように感じていたとしましたら、的(まと)の見方によるのかもしれません…。

いきなりですが、引用から始まります。

「あなた方の矢が届かないのは」と師は注意された。

「精神的に、十分に遠くへ届いていないからです」

「あなた方は、的が無限に遠くにあるように振舞わなくてはなりません」

ー 書籍『弓と禅』より

 

『弓と禅』はドイツ人の哲学者、オイゲン・ヘリゲル氏によって記された書籍で、日本に滞在して弓道の達人に弟子入りしていた時のことを、元にして書かれたそうです。

この書籍は、スティーブ・ジョブズ氏も愛読していたとか。

私は起業当初から、何かを達成するには手練手管なんかよりも「見合っている状態になっていないと届かない」とは感じてきましたので、今回、そのことを思い出して上記の引用部分がピクッと目に止まりました^^

届けたいなら、先にマインドセットを知ることと、たまに私は言っていたことがあります。

届いてから(得てから)マインドが整うのではなくて、先にマインドを整えたからこそ届く(得られる)という原理です。

これは思い込みとかそのようなことではなくて、例えば、大人が大人の事情の相談を子どもにしないように、大人の事情の相談をして欲しいなら、大人になりましょうみたいなことです。

もちろん、マインドを整えること自体で、そりゃ収益は発生しませんが、マインドを整えるから望む形で入ってくるのであり、いつまでも目の前ばかり観ているとラットレースなわけです(泣)

「的」は、即物的だったり、なんとなく考えているだけでは、それはスィートな願望であり、スイートなのはご都合主義ですから…きっと、まぐれを除いて永遠に届かないだろうと予測します。

 

まぐれも実力のうち、運も実力のうち…。

確かにそうかもしれませんが、それは意識的に再現できますか?

もし、まぐれや運だよりだとしたら、それを「仕事」と言えるでしょうか?

意識的に再現できてこそ「仕事」と言えますね。

 

「的」を、どう考えるか

 

例えば、経営(活動)理念・ミッション・ビジョンの明確化のスキームを持って、言語化していくということも考えられますね^^

活動理念とは「=自分」である、自分の根幹に強く結びついた「Why(なぜ)」がなくては、どこか借り物であり、机の上でのお話だと私は思います。

そういえば以前に、『Why(なぜ?)って』というタイトルで拙ブログ記事を書きました^^

たとえ、スグには明確化にならなかったとしても意識して考え続けることで、軌道修正されることは多くあると思えます。

「Why(なぜ?)」って?

 

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