それは、あなたの周りだけかも

(以下、”それ”というのは様々なケースが考えられますので、置き換えて想像していただけましたら幸いです)。

“それ”が多いからと「そういうものか」(例えば、そういう業界か)と決めつけると、そういうものばかりが目に付いたりしてしまうということはないでしょうか?

オンラインでしたら、一度見た閲覧履歴に伴いレコメンドで、類似の広告が多く表示されるようにもなります。

(レコメンドとは、例えば、不動産の広告やWEBサイトを見たら、他のサイトを見ていても不動産の広告が多く表示されるようになるという機能ですね)。

だからといって、世間での広告とは不動産業界のものばかりが多いわけではないですね。

またはオンラインでなくても、そういうものかと思い込んでいたら、それ以外の価値のあるものに気が付きにくくなって見落としやすくなってしまうかもしれません。

例えば、冷たい人ばかりに出逢い続けたからといって、世の中すべての人が冷たい人ばかりと捉えてしまっていたとしたら、それは何かの認知が歪んでしまっているということになってしまいますよね。

大事なのは、今、目に見えるもの、耳に聞こえるものが全てではない視点を持ち続けることだと思います。

“それ”は、あなたの周りで多いだけで、もし、それが全てかのように思い込むとしたら、いわば視野狭窄で短絡的かもしれません。

多いけれど全てではなくて、そういう側面もあるというまでのことかもしれません。

狭い道ばかり歩いていたからといって、すべての道は狭いと思い込む人はいないと思いますが、もし、他のことで気が付かないうちに、そんな思い込みをしていたとしたら…何とも窮屈に感じられてしまいます。

(つい忘れてしまいがちになりそうですが)、まだ見えていない、気が付けていないものがあるのではないか?

人は自分の知っていることしか知らないのだから、今、知っていることが全てかのように思い込むのは、もしかしたら浅はかで傲慢かもしれません。

人は必ず、自分のフィルターを通して物事を感じて解釈しているのだから、その認知がズレているかもしれない。

小手先のテクニックばかり使う人が多い、そういうものだと思っていた。

ところが、まったく違って本質的な視点から考えて活動し続けている人だっている。

それこそ、本当に求めるものを求め続ける心を根強く持ち、探し続ければ、求めていた価値が提供されているところもあるかもしれません。

どうしても、どうしても見つけられなければ、そう見えている自らだからこそ、その価値を創り出せる視点を得られたとも言えます。

もし、手練手管の手法ばかりが出回っていて、それに違和感や嫌悪感を感じているとします。

でしたら、本質的なものを求める視野が育っていくでしょうし、もし誰もしていなければ、自らが本質的な取り組み方のサポートを提供するとも考えられないでしょうか。

そのために自らの力不足を感じるのでしたら、それはそれで伸び代とも言えて、一朝一夕には行かないとしても身に付けてしまえばいいだけです。

大切なのは、そうして新しい価値を創り出すことで、求める人の役に立ちたいと本心から思えて、それを楽しめる自分かどうかです。

合わないことを無理にする必要はありませんが、目先の自分に合うことばかりに囚われていても成長は限られてしまうかと思います。

能天気に出来もしないことを出来るとハッタリで生きるより、出来ない理由を踏まえるのも大事ですが、それ以上に大事なのが、出来る理由を追い求め続ける姿勢です。

大きな視点で考えられるかどうかが問われます。

求められていることが自分に出来るポテンシャルがある、本当は一番したいことではないけれど、自分なら出来る(出来るようになれる)、だから、まずはそのことをしていく。

出来ることからでも始めていくうちに違う世界が見えてきますし、それが一番したいことへの礎にもなってきたりするかもしれません。

この記事の文中で私は「かも」を連発して書いていますが、人生なんて保証のあるものではないでしょう。

逆に保証のある人生なんて幅も奥行きもその保証内でしかなくて、いずれ飽きてしまってつまらなく感じてしまうかもしれません。

ダイブしてみること、飛び込んでみることで、何歳からでも気付きや発見、成長は得られます。

「問題がないのは墓場だけ」とも言われますが、醍醐味のある人生というものを考え続けていきたいものですね。

求められているものに応えているうちに、後々、自分の一番したいことへ不思議と繋がっていったりすることがあります。

それは、誠実な心が求めるからこそ繋がっていくという必然的なものとも言えます。

ただし、そこに嘘やごまかし、不誠実などがあれば繋がることはなく、迷走の人生となっていくと予想します。

慢性的なストレスも多くなりそうです。

求められていることに誠実な心を込めて粉骨砕身で応え続けていくからこそ、見えてくる先があるというものです。

その時の臨場感、ダイナミズムなどに私は「たまらないな…」と胸が踊ったりします。

短絡的に結論を出しているうちは短絡的な現実が続くだけで、どの道を選ぶのも最終的には、全て自分自身に他なりませんね。

表面的なキラキラでセレブぶるよりも、内外ともに本当のことを大事にしていきたいものですね。

求め続ければ、世界はヒントの宝庫、今もこれからもそう感じ続ける自分でいようと思っています。

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