リラックスへの変容 ~ 約130人の人前に立つにあたって

緊張しがちなタイプの私が、ほんわかとリラックスモードに変容するまでの、自分への備忘録として記します。

先日、以下のイベントに、ほんわか倶楽部を立ち上げた人間として登壇させていただいてきました。

 

よく観ていただきますと、上記ページ後半の方に私の名前が載っています^^

約130名ほどの方がご来場されました。

ほんわか倶楽部

 

私自身、このような大勢の方の前に立つのは、ずいぶんとご無沙汰のことです。

少なくとも、今年は初でした。今年、もうすぐ終わりますが^^

自分自身が登壇するに向けて・・・↓

 

むらた
ちゃんと、出来るのかなぁ
むらた
ガチガチにならないかなぁ
むらた
伝えられるかなぁ

 

スピーチ時間が短い分、それはそれで何を口にするかが重要になります。

原稿準備やイメージ・トレーニングは自宅でも重ねました。

サポート担当や団体の代表の方からのレクチャーに、ずいぶんと学ばされ助かりました。

元々、人見知りや緊張のしやすい性質の私は、当日直前まで悶々と色んなことを思いました。

 

どちらかと言うと、私は「私も、私が!」という目立ちたいほうではありません。

昔はまだしも今は、華やかなキラキラを得て、それで満足するタイプではありません。

決めた服装や立ち居振る舞いをして、キラキラ・・・も、決してキライではないです。

改めて味わってみると、たしかに、なかなか悪くありません。

こう書いたからといって、私がキラキラを嫌いなのか、と誤解されることもありますが、決して、そういうわけではありません^^;

そのような場所では、どなたもマナーや品性があり、お互い、そのように接しますし扱われます。

特に今回のイベントは、実直で真摯な実業を行なう・行いたい方々の集まりです。

 

マナーや配慮のある場だと、気持ちよく過ごせますよね。

若い時期は、起業家としていくらかは名前も売ったりして、そのような場にいると「フフン! ここまで来たでぇ」などと思ったものです。

紆余曲折あり、といいますか、いつからか、そういう類の感覚は出てこなくなりましたね。

そのような場にいるからといって、それだけで目を奪われたり、自分をスゴイなど思い込むような拡張自我に依存することはなくなっています。

ただ普通に楽しめるようになったのは、ここに至るまでに、いつからか自分の中で他者承認に頼らないで、自己承認欲求が満たされてきていることなのかな、とも感じたりします。

そんなことより、大阪から東京に遠出するだけで、どれだけ用意してきたとは言っても、我が家の猫のことが実に気にかかり続けます。

このほうが何億倍も大事です。

ピースとの出逢い

移動中、大阪から離れるほどに帰りたくすらなりました(笑)

後ろ髪を引っ張られるような思いで座っていても、自動的に車両は走り続けていきます。

そりゃ、そうだ、と言われそうですけど。。。

 

仕事上で必要があれば、前に立つことは重要

 

このように教わったのは30代になった頃でしたでしょうか。

その少し前かもしれません。

この頃から、必要があれば前に立つことは行なうことにしています。

初めてのときは、笑えるぐらい、ほんとにハードでした(笑)

 

緊張しすぎた私の黒歴史^^;

 

そんなこんなで数年も経つ頃には、300人以上の中小企業の先輩経営者の方々の前に、マイクを持って立つことも経験させていただいてきました。

その後、いくつかの大人数の前に立つ経験はしてきましたが、自身で思うところもあり、次第に遠のくようにしてきました。

では今回、どんな必要があったのかということですが、個人的な一番の願いは、「傾聴」の普及、そのキッカケが1つでも創れれば、というものでした。

それがほんわか倶楽部」のためにもなります。

 

そのための応援者と出逢えれば、でしたが、当日までビジネスモデル・デザイナー(R)の関係者と協議を重ねるうちに、社会起業家を志す方々への何かの参考になれば、という方向を優先することにチェンジしました。

 

私の場合、そのテーマに選んだのが「本来の傾聴」ということになります。

特に今は、人生をかける想いでメンタルケア・サービスの立ち上げに取り組んでいます。

その最初の第一弾が「ほんわか倶楽部」です。

とても有り難いことに、予想以上のスピードで反響をいただいているのも事実です。

その理由についても、下記で少し触れていきます。

 

「なぜ(Why)」が重要な根幹

 

「なぜ(Why)」、ほんわか倶楽部を立ち上げたのか?については、深く強くあります。

そのために、伝える必要性があるメッセージがあります。

「なぜ(Why)」があるから伝えたいという(自分軸)だけではなく、客観的な事実から観て形にしていくた必要がある(現実軸)という意味で「伝える必要性がある」です。

つまり、現実に求められているから、です。

 

「なぜ(Why)」というのは、なにも個人的な想い(自分軸)ばかりのことではありません。

社会的な必要性(リアル)を、私自身、ビジネスモデル・デザイナー(R)としての手法などを用いて、リサーチを重ねてきた背景(現実軸)からのものがあるわけです。

その後の検証を重ねてきているプロセスもあります。

これらのプロセスや裏付けがなければ、下手すると独り善がりな新規事業になってしまうことも、往々にしてあるわけです。

個人的に伝えたいからだけではなく、社会的に必要性が強くあるから、というものである等々、分析や見極めも肝要となります。

それが自分自身の人生と直結していると、とても強い根幹になってくるのではないでしょうか。

 

「なぜ(Why)」から連なる目的の実現のため、リサーチと検証はみっちりと重ねてきております。

その上で、予想以上の反響をいただいてきております。

ですが、ほんわか倶楽部の礎(いしずえ)として創るものは、私自身、まだまだ手が廻っていないものが数多く残っています。

つまり、まだまだスタートアップ段階だと実感しています。

一気にやっつけ仕事で出来ることではなく、一つ一つ組み上げていくものです。

今回も、その1つ(対外活動)と捉えて、多少、無理してでも動くことにしました。

 

会場、なぅ

 

かんさいじん
今どき、「なぅ」なんて言わへんで

そうですね、なんとなく、使ってみました^^

話を戻しまして、会場に入るまでは、緊張してドキドキしていました。

移動しながらでも・・・  お茶をしながらでも・・・ ドキビクしています^^;

あまり気にせずに会場に向かっていましたが、やはり、どことなくブランクは感じますね。

 

むらた
あ、自分、キョドってる(笑)

会場に入ってからも、しばらくは内心、上ずっていました。

歩くときも大股でゆっくり、呼吸も腹式呼吸を何度も、口調もゆっくり目にコントロール・・・などをして、気持ちを整えようと努めます。

大丈夫かな…と、すこし思う気持ちとともに漂い続けます。

 

むらた
うん、へぇ、大きい会場やな。設備もカッコ良いな!

はい、100名規模の会場ですから。

どう、ひいき目に見ようと、我が家よりは、ずっと大きいですねww

事前に写真で見ていた通り、キレイな大きい会場で設備も立派に整っていました。

そうして、予定通りリハーサルなどが進められていきました。

 

むらた
ふむふむ、このような流れで、このような立ち位置でなんだな

 

細かいことも含めて、様々なことを考えていただいている主催チームから伝えていただきました。

実に様々な方のお気持ちあるご尽力により、足掛け一年の準備期間をかけて成り立っているというイベントです。

当日までの準備の経過も、共有コミュニティでずっと拝見してきました。

素晴らしいほどに細やかに組み立てられ続け、ブラッシュアップの回数も、もはや数え切れないほどされていました。

とくに来場者の方が段々と入って来られてから、会場の建物だけでない、空気、雰囲気が明確に見えてきました。

 

私は、このような大勢の方が集まる場に来ると、何度か壁寄りに立って全体を見渡すようにしています。

壁ドン

 

イラストを入れておいて何ですが、壁ドンをする(誰に?w)ためではありません(笑)

壁ドンをするには、壁に向かって立ちますが、全体を見渡すためには壁を背中にして立ちます。

どちらかというと、壁ドンをされる側の立ち位置ということになりますね。

壁ドン、ここでは関係ないですけどw

 

全体が俯瞰(ふかん)できない状態ですと、目に見えないものへの不安を引き寄せてしまうと思うからです。

全体を観ながら、その場に自分をなじませると同時に、最終のイメージ・シミュレーション(仕上げ)を頭の中で繰り返します。

 

人が集まるだけで、そこには何かしらの空気、オーラ?のようなものが発生します。

それは、多く集まるほどに変化したり、倍化していっているのかもしれません。

最初は、その空気に「負けへんぞ」と押し返すような気合を入れてみます。

これは、少し、肩に力が入っている状態とも言えます。

 

遂に、オープニング

 

開催当日までの経緯や準備も、共有コミュニティでずっと拝見させていただいてきただけに、司会からの開始の挨拶を聴くと、感動すら感じてしまいます。

私は、自分の出番まで進行内容を聴き続けます。

さすが、業界でトップクラスの方々のトーク、惹き付け力は半端ではありません。

認識・視点・言葉などの内容のレベルもそうですが、声の出し方・テンポ・間、立ち居振る舞い・表情、全てが違うな、と感じられます。

明らかな場数や実力の違いを感じるとともに、その奥にある想いはどのようなものがあるのかなぁ、と、私が考えても分からないのですが、想いをはせたい気持ちになったりします。

プレゼンテーションをされている方々のビジネスモデルを聴いていても、実によく考えて創られていて、リアリティや洞察があり、その「なぜ(Why)」や社会性に想いをはせたくなります。

 

それと同時に、自分自身の「なぜ(Why)」を思い返します。

なぜ、私はここに来たのか?、何のために、ここにいるのか?、一番の根本となっている、「なぜ(Why)」の目的を、何度もイメージし続けました。

 

「なぜ(Why)」は、物ごとをするときの根幹

 

私がメンタルケア・サービスを立ち上げ始めている、「なぜ(Why)」は、それだけで小説が書けてしまいそうなぐらい、あれやこれやとあります。

今回は大勢の方が集まっているイベントにあって、登壇者として寄らせていただけましたが、その雰囲気に呑まれないように、心の整え方を私なりに考えました。

登壇者用の席に座っていますので、より緊張感が漂う席でもあります。

そこで、自分の出番までに、自分にとっての「なぜ(Why)」のリアルを感じさせる写真を、こっそり何度も観たり、痛切に思い出したりしていました。

 

スマートフォン

そのために行なう、そのために、伝えるものがある、心に伝える、そう思いながら参加者の方々を、それとなく観続けました。

そうすることで腹が座ってきたのか、いえ、腹を座らせられたように感じました。

 

自分だけの力では弱いもので、出来ることなど実に限られます。

どれだけ真剣に痛切な想いで、可能な限り考え抜いて進めていようとも、時には心ない打撃の言葉を受けることもあります。

実際、イベント前日から、図らずもそのような打撃が発生しました。

誤解のないように言うと、震源地はイベントと全く関係ないところ・人物からです。

良かれと思って言うほどにマイナスに捉えられ、歪めて揚げ足を取られ続けられる理不尽は、辛いなんてものではありません。

それが、こちらは、相手の甘えや認知の歪みと分析できていようと、どうこう出来る範囲を超えていれば無理ということも分かります。

ここで「よりによって、こんな時に・・・」等々、騙されたような気持ちになったり、理不尽を嘆いて囚われると進めなくなり、落とし穴に引き込まれてしまいかねません。

ある程度の限度を超えたら、引き際も大事かと思うところです。

 

他人の悪口を言うと「自分自身を傷つけてしまう」

 

他人の悪口を言うと「自分自身」を傷つけてしまう』のは、口にしなくても、心のなかだけで思っていただけでも同じだと思います。

ある程度を超えられた場合、チャンネルを合わせてはいけない所だと思われます。

 

もし、自分のためだけに事業を始めていたとしたら、私などは理不尽なことがある度に囚われてグラついて落ちてしまうかもしれません。

それよりも、自分のためだけではない何かが、予想できないぐらい突き動かしてくれるものがあります。

わざわざ、書いてしまうのもはばかりたい気持ちでもありますが、「なぜ(Why)」とは「人生の使命」とも呼べるものであればあるほど、強くなると思います。

 

例えば、「なぜ(Why)」が、10年後・20年後の娘の心のため、賛同メンバーさん各位の「なぜ(Why)」のため、クライアント様の○○さんのこと、etc・・・。

書き出せば、数多く書き出せます。

そのために伝えたいものがあるなら・・・。

例えば、「父親としてなら腹が座る」という人は多いでしょう。

自分の小さい枠など、超えやすくなってくるのではないでしょうか?

私も、自分を守ろう等々の、自己保身?のようなものは消え飛ばせられました。

ちゃんと出来るかな、などの心配すら、いつしか消えていた、そんな感じです。

目は会場や人々を観ていて、見ない、心を観ようとする感じ、でしょうか。

 

気がつけば、ずいぶんとリラックスしている自分がいました。

「傾聴」させていただく時もそうですが、うまく出来るかな?などと思っていると、緊張してしまいます。

出番が来て壇上に立っても、なんらドキドキすることもなく、全体の空気に気圧されることもなく、伸び伸びとした気持ちだったように思います。

よく言われることのようにも思いますが、「人は、自分のためだけには強く生きていけないし、人のためだけにも生きてはいけない」、その両方が大切なんだなぁ、と思ったりしました。

 

それと、それなりのまとまった時間のかかる移動中は、普段の環境からどんどんと変わっていく刺激もあり、様々なことが脳裏を巡るなぁ、と、私は感じたりします。

普段、なかなか動かない思考が働いて、気付きや発見などが得られやすかったりもして、そのようなメリットも、なかなか貴重で大事だな、と思います。

 

末筆となりましたが、イベント立ち上げから開催準備までの方々、私に対し、密接にサポートをしていただいた担当の方、暖かい心で応援していただいた方々、心より感謝を申し上げます。

無事、盛況のうちにイベントが完了し、ここに書いたこと以外でも、様々、具体的な気付きや学び、繋がりを得られました。

このような過分な機会を与えていただき感謝するとともに、私としましても、弛まず成長・前進し続ける所存です。

引き続き、今後とも、何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

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