執着から離れられたとき得られる

「夢は紙に書けば成功する」・「思考は現実化する」などの言葉は、とても有名ですが紙に書こうと、どれだけ思考しようと惹き付けられないのは、なぜでしょうか?

今までのしがらみから解放されたいという願いで、自らの願望や夢を見出すことは大事だと思います。

ところが簡単には叶わない…。

そこで、あなたの矢が的に届かないのは想いや行動が足りないからだと、どれだけ矢を放ち続けようとも、それでも届かず、どれだけ泣こうと喚こうと届かないものは届かないと痛感させられることはないでしょうか?

 

「矢が届かないのは」?

 

例えば、永遠に若くいたいと不死の命を熱望しようと…叶わないものは叶わないというものがありますが、現実に出来ている人もいるのに自分には叶わないのはなぜだろう…と。

人は、喉から手が出るほど、本当に欲しいものほど執着してしまいます。

知らず識らずエゴが欲望や煩悩が暴走して、それで願いが叶うものでしょうか?

たとえ叶ったように視えても似て非なるもの、または裏では相当の無理や虚偽、驕りや傲慢さが発生しているのではないでしょうか?

我欲で執着するほどに…してもいいワクワクと、そうでないワクワクの区別の意識がぼやけていくように思います。

そうして冷静さを見失い、判別する視点は盲信へとズレていき問題解決能力は下がっていくほどに、欲しいものは離れていく…。

そこで失望や絶望を味わって観ることが大事で、そうして良い意味で諦観が出来て執着から離れられると、ふっと近寄ってくるということがあります。

思考は現実化するのは、まず思考してから、その次のプロセスによります。

自分を何も変えたくない、そのままでいい、頑張らないほうが上手くいくなどの耳障りの良い言葉で努力を放棄するほど、叶うものも叶わないのではないでしょうか。

そもそも、もし思考するだけで現実になるのでしたら、誰しもが現実にしているのではと思えますが、実際はそうではないのは何故でしょうか?

思考して行動して、また思考してのサイクルを繰り返しながら必要となるパラダイムシフトや見合った努力がなされているからとは考えられないでしょうか。

現実がすべてにおいて勝るとは思いませし、現実は思考自体で変えていけるものですが、現実を変えるには現実逃避していたら叶うわけがないと思います。

なぜなら、逃避しているのですから、逃避した対象は変えられようもないわけです。

自分の本心とも、ちゃんと向き合わずに現実を変えて欲しいものを得られるように創り出せるものでしょうか?

現実を見据えながら現実に呑まれずに、ビジョンを描き行動し続けるからこそではないでしょうか。

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