「調和」と「迎合」は、私は違うと感じていて、以下は私の思うところです。
「調和」
自分の主体性を失わなずに、協”調”できて和となす有り様。
和となすには”調”整も必要となる時がありますが、それは主体性あってのものでしょう。
主体性を失わないとは、ふとした違和感も大事にするということでもあります。
「迎合」
自分を”抑”えて巻かれるように”合”わす。
時に都合が悪く視える、面倒くさいものは抑えつけてしまうということはないでしょうか。
そこに本当のことがあろうとも……です。
この言葉に「和」は含まれていませんね。
本当のこと無くして「和」はないとも取れるかな、と思いました。
「予定調和」
ちなみに「予定調和」は、ややもすれば、いえ、ややもしなくても「迎合」のニュアンスが強いかも知れません。
それぞれの人物や場、ケースによるので、結論ありきのように一概には言えません。

ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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