心理バイアスが全くない人はいない

 

ここで言う「バイアス」とは、先入観や偏見、固定観念などのことを言います。

「私は先入観はない」ということは誰もないと思いますし、それ自体が身勝手な思い込みではないでしょうか?

または「先入観は少ない」と思っていたとしても、それは「自分のものさし」で観た場合ではないでしょうか?

もしくは「身近な人にも言われたから」という、狭義の解釈ではないでしょうか?

一見、「そりゃ、そうでしょ?!」と、ふつうのコトに思えますが、自分にとっての普通が誰にとっても普通とは限らないですよね。

つまり、それは環境のまったく違う、バラバラで見知らぬ不特定多数にも言えるという根拠にはなりないということです。

もし、そう思ったとしたら、これらも思い込みに過ぎず、「事実と意見は違う」・「無知の知」を肝要に、私は想いを馳せます。

 

ライターとして、最初の恩師に教わったことで…

(戦後ジャーナリストの第一人者、超大御所の(故)大宅壮一氏の私塾が、その弟子たちにより発展して学校となったうちのルポライター専攻科でした)。

(当時、私は校内での関わりに限らず、校外での恩師の活動に許可を得て付いて回りました)。

  • 「完全な客観性などない」(それはギマン)
  • 「人である以上、必ずどこかに主観が入る」
  • 「自分に先入観がある前提で、取材をする」
  • 「取材をしながら、先入観がズレていたことを知って軌道修正していく」

…ということを、ここで私は思い出します。

 

慢心には注意しながら進めていくことで、少しずつ少しずつ視力が上がっていくとも感じます。

慢心は常にある、という前提で考える意識を大事に思います。

あるものにフタをするのではなく、あるものはあるとして、それを踏まえていったほうが注意深くなれます。

最初は小さな一歩、ほんの少しの違いでしかなかったとしても、時が経って積み重なるほどに大きな違いとなっていく……。

それは誰と比べるでもなく、今の自分と比べて、何年か後の自分自身のこととして楽しみなことでもあります^^

 

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