人に求め過ぎてはいけないのは

人に何かを求めたくなる気持ち

誰かに対する期待・願望など多かれ少なかれ、きっと、まるで自然に発生すると思います。

それは、人を思い通りにしたいなどのワガママで邪な欲からのものもあるでしょうが、そのようなものばかりではなくて純粋な想いから出る気持ちも多々あるでしょう。

自分の望みや願いでもあり、相手への思い遣りのように思えるものでもあり、これからの双方の未来を考えての期待でもあることでしょう。

決して、自分のためだけではなくお互いが伴に進むために真摯に考えて、その上で自分はこうするからと、相手にも求めたり期待したくなるというのもあると思います。

しかし…「なぜか、うまく行かない…」・「途中で頓挫する」・「消える」・「空中分解する」・「破綻する」など、遺憾な現実が様々に発生しているかもしれません。

それは「残念」の一言で済めばまだしも、哀しみが伴ったり、消えない痛みとなったり、諦めがつかなかったり…。

時には悲劇となるものまで…。

その刺さる度合いによっては自らのエネルギーを大きく奪い、時に出口の見えない、壊れた照明のトンネルにいるかのような感覚になるかもしれません。

自らのエネルギーを奪うだけではなく、相手に対しても取り返しがつかないと思うかもしれません。

場合によっては「あの時、あぁ応えてくれた気持ちが、本当に嬉しくて心が震えたのに、一体、どこまでが本当で、どこからが嘘だったのか…」と、何度も、そんなことをグルグル考えてしまう。

信じた相手を疑ってしまう感覚は気持ちの良いものではありませんが、あえて否定することはなく、そのまま味わってみてください。

なぜなら、「そんな醜い気持ちは…」と蓋をして覆ってしまうと、ますます奥に潜んでしまい沈殿するからです。

ただ、そのまま味わうとは言っても、それは負の感情なので行動にだけは現さないように踏みとどまってください。

もしかしたら内容によっては、あなたの首を絞めることにもなりかねず、疑心暗鬼は不快な感情なので膨らますよりも、昇華させてしまうように志向して欲しいと願います。

 

「なんで、こんなことになったんだ…」

「もっと分かり合えると思っていた」・「心を交わせると思っていた」と、気がついたら重くなる体感とともに何度も反芻して考え込んでいるかもしれません。

「言葉足らずだったのかもしれない」・「あの時、こうしていれば…」・「求め過ぎたのかもしれない」・「圧が強かったのかもしれない」・「誤解されたのかもしれない」等々…

「そんなつもりではなかった」とあれやこれやと自問自答をしたり、どうにかならないものかと模索する心情になって、もっと相互理解していければ、尊重していければという向き合いについて想いや考えを巡らしたり。

「人は見たいものしか見なくて、聞きたいものしか聞かない」ことに寂しさを覚えたり、腹立たしくもなるかもしれませんね。

でも、きっと、これを読むあなたも書いている私も、それぞれの程度の違いはあれど「見たいものを見たがり、聞きたいものを聞きたがる」のは同様なのではないでしょうか?

「快・不快」で言えば「快」のほうを求めたくなるのは自然な反応です。

あなたが期待する誰かにとっての「快」や「楽」が、自分にとっては「不快」・「苦」となってしまうこともあるのかもしれません。

そうなってしまうと、それまでうまくマッチして「快」や「楽」で進んでいたことなら尚のこと、胸の内は辛いものになり、「失敗は成功のもと」などと、すぐに次に活かそうという心境にはなれないかもしれません。

無理に「失敗は成功のもと」と分かったつもりになる必要はありません。

その他のどこかに転がっている名言や教訓の枠にも、強引に自分をはめ込もうとする必要もありません。

本質を感じとれずに消化不良のまま無理に分かったつもりになれば、どこかで必ず軋みを生じさせていきます。

それは、新たな苦しみを自分にも関わる他人にも及ぼしてしまうかもしれません。

本当のポジティブとはネガティブから目を背けることではなく、ネガティブを見詰めて突き抜けられる粘り強さがあっての姿勢です。

そもそもネガティブから目を背けても根っこに転がっているのでしたら、いつまでも追っかけて来ますよね。

それなら…

 

何が、あなたを苦しめていますか?

全て書き出してみてください。自分だけの秘密のノートに自由に、気ままに、制限もジャッジもなしに。

ジャッジしたいならジャッジしたい気持ちも、制限したり評価したいならその気持ちも…。全て全て…。

その上で、その行動自体が「失敗した分だけ成功に近づく」要素となっていきます。

消化して糧としなければ、それは「体験」であり「経験」ではありません。

体験談だけで語るのならば、それは下手したら簡単に視野狭窄になりかねず、あなたにしか通用しない独り善がりの落とし穴がすぐそこかもしれません。

「経験」とするのは良いも悪いも含めて消化できるようになって、清濁併せ呑んで俯瞰的で複合的な視点で捉えられるように、かつ統合できる感覚になった時です。

そこまで行って、「できるのは、あの人が望むものを与えることだけ」というGIVEのマインドが自然と出るようになるまで。

「期待という枠にはめるのではなくて、エールを贈ること」、この言葉を観て辛さを感じなくなり、嬉しさを感じられるようになるまで…。

貯金

人間関係の貯金を使いきらないように、関係性の貯金を増やしていきましょう。

関係性の貯金となるように増やしていくには、「受け止める」・「肯定する」「受容する」・「与える」行為からです。

そのためには、自らの心を整理し続けることが土台となります。

なお、「与え続けても」、いつまでも欲しがるばかりの人からは距離をとって良いと思います。時間は有限であり、時間は自分自身の生命です。

常にGIVE&TAKEのバランスばかりを考えようということではありません。
GIVEのほうにウェイトがあって良いと言えます。

ですが、与え続けることにも程度加減はあるということです。

誰もが心の利益を搾取されるために生まれてきたのではなく、自分自身を、どう生きるかということのために生まれてきているはずです。

そのためには、自分と自分との関係を深く良いものにしていきたいですね。

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