妄想と 不安と 恐怖と 灯火と

だまし絵の「ルビンの壺」というのがありますね。

壺に見えるか?

向かい合っている顔に見えるか?

(ルビンの壺)



だまし絵と呼ばれる多義図形を見ていると、自分も含めて人は、見たいものしか見ない。

自分が視えているものが事実だと思い込む錯視を、改めて感じます。

だまし絵は検索してみると、知らなかったものも沢山あるのだなと思いましたが、眺めて見れる絵ならまだしも…

これらが示唆している錯視の心理…

 

例えば、もし「不安…不安…不安…」と…

囚われ続ければ、全ての不安が事実かのように思えて、認知はズレて、思考は歪み、早とちりにも気が付かないかもしれない…

 

「もしかして、そうなのかな?」

「だって、これもあれも…」

 

もし、一人で恐怖や不安を膨らまし過ぎてしまうと、不安が"危険予知"や"バランスを取るための気付きサイン"の限度を超えて、恐怖への妄想になってしまったら、どうなるのだろう…?

妄想の影響が強くなり、そのまま振る舞って言動していれば、元々は違っていた現実でも、妄想を前提としているから捻じ曲がり、現実になっていくかもしれない…

例えば、嫌われていないのに、嫌われていると思い込んで膨らまし、妄想なのに「確信」してしまったら?

 

「あなたは私を嫌っているんでしょ!」

「だから、私はあなたを信じない。信じられない!」

「だって、×△⭐︎〆…!!!」

疑えば疑うほど、たくさんの確信が集まります。
 
「やっぱり、そうだった!」

「終わりの始まりか?!」

もしかして「妄想」が、今ここのリアルを創っていると仮定してみます。

それなら妄想でもいいので、「心から信じてる」と逆にしてみたら、どうなるでしょうか?

逆の側面から思い込んでみて…

 

「こんなに、私のことを承認してくれている」

「こんなに、大切にしてくれている」

「毎日、忙しいのに、それでも大切に…」

「さりげない、ささやかさの優しさ…」

「だって、×△⭐︎〆…!!!」

信じれば信じるほどに、たくさんの確信が集まります。

 

「いや!そんなわけないやろ!」

そんなわけないかもしれません。

 

全ては妄想だとしたら?

 

良いも悪いも。

それなら、一時でも信じ込んでみて本気で接してみたら、何が感じられてきて、周囲は、どうなっていくでしょうか?

あくまで、テスト・マーケティングです。

マーケティングですので、本気でしてみないと、マーケティングになりません。

しかも、テスト・マーケティングは、一回限りでも、マーケティングになりません。

 

もしかしたら、あなたが思うよりも、ずっと優しい世界が、そこにあるのかもしれません。

もしかしたら、あなたが思うよりも、ずっと寂しい世界が、そこにあるのかもしれません。

ないのかもしれません。

どっちやねん!ですね。

 

人は、ネガティヴな感情のほうが自然に湧いてきたりして、不安や恐怖のほうを強く思ってしまいます。

油断していると、負の引力からの妄想に引きずられてしまうことがあります。

放っておいても、そこにあるから「引力」です。

自らを守るための「引力」でもあります。

ただ、それが現実を歪めてしまうことがある、やっかいな引力です。

そこからフラットに戻したり、さらにプラスに転じさせるのは、けっして一朝一夕ではない場合もあり、意志の力によります。

 

「意志の力」は、自ら発するもので「引力」ではありません。

本当に、環境整備が必要な場合だってあります。

様々な環境整備があります。

その場にいて出来るかもしれない環境整備もあれば、そこから離れて新しく創る環境においての整備もあります。そのハイブリッドなど…etc

諦めて、悟ったつもりで感情に流されて、投げ出すほうが、一見、楽に思い込めたりします。

諦めるのは他者に対してのようで、自分に対してです。
 
 
「私は、もう囚われていない」(つもり)

 

囚われていないなら、囚われていないと宣言するでしょうか?

それは底に沈み、ずっと続く辛さを呼び込んでしまいます。

負の引力に対するには、意志の力だけでは足りない時も多くて、それよりもイメージの力です。

つまり、負の引力の反対の妄想です。

 

かならずしもポジティブでなくても、フラットな状態までの妄想でもOKです。

頭や内心で思うだけのアファメーションよりも、身体全体の体感覚と伴にしたインカテーションです。

そして、インカテーションよりも、あなたの根っこにある痛みを癒すことからです。

 

本当の意味で癒すためには、まず気付くことから始まります。

それは、とても怖い見たくもない旅路に思えるかもしれません。

もし、闇を突き抜けた先に、本当の灯火があるのだと言われたって、そこに行くまでが、一体、どれほどのものなのだろう…と思えてしまうかもしれません。

本当に、世界中の誰にも助けを、支えを、寄り添いすらも全く求められない状態だとしたら、自分で自分を助けるしかありません。

ですが、きっと、世界に一人ぐらいは、心から寄り添ってくれる人は、巡り巡って探せばいるはずです。

もし、本気になって探そうとするなら…。

 

一人では到底怖かったり、気持ち悪くて見たくもないものであっても、それすらも優しく暖かく包み込めるように…

あなたの奥から奏でられる音に伴奏する寄り添い…。

伴奏を背景にかなでるあなたの音に、なにか相乗効果を心で祈りながら…。

その先にある、あなたの根っこから、あなたを奮い起こしてくれる灯火は、そう遠くない、遠くないどころか、すぐ近くですらない。

あなたの闇と同時に、あなたの中にワンセットで在るはずです。

 

わたしは本当は、なにを選びたいのだろう?

本当の本当に欲しい状態や気持ちは、何なのだろう?

わたしは心の奥の奥で、どのような望みなのだろう?

もし、わたしを取り巻く世界を、わたしが創れるとしたら、さて、どんな妄想をしようか…

 

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