本日から、私自身の「良かったこと3つ」を再開して、当面の間、ほんわか倶楽部での所属グループ内やプライベートでのみシェアしていきます🍀
当面の間というのは、私自身、あまり人に見せる趣味ではないということと同時に、ときには社会に接続することの意味、その両方を感じているため、あくまで当面の間ということです。
元々は過去に数年間、そのようなことを共有し合う起業家・企業家グループや、同時にプライベートで続けていたことでもありますが、最近は「良かったこと3つ」とは違うパターンのプチ朝活をしていました。
それはそれで今でも個人的にパートナーとの習慣となっていてしていますが、お互いに5分もかけていません^^
(音声メッセージでしているということもあってですが、声の出にくい日のテキストでも私は10分もかけていませんし、平日のみで休日はしないように選んでいます。)
それとは別に「良かったこと3つ」を一時的に再開して、所属グループ内やパートナーにシェアしていきますが、これも同様に時間はかけません。
いずれにしても「自己肯定感を上げたり、見つめ直すこと。承認や感謝を身につけること」が目的となりますね^^
この拙記事は、この目的を持って生きていく、と、芯から決めた方のみに有効となるかもしれないページだと思います。
(ちなみに、自己肯定感ブームでたまに見受けられるようですが、見直しが必要なレベルの都合の悪い自分を正当化してまで認めてしまうことは、本来の「自己肯定」ではなく「自己欺瞞」に過ぎないのでしょうね…)
ここでは、「良かったこと3つ」を書く習慣化の捉え方や進め方に触れていきます。
そこからズレてしまったりすると、しんどく感じてしまうこともありますので、必要な方には参考の一つになりましたら幸いです。
シンプルにすることの大事
本来、「良かったこと3つ」の内訳(場面や状況など)は、身内にも知っておいてもらう必要があることなどを除いては、” 自分さえ分かっていればそれで良い “ ものです。
ですので、投稿する内容自体は【実に、シンプルでエッセンスまでのもの】でも大丈夫となります。
私は「良かったこと3つ」の習慣化を推奨して伝えるときに、(楽したい・流されたいほうが人は根強いので)続けていくうちに面倒になるからと、かならず、上記のことも伝えています。
ここを忘れないことも大事だと思います。
※ なぜなら「続けていて、楽しく感じられるようにすること」が肝要だからです。
そうなっていくと「しないと気持ち悪く」感じるようになってきて、することが自然と心地よいルーティンになってきます。
ですので、仮に誰かに「良かったこと3つ」をシェアするとしても、場面や意味が分かるように伝えなければならない決まりや義務もありません。
本来、軽くするためのことですので、それで負担になることのないようにしていきます^^
自分以外、まともには分からない抽象的なエッセンスでもありますし、また、そういったのでいいんだと思っています。
(この章の末尾に、私個人の例を転記してみました。)
ここでは、分かってもらうことを目的としているのではなく、なんとなく感じていたただけるだけでも、とても充分で、感じ取れなくてもいいし、それ以前に、日々の自分のことまで分かってもらおうなんて欲張りません。
自分のためなので他者からの見返りも求めないし、ニュアンスだけでも感じてもらえたら、めっけもの!の世界です。
または、自分は出来ている・頑張っているという自己顕示欲を満たすためでもないですね。
承認欲求は満たしていきますが、承認欲求は自分で満たすもので、自分のご機嫌は自分で取るのが一番です。
「良かったことリスト・3つ」なんて、そのためのものに過ぎません。
もし、そこで自己顕示欲が頭をもたげていたとしたら、承認欲求としては行き過ぎですし、自己顕示欲は満たさなくても良いもので「足るを知る」を知ることも大事ですね。
(場面特定すらしていないため、何のことか分からないと思いますが、エッセンスだけはなんとなく部分的に感じられるかもしれない?という程度のものではないでしょうか)
- 想定外の場面で、いくらかの揺らぎは感じつつも、外と内と、その時点でのベストを、おそらく適確に思い合わせられた自分に成長が感じられた。
- その時点で、どこまでを開示して良いかについて、改めて考えられる機会を得られた。
- 下手したら、過去の自分なら後悔したかもしれないが、それよりも振り返り検証・目的意識などのマインドセットで、ゆらぎは最小限に留められて囚われずにいられた。
(上記でも書き方が、まだ長いですが 笑 私的には10分もかかっていません)
自分で選べる・選んでしている
- グループで相互に投稿し合う場合は、承認・応援し合う意味があります🍀
(今のところは、私はここまで考えていません。)
・その場合も場面や意味が分かる説明はなくても大丈夫で、その感じた気持ちのエッセンスを応援し合うまでのものです。
・シェアするのに抵抗があるなら、シェアしないという選択も大事です。
・「〜しなければならない」と縛りや思い込むものではありません。 - 場面や意味が分かる説明まで分かるように書きたい方は、もちろん書いても自由です、が…
・そう書くのが楽しい方もいますので、そのような方は続けられたらいいのだと思います。
・もし、それでしんどさを感じるのなら逆効果で良いことはないため立ち止まることをお勧めします。
・しんどさを感じたとして、それを続けてしまっているのは、何故ですか?
・ここでは、しんどさは避けたほうが良いものとして捉えます。
・しんどさを感じたら続かないですし、楽しさを感じられる範囲までに留めるのが大事です。 - リーダー的な方の投稿の場合は、(かいま見せる程度でも)自己開示のほんの一助にも。
書くことを「頑張らない」ように
では実際に、「良かったこと3つ」の投稿となりますが、その前に書く際の姿勢について触れておきます🍀
私は、以下のようなことまで誰かに教わったわけではありませんが、自分が続けてきて、続けるために思ったことを書き起こしてみます。
どのように、まとめていくのかも自己選択で、自分のやり方で書いて続けていくことを意識します^^
私の場合は、夜にまとめて思い出そうとするのは、面倒で疲れてきます。
そもそも夜になってきたところで、その時間や体力までは私にはないため、思いついた時、さっとメモしているだけです。
(まとめないで分割して、少しずつに分散)
ここでは「いかに楽をするか」を重視します。
(そうして良いことの場合に限ります。)
↑ 仕事上、そう出来ない・そうしたくないことのほうが多いため、そのための脳内リソースを確保しておくためにも。ここでは、なるべく、疲れないようにするためにも。
とにかく、逆効果になることは意識して「しない」ようにします。
何かすることを決める前に「しないことを先に決める」というものですね。
これらの意識で、以下のようにしています。
繰り返しになりますが、以下は誰かに教わったわけではなく、楽にしようと続けていくうちに自然とそうなってきたポイントを振り返って、個人的にまとめたに過ぎません。
楽にしようと考えていけば、もしかしたら、おのずと近いものが出てくるのかもしれません。
または人によってポイントが違っていたとしても、自分が楽に出来るところを探したり、そのために工夫するのも自分の選択だと思います。
ぜひ、そういったことも、ご自身の楽しみの一つとして味わっていただければ幸いです^^
モデリングも大切なのですが、人真似をし過ぎると自ら見出していくことの楽しみを忘れてしまうこともあるかもしれませんので、その醍醐味も大事にしていきたいところです。
よって、以下は私が思った、私のためのポイントですが、参考にするもしないも選んでいただければ幸いです。
・私が楽に続けるために、個人的に思ったポイント!
- 何かの区切りごとに「良かったこと3つ」の一つになるなら、さくっとメモ
- 思いついたときにしたほうが、楽だから。
- 頑張らない、簡単でミニマムな工夫をする。
- あとで思い出そうとするだけでも、私の場合は負担でストレスに感じる。
- 1日の終わりにまとめる習慣の方もいますので、自身で良いほうを選べば良いと思います。
- ストレスを感じると思考にブレーキがかかって、私は抜け落ちやすくなる。過信しない。
- だから、メモ魔であることを意識して続けている。愚直を承認。
- メモしないと気持ち悪い。メモした後は気にせず、忘れてもOK。執着しない。
- メモが3つになったら止める。頑張らない・執着しない。
- もっと良いことがあるかもと、囚われないように止める。欲張らない。
- もしくは、3つを超えた日は調子の良い日だなと肯定してから、あとで絞り込む。
あまりに忙し過ぎて、何の隙間もないぐらい余裕がない日や、心身のコンディションを崩してしまい、上記すらも、しんどい日は開き直ってしません😁
(だって、人間だもの)
(心のこえ)
がんばらなーーーーい!
誰に迷惑をかけるわけでもありませんし、頑張らない自分を責める(:逆効果)ことなく、ゆるゆると許せるのも「自己肯定」と思うようにしています。
(自分を許せないと、他人に対しても厳しくなっちゃうよ。心の奥では)
ただ、いい加減な自分(自分が思う、気持ち悪い自分)にはなりたくないので、流されないように戻ってはきます😁
(テキトーOK!)
がんばらなーいけど、自分を何か気持ち悪く感じるのも嫌だー!
…と感じるなら、続ければいいだけだと思います。
自分で自分を認められるようにしておくこと。
ここでの目的は、ただ、それだけです。
自分で自分を認めて、自己肯定していけるようにするって
自分を認めるとは、言葉のままなのですが…「自分を褒める」と勘違いされやすい時もありますね。
ここで大事なのが、褒めるというより、「承認する」までで、これらは似ているようで違う意味があると思います。
例えば…
「素晴らしい」と褒める → 内側に(素晴らしいなんて思えない自分)を感じながら?
(肯定と否定のミスマッチが、ワンセットになっている場合)
もし、こうしていたとしたら自己不一致ですし、自己不一致のまま進めても、それに伴った現実を創り出してしまいます。
例えば、ちぐはぐな現実だったり、モヤモヤが続いて、なんか楽しくない日々だったり…でしょうか?
なにか、さっぱりしない感じを増やしてしまうようなことは、しないで済むならしないほうが良いことではないでしょうか?
または、褒められるという褒賞(ご褒美・自画自賛・自己顕示)で釣ってしまっているということにもなりかねないかもしれません。
褒められないとしないというのは、そもそも違うでしょうし、ご褒美は、たまにだからご褒美と言われますよね。
極端な例で言えば「ただ、ただ褒め続ける(甘い蜜を吸わせ続けて虫歯にさせる)」ようなことは、人を一番簡単にダメにしていく使いやすい方法で、詐欺師の好物とも(騙されないようにするために)耳にしたことがあります。
極端な例ではありますが、自覚していないうちに流されていないかセルフチェックしたいなぁと思います。
お世辞でさえなければ褒められたら、いい気分になっていただきやすいので使いやすくもありますが、麻薬やうぬぼれのようにならないように、本当にここぞ必要という時にだけ絞り込みたいものです。
または、けなしたり自責からの場合も、逆なだけで同じで、それらは本当の姿ではないと思います。
もし、この感覚で進んでいけば、他人からの評価や見た目のようなものに翻弄されやすくなりそうで、私はそういったものを一切、基準にしたくないと思ってしまいます。
他人から何も言われていなくても、自分の中で「仮想の他人」を作り出してしまって、その「仮想の他人」の目に翻弄されてしまいそうに私は感じるからです。
ですので、例えば、この記事にしても、私がさっぱり整理するために書いたものを、もし良ければ程度でシェアしているまでの気持ちです。
書くことで、揺らがず囚われずになれるため書いているため、何一つ参考にされなかったとしても、それ以前に見られることすらなかったとしても、それで揺らぐことはないわけです。
大事なのは「褒める」よりも、ただ「具体的に承認して」、ただ「そのままを感じる」までに留めます🍀
例えば、「〜なことがあって嬉しくて、そう気が付けて意識できている自分を認められる」などですね。
(事実そのままに、自分をごまかしていない姿。褒め言葉は使わない。)
- その上で、何を承認するかは選べるわけですので「良かったこと(良かった事実)」を選びます。
- 人は(よくもわるくも)承認されたところに意識がいくようになって、フォーカスが強まります🍀
- フォーカスが強まったところが徐々に膨らんでいきますので、目的に向けて「良い出し+承認」をしていくとなります。
慢心も 自己嫌悪も 執着もなくしたいから…
「良い出し+承認」は、よく言われる「長所を伸ばせば、短所は見えなくなる」に似ていますね^^
正確には「長所を伸ばせば、短所は気にならなくなるぐらいカバーできる」と言えますし、そうすることを積み重ねるうちにストレスも緊張も気がつけば薄まっていくのではないでしょうか。
そうして自画自賛や慢心、自信過剰などのごまかしではなくても、事実に基づいて率直な「出来る理由」のほうが浮かびやすくなる習慣化も狙いです。
自画自賛や慢心、自信過剰などを避けるのは、たとえ一時的には良かったとしても、これらはいずれ破綻する砂のお城とも言えるからです。
または破綻しなかったとしても、特定の殻の中でしか通用しない要素が多くなってしまい、現実的な持続性が低いためです。
逆に、出来なかったところばかりに目を向けたら、「出来ない理由」ばかりが膨らんで繋がってしまって、ストレスや緊張が増えやすくなってしまうのではないでしょうか。
私たちは、自分が何か短所に思っていたり、コンプレックスを感じているようなところは、意識しなくてもダメ出ししていたり、そう感じてしまいます。
放っておいても感じてしまうのだとしたら、わざわざ、それ以上、感じるように仕向けなくても良いと思いますし、仮に、しんどい思いして乗り越えて成長したとしても…
辛い思いをしなければ乗り越えたり成長できないという偏った思い込みのほうばかりが根強くなってしまい、強まるほどに周囲に対しても、自動思考でそう見てしまいやすくなってしまうかもしれません。
もし、自分に完璧を求めがちだと、他者に対しても「完璧なんてない」と思いながらも、知らず知らず、過剰な期待(執着)をしてしまったりします。
(知らず知らずなので、そう思うことが「きっと、正しい」なんて感じてしまっていたらストレスにもなりやすい。)
実際には、辛い思いをしてでも乗り越えることもあれば、楽しみながら乗り越えられることだって両方あるのではないでしょうか^^
そして、それは選べるものだと思います。
大変なことでも、楽しみながらでも乗り越えられる「苦楽しい」も選べます。
(選んでから、どうすれば、そうなれるか探すことも選べますね。)
自分を緩めながら成長できていったほうが、誰かを応援する時だって、過剰な応援(期待からのプレッシャーや辛さを呼び込む)にならず、その人のペースを待てるようにもなりやすいです🍀
つまり、自分を認められているから、周りに対しても認められるし、承認しやすくなるというものですね。
そのような自分は、自分で育てていくことが出来るとも言えます。
逆に自分を許せて認められていなければ、周りに対してだって、どこか本心では許せていない、認めるどころかジャッジ思考になるのではないでしょうか。
だから、リフレーミング
こう、言葉にしてしまうと長くもなってしまいますが、これらのためにも意識して「良い出し+承認」でリフレーミングを、何度も何度も継続していく、という方向で思っています^^
そして、これら全ては「自らが大切に思っている価値観を満たす」ためにもなるのではないでしょうか。
たとえ、周囲がどうであっても、よくても悪くても、自ら(皮膚の内側)がどう捉えたか・解釈したか…
もし、他者の言動や態度で不快に感じる時は「課題の分離」を使ってみたり…
(他者の課題の場合は、他者の課題なので自責しない。自分の課題の場合は、自分の課題なので他責しない。)
心地よく通じ合っていると感じられるときは「共同体感覚」を使ってみたり…
(違いを混同しないように踏まえながら、価値観の共有ゾーンを深めていくなど…)
しっかりとしつつ、柔軟な自分軸を感じ取っていくためのプロセスとも言えるでしょうか?
自分のご機嫌は、自分の責任で、自分で取っていくために…
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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