” わかったつもりにさせる ” 心理コメンテーター

 

ネットニュースやテレビなどのメディアによる報道は、私たちの生活の中でどこかしらで目にしますね。

あえて、それらを見ないという方々も中にはおられますし、私もかじりついてまで見るほうではありません。

そうは言っても世間で生きている以上、全く見ないというわけにも行かないでしょうし、仮に避けていても移動中、口コミなども含めて、どこかしらで目に耳にしてしまうかと思われます。

そうして、例え、邪魔と思っていても、多かれ少なかれ無意識に近いレベルでも影響を受けてしまうことと推測されます。

それらメディア報道で精神科医や専門家と称する方々、コメンテーターの発言を見る度に、私はモヤッとすることがあります。

そのモヤは、そこに何かしらの作為や誘導をかけるためのバイアスを感じるからなのだろうと思います。

いずれの表現でも意図があり、完全無欠に客観的な表現などはあり得ないでしょう。

上手い下手を別にしても入り口と出口はイメージされていて、そこには程度の差こそあれ主観的な意図が含まれるでしょうが、そのイメージが ” 何のためにされているか “ が肝要と言えます。

利己的な作為は生き辛い社会を増長させる元となり、それが回り回ってブーメランのように返ってきても不思議はないのです。

 

ふと見かけたNewsweekの同記事を観て、心理系のコメンテーターの発言に対して分かりやすく述べられてるな、と感じましたので、ここにご紹介をさせていただきます。

同記事は、荻上チキ氏(評論家)、高史明氏(社会心理学者)の共同執筆で、”「米トランプ報道をめぐる議論から、日本の薬物報道を例に、メディア上で「心理分析」することの問題や葛藤について」”書かれています。

 

 

今、キャッチーな話題の1つであろうピエール瀧氏の事件について触れられているのは、実際は同記事の4ページ目からで、それ自体の文章の割り合いはそう多くありません。

この記事では、下記の問題提起から始まります。

精神科医やカウンセラーがメディア上で、会ったことのない著名人について「診断」することはどこまで許されるべきだろうか。その行為は、倫理に反するのか?

 

” 「(メディアに対する一般的な知識の提供は問題ないが)当人に対して実際に診察を行い、かつ情報公開に対して適切な認可を与えられていない限り、精神科医が専門家として意見を提供することは非倫理的である」と書かれている “、ゴールドウォーター・ルールと呼ばれる規定についてのくだりから始まっています。

5ページ目では実際にコメンテーターをしている臨床心理士の 「あからさまな告白」も引用されており、なんとなく予想の範疇ではあったものの……少し目を見張りました^^;

商業主義、お金のためかぁ、お金は大事だけど、なぁ……それにしてもと、個人的には思えてしまいます。

 

もし、自分がコメンテーターに言及される(ことはないでしょうが)立場になったら、かなりたまったものではないなぁと、改めて思います。

では、もし、自分が(なることはないでしょうが)コメントを求められる立場になったら?

商業主義で誰かの溜飲を下げるために、誰かを利用(消費)するということのでニーズ(必要性)もウォンツ(欲求)も、強くあるのだというのは見ていて感じます。

ですが正直、私は避けたいことですし、そのような生き方はしたくありません。

おそらく、過剰なストレスで吐き続ける日々になってしまいそうです。

 

同時に、そのようなコメンテーターをしている精神科医やカウンセラーばかりではないということも、世間にはもっと根付いてもらいたいものです。

赤の他人を決めつけてしまうかのような印象を与えてしまう心理系のコメンテーターのイメージが、メディアを通じて根付くほどに、そう思います。

そうでないと「カウンセラーは心理を見抜いて分析するんでしょ? なんか(見透かされて決めつけられそうで)コワイ」という先入観が強まってしまうような危惧を感じます。

本来、カウセリングは、そういったラベリング的な行為のために、またはゲーム感覚の行為のために利用するものではないと、私は捉えています。

…… 話が膨らみすぎる前に戻します ↓↓

 

引用したくなる箇所は多々ある個人的にはそそられた同記事なのですが、そうすると引用ばかりになって切り貼りしたみたいになってしまうので、それは止めておきます。

「無自覚という罪とメディアの責任」について ” ご関心のある方は、記事本文をご参照いただければと思います。

 

見方によっては、ずいぶんと推しているように思われるかも知れませんが、私は、Newsweekの回し者ではないですけどね^^;

同記事の記事の著者の一人である荻上チキ(おぎうえ・ちき)氏は、『いじめを生む教室』などを始め、著書多数で、TBSラジオ「荻上チキ session-22」でギャラクシー賞受賞とあります。

もうお一人の著者、高史明(たか・ふみあき)氏は『レイシズムを解剖する――在日コリアンへの偏見とインターネット』など、やはり著書多数で、2016年、日本社会心理学会学会賞(出版賞)受賞とあります。

 

ー 本日も、ご通読いただき、誠にありがとうございます。

人の心理は瞬間瞬間でめまぐるしく変容して、たとえ意識していなくても、世間からの影響は、どこかしこで受けてしまうかと思われます。

私は世間に生きる一人として関わりながら、世間に揉まれながら排他的にならないように、たおやかに暮らしていきたいと願います^^

私が書き続けるのは、分かったつもりではいたくないということや、自分自身のカタルシスのための要素も強く、消化して昇華を願ってのことかな、と思えます。

 

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