虚にするも、実にするも…

どんなに良い内容を知ったとしても、虚にするも実にするも自分次第だと思います。

それを、どう感じて、どのように活かすか、または活かさないかは自分マターです。

もちろん、何でも活かそうとすれば良いということではなく取捨選択も必要です。

同時に、何でも「直感」という名に言葉を借りた「ワガママ」からの視野狭窄、そこからの排他的で狭い思考になっていないか、自己チェックも必要でしょう。

資格のない自己弁護士、言い訳の達人には気を付けて、出来ない理由が出て来る心も受け止めつつ、出来る理由に目を向けることを肝要にしたいものですね。

そこで、物質や情報に恵まれた、いや、溢れかえるほどのそれらにまみれている私たちは「守破離」という姿勢を、その考え方を忘れてはならないと思います。

「守破離」については、こちらの過去記事で書きましたのでピンと来なかったり、明確に思い出せない場合などはご覧いだたけますでしょうか)

不慣れだったり新しく知ることは、必ずしも即断出来ることばかりではなく、何でも短絡的に捉えていては世界は広がらないでしょう。

広がらないどころか、その本質を知ることもないまま、いつまでもジプシーのように彷徨ってしまうケースだって後を絶ちません。

多少、知っていたとしても「知っている」と「ワカル」はレベルが違いますし、「ワカル」と「デキル」も全く、その深みも現実性も違います。

このブログの過去記事に『知っている・ワカル・デキル・教えられる』というタイトルで比較して書いてみたことがありますので、良かったらご高覧いただけましたら幸いです。

何事も基本の手順があって、初めて進めるということは少なくなくて、一足飛びに行ければラクですが、なかなか、そう都合良くも行かなかったりするのではないでしょうか。

大切なのは、どこに進みたいか、どのようになりたいのかなどの目的だと思います。

その目的から逆算して、どのようなステップが必要なのか、です。

そのステップについて、自分の頭の中だけで考えて現実化できるのでしたら良いですが、そうでもない場合や、ひどく遠回りしてしまったり、時間がべらぼうにかかってしまいそうな場合は、どうするでしょうか。

最初は良くても、その間にモチベーションが枯渇してしまうということもあったり、他に移り気になってしまうということもあるかもしれません。

現実の話である『八甲田山 死の彷徨』にも描かれているように、登ったことのない山を登り切るには案内人が必要です。

既に長けている人・実行できている人から学ぶというのは、もっとも早く現実的だと言えますが、その案内人とどう接するのかという姿勢・精神性が明暗を分けます。

同書で伝えられているのは、それが兵士たちの生命にすら関わり「この世の地獄! 日本陸軍史に残る悲惨な事件」と呼ばれるほどにまでなってしまう姿です。

どのような精神性であれば生き残れるのかなどは、同書を読めば感じ取れて行くことと思いますが、目的を達するために最も必要なことは何なのか、そこに尽きるのではないでしょうか。

それに伴って、ブレークスルーを重ねられてパラダイムが進化していけるという現実は、まさしく生きている醍醐味かもしれませんね。

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