他人の記事をリライトして量産しているのが「ライター」と思って仕事している人が、まだまだ多いようですね。
しかも、パクリとバレにくいように、複数の記事を元に書き換えて使っているという手法。
「え~?!」と思いますが、そうして量産された記事がキュレーションメディアや、SEO対策用の格安記事として使われているようです。
さらには、パクリリライトための便利ソフトまで堂々と販売されおり、その性能たるや驚くほどのものです。
どこまでの度合いで、その手法を使っているかは各会社によるところでしょうし、全ての会社がそうしているとは限らないと思いたいです。
オリジナリティを意識せず、脳みそに汗をかくことなく量産したところで、その価値はいかほどでしょうか?
せいぜい、情報の密度を混ぜ合わせて濃くしてみた、読みやすくしてみたぐらいのことではないのでしょうか?
そして、見る人が見れば、どこかで見たような記事が増えていく……。
飽きられる前に、どんどんと新しいリライト記事を増産して目をくらますラットレース。
リライトの仕方によっては、オリジナルを劣化させただけのサルマネ記事が増殖していく。
見たことも経験したこともないのに他人からの二次ソースのリライトだけで書いていると、しまいには間違ったことすらも、それっぽく書いてしまっていることに気が付けないという、無責任な危険性の確率も上がります。
見たこともないものを見たかのように書いて、それで小銭を稼ぐ……、それは「良貨」でしょうか?
うまいこと書き換えて著作権法に触れないようにしたから、それでいい、なのでしょうか。
法律違反でなければ、それでいい。
リテラシーは、どうでもいいという姿勢ではないのでしょうか。
そんな記事を読まされて、読者に対する姿勢として、それで良いのでしょうか?
そんなことに使われて、元記事を書いた人間は、どう感じるでしょうか。
参考にされて全くの独自の視点で新しく書かれるか、もしくは、引用として用いられるかでしたら通常のことだと思います。
それでも「参考文献」のように掲載されるのが通常ですし、引用というのも全体の二割程度までに留めるのが著作における慣習としてあります。
ところが多少リライトされてリミックスされて、パクリを分かりにくくして、参考元や引用元の明記なども当然のようになく、まるでオリジナル記事のように公開しているという、もはや暴挙でしょう。
他人のふんどしを染め直して、少し仕立て直しただけで自分のオリジナルのように使うという気持ち悪さ。
それで「私は○○(ジャンル名)系のライターをしています」……?!
そのような感覚の方は、弊社に近寄ってこないでくださいますようお願い致します。
そもそも、ある仕掛けをしておけばコピーされた時点で、探し回るなんて不毛なことをせずともスグに分かります。
私も誰かにコピーされるという目に遭ったことはありますが、とてつともなく嫌で腹立たしい気持ちになります。
そのような気持ち悪く受け入れがたい手法を、それなりの規模の会社でも採用しているようですが、これらを見て、少なくとも「クリエイターではない」と言う人もいますが私も同感です。
かつて、ある大手の医療系のキュレーションメディアでは、それで間違った記載も多くあった問題から、全国ニュースにもなり、同メディアは閉鎖となりました。
他の会社においては、医療系でなければ良いとでも思っているのでしょうか。
私はライター系の学校を出て出版社で働いたこともありますが、そのような邪道を教えてくる人なんて、一人もいませんでした。
学生時代から、医療問題に関わるライターの恩師にくっついて歩きましたが、パクリのパの一文字の感覚もあり得ませんでした。
「リライト」というのは、元々、自らが書いた文章をブラッシュアップする際に使われる言葉でしかありませんでした。
他人の文章をコピーして「リライト」して、自分(または自社)が書いたもののように出すなんて、グレーな愚策のためではありませんでした。
それが出回るのは、まるで百鬼夜行のように、ありえないのがワサワサと跋扈しているようなものでしょう。
そしてまた、いつか淘汰される。
そう思っていないと、私のようなもの書きの端くれでしかなくとも、やり切れなさを感じますね。

ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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