書くことと「傾聴」の意識は似ている?!

 

以下が浸透していくほどに「売り込まなくても、惹き寄せられる」構図が創られていきます。

 

この拙ブログの『惹かせる文章に想う素』カテゴリーでは、随所で手を変え品を変えて” 自分軸 “と ” 相手軸 “ ということについて触れてきております。

” 自分軸 ” ばかりで書くのではなく、” 相手軸 ” を意識して、文章に反映させていくという姿勢ですね。

それが文章の上手や下手などに関わらず、求めている必要な人にとって読ませられるものになっていきます。

惹き付ける文章とは、必ずしも、上手な文章ではありません。

これは、特殊な才能を要するものでもなくて、書く際の ” 思考を習慣化 ” させるだけのことです。

つまり、相手目線に近付こうとするクセ付けとも言えます。

もちろん、アーティスティックに自分の世界だけを表して、それに、多くの人が惹きつけられるという世界もあります。

それは才能とほとばしる情念の世界で、きっと、それを続けることは限られた人にしか出来ないことでしょう。

ここでは、そこまでのことに触れているわけではありません。

 

” 相手軸 ” とは、” 相手目線 ” に近付こうとすることと書きましたが、これは、寄り添おうとする意識です。

人は誰しも主体がありますから、完全に” 相手目線 ” になりきることも完全に理解することも出来ません。

中には、それが出来る人もいるようですが、もはや、特殊スキルと言いますか……。

次元の違う神や仏の世界に思えます。

ここで言う「” 自分軸 ” ばかりで書くのではなく、” 相手軸 ” を意識して文章に反映させていく」とは、そのような神レベルのことでもありません。

万人に受けるものなどないという前提です。

 

なにも神のような超越レベルではなくても、傾聴マインドがあれば出来ることと考えられます。

傾聴の基本のキのキでもある、「お相手(読み手)に関心を持ってココロで寄り添うように」表現する、ということです。

傾聴も、受け止める自分を、どのように示すかという1つの表現と言えるかもしれません。

ただ、傾聴が文章と違うのは、自ら率先して話す場ではないというところで、表現としては、動・静の「静」です。

傾聴サービスでもそうですがリピートを得たいからと、話の完了時に、売り込み臭を漂わせるほどに「結局、お金のためか」と、それまで、どんなに良い傾聴をしていようと一気に台無しにしてしまう他社ケースがあります。

「静」を求められているのに、いきなりブレて「動」に転じてしまうからです。

その反面、傾聴中は終始、傾聴に徹しているだけなのに、自ずとリピートされる、ほんわかメンバーさんもおられます。

 

話が逸れました。

「静」の時は「静」に徹しますが、書くという行為は「動」のほうの姿勢です。

「動」であっても「ココロで寄り添う」のは同じです。

書いている画面の向こうにいる生身の人間を、強く意識していますか?

つまり、リアルです。

 

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