よくご存知のように、世間には実に様々な書籍があり、増え続けていますね^^
私も学生時代ほどではないにしても、必要に応じて購入することがあります。
今は、Amazonなどでも中古で、随分とリーズナブルなのにキレイな書籍が購入できて、ますます読み手側の敷居が下がってきたな、とも感じるところです。
さらに、電子書籍系のサービスも充実してきて、尚さらですね!
私の学生時代の頃とは大違いで、今は私もその恩恵にあずかってはおります^^
ここでは、そのようなサービスをご紹介するのが主訴ではありませんが、前フリとして触れてみました^^
「書き手の視点で読む」
そういえば、昔、ライター系(ジャーナリズム系)の学校に行っていた頃、恩師に言われたことを思い出しました。
まず、「水を飲むように、日常的に、たくさん読みなさい」でしたね^^;
具体的なペース、何日に一冊の読破だったか数字は忘れてしまいましたが、「読まないで書けるなんてことはないから、そうして地力を養う元にしなさい」という意味です。
あくまで、プロを目指すための場所ですと、このようになるわけですが、この記事にアクセスしていただける方の大半は、そのようなつもりではないと思います。
ですので、ここまでするかしないかは自己判断だと思いますし、私から先生のように求めるというわけでもありません。
今は私も、そこまで出来ませんし時間的に無理ですので、昔とった杵柄のような話でしかありません。
何かのご参考に?なるかどうかは分かりませんが、思い出したことを綴ってみたまでです^^
学生時代、調子の良い日は1日に三冊などを速読ではなく、しっかり読み込む日々だったりしました。
この辺りのことは、「守・破・離」にも通ずることかと思います。
当時は、たしかに、それが地力を養う元にはなっていったと感じていますし、「速読」を知る前から読むのも早くなっていきました。
そうして何十年か経った今は、読みすぎると迷路にハマって、逆に書きづらくなるので調整している(沢山は読まない)という感じです。
そこまで読まないと書けない、というのは、書くものにもよってくるかと思います。
そうすることで単なる鑑賞ではなくなってきて、見えてくるものも違ってくるものがあります。
単なる読者として読んだら、おもしろい・つまらない・大したことない等の「ふ~ん(´・ω・`)」視点になるかもしれませんが、そもそも、万人に受けるものなどありません。
それでも、人生を左右させるほどの書籍に出逢うことも、時にはあるかもしれませんが、滅多に巡り合わないのではないでしょうか?
通常は、書き手として「資料の1つ」として目を通す感覚ですね。
これは、書き手としてだけではなく、コンサルタントとしての本の読み方にも通じます。
- なぜ、この切り口で書いたのか?
- なぜ、この文体で書いたのか?
- なぜ、この文章構成で、この言葉で、このフレーズで・・・etc
これらをイチイチ、ノートに記して分析する分析家さんになりましょう、という生活に無理がかかりそうなことではありません。
それらを内側で感じながら読むようにする、というまでの意味です。
このことは「書き手の顔を持つなら、当然のことよ」のように教わった記憶がありますし、そうだよなぁ、と思います^^
一冊の書籍に求めすぎない^^;
書籍として出されているからと言って、真に受けるのではなく、内容によっては、その裏?を観ようとする視点も必要と教わりました。
そうして習慣づけていくと、たしかに見えるものは違ってきますし、内容の善し悪しに一喜一憂することもなくなります。
その視点で、書籍販売サイトでのレビューなどを観ていますと、「一冊の本に、どこまで求めるんだ?!」と思えるレビューも多いな、と思います。
本は「紙様」で出来ていますが、「神様」ではないですよね。
一冊の書籍ぐらいで、読み手のニーズや欲求を満たしきれるほど万能なわけがありません^^;
それに定価で買っていたとしても、そこまでの欲求を満たせるほどの金額を支払いましたか?とも思ったりします。
まるで、何かの「体験セミナー」に参加して、それで「全てを網羅していないから」と文句を言っているかのようにすら見えます。
例えば、「体験セミナー」は、あくまで導入部分、ダイジェスト版、オリエンテーションのような要素もあり、価格は5,000円だったとします。
本格コースでは、リーズナブルに見積もっても、クオリティを保つためには最低でも30万円ほどのコストがかかる内容(価値)だったとします。
本当に価値を享受するには、それを見極める目も必要ですが、何らぼったくりではなく適正価格、または良心価格だとしてもコストがかかるわけです。
価格を付けるということは、お相手と自分の価値を認める、ということでもあります。
しまいには、一部を取り上げて全部かのように評される風潮?に関しては、下記の拙・記事で綴ってみました。
覚えなくてもいい
テストを受けるための教科書・参考書のような位置付けではなく、資料なので、その中身まで全て記憶しておかないとならない、ということもありません。
どの書籍に何が書いてあったな、ということぐらいを、ざっくりとでも把握しておけば、手元にあるのだから必要な時に見直せば良い、という「参考資料」ですね。
あれもこれもと暗記しなくて大丈夫、ということです。
そうなると、必ずしもしっかり読み込まないとならないというプレシャーからも解放されて、まずは、さっとでも目を通しておけば良いということとも考えられます。
積ん読していても気にならない。「参考資料」ですから^^
さっと目を通しただけでも、自分の中に残るものは残りますし、一生懸命に読み込んだとしても残らないものは残りません。
無理に残そうとすると、私は内心で軋み(きしみ)を感じます。
内容によっては浸透させたほうが良いものもありますので、その場合はきっちり読み込んで染み込ませたりなどです。
「事件は現場で起こるんだ!」
いずれにしても、書籍は「著者」と「編集者」という他人のフィルターがかかっているものですので、1つの「参考資料」としては良いのですが、「情報ソース」としては、二次資料・三次資料です。
一番の情報ソースは、リアルな現場にあり、それを自らがどう観るかによりますよね。
「現場」とは取り巻く環境などの「外観」もそうですし、書くテーマによっては、自らの内側の「内観も現場」のように、私は思います。
「内観が現場」のテーマの場合、むやみに書籍を読みすぎると、内観が観えにくくなったり、観えなくなってしまうことも私はありますので、書籍を読むことが優先にはなりません。
・・・・・
もっとも大切なのは、ここで記すまでもないかもしれませんが、アウトプットすることで何を目指すか、求め続けていくか、という「目的」にあります。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
コメント