傾聴をする側としては、痛みを痛感してきた人間ということも、1つのポイントになると思います。
「長所と短所は、同じコインの表と裏」、表裏一体とも言いますね。
痛みを知らない人に、痛みの話をしてもなぁ・・・となるかもしれませんが、そこを経て来ている人なら・・・という意味です。
例えば、風邪をひいたことがなく、高熱を出したことのない人がいたとしたら、風邪で高熱をだす、しんどさは、その人には分からないわけです。
ですが、自分自身が風邪をひいて高熱を出している最中だとしたら、まず、ご自身が回復してくださいね、となります。
ただ、痛みを痛感してきた” だけ “に留めないことが大事です。
不幸自慢にならないように、悲劇の主人公にならないように、と言いますか・・・。
「痛みにとらわれている人に、自らの痛みの話をしたら、どつぼにはまるのではないか?」と、誤解を招いてしまったらご指名にはなりません。
痛みは痛感してきたし、今も内部に傷は抱えているものの、○○を経て、前を向いて新しい今日を生きられている、という・・・痛みがあるからこそ、見えるものを自覚できているかどうか、です。
このほうが、良い面だけを着飾って見せるより、グッと伝わり深みのある頼りがいとして魅せられます。
競争社会から見ると、一見、弱みに見えそうなことが、傾聴をする際は強みだったりします。
ただ、間違っても、クライアント様に悲壮感を味わらせることのないように、プラスに転じさせる熱意を同伴させることが肝要と思います。
もし仮に、自分自身が、自らの痛みなどは抱えていたとはしても、そこに今でもはまっているとしたら、自己肯定感を取り戻し、高める取り組みが必要になってくると、私は思います。
完治はしないにしても、寛解の状態ではいたいと思うところです。
「弱さは強さ」 ・・・ 9年ほど前、泣きじゃくっていたある人に伝えた言葉でした。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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