ダイバーシティと寛容性に想う

「ダイバーシティ(多様性)」への寛容性が求められる動きも、昨今は増えてきていますね。

「ダイバーシティ」とは、性別・人種・国籍・宗教・年齢・学歴・ 職歴などの多様性に限らず、特性や価値観の多様性ということでもあります。

私自身も望むと望まざるとに関わらず、マイノリティとして生きて来ざるを得なかった経緯がありますので、多様性への寛容性が求められていく動き自体は良いかのように思えます。

お互いが、唯一無二の人間であると相互尊重しあえる関係性…。

このように書くと聴こえは良いですが、このことを自分事として考えた場合、アタマで思うだけでは難しいことのようにも感じられるのではないでしょうか?

実際は「寛容性」とは言っても、まだまだ表面的であったり形骸化していたりすることは、すこし探っていけば容易に観えてくることです。

聴こえが良いからこそ、何かしらの名声や地位の獲得のために利用されているような側面だって、その大小や高低に関わらず、まだまだ根強いと言わざるを得ないかもしれません。

おそらく、他者が他者をすべて理解することなど出来ないかのようにも思われます。

全てではなくても、その半分だって、もしかしたら困難なのではないでしょうか。

とても…大きくて遠い目標のような気すらしてしまいます。

私が自分に思うこととしては、まさか聖人君子のようになれるわけでもなしに、達観したような聖人君子になりたいとも思っていないということです。

私は世間に生きながら、その中で灯火を見い出し続けるには、どうしたら良いのか?という志向性です。

だからといって、自分を覆い隠して、したり顔でキラキラを演出するような振る舞いも、ポジティブを押し付けるようなポジハラ発言もしたいとは、本当に思いません。

ですが、自分が自分の価値観や方向性を述べているだけなのに、人によっては、プレッシャーのように感じられてしまうこともあるなど、捉えられ方も様々だな、と思う時もあります。

言葉は、書いたり口にしたりして、他者に届けられてから独り歩きして別物になっていきます。

世間の人間臭さに揉まれながら、出来るかぎり嘘やごまかしに流れないで済むように、社会背景を踏まえながら本当のこと、本質を見据えられるように…。

目を凝らして、耳を澄まして生きていきたいと考えています。

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