私は一応、起業家として生きてきたのは、1999年からだから、それなりに長くなっているほうだと周囲から言われることがあるし、自分でもそうだなぁ~と思うところもある。
そんな自分の変遷も踏まえながら、ときにふと思い出すけれど、多少、うまく行ったぐらいで偉そうな感覚になっていた時期もあったなぁ…ということも少し黒歴史のように思い出す。
それはFacebookなどを観ていると、かつての自分を彷彿とするような誰かの姿が目につくたびに、ふっと思い出すかな。
事業で多少、うまく行ったからと言ってもね、それで人間的に成長している面もあれば、驕りにまみれかけていることに気が付かなくなってしまっていることだってあるんちゃうかな?
事業でうまく行くのと、人間的成長は必ずしもイコールでもないと言われるけれども、人間的成長がないと事業もうまく行かなかったりするから、それは必ずしも正論ではないと思うよ。
でもね、やっぱり、イコールでもないんだよ。言わば、ニアイコール(≒)ぐらいのものだろうし、うまくいくことでの弊害もあるし、いま思えば視える人には透けて見えてるんだよね。
ニアイコールならまだしも、ノットイコール(≠)のケースだって少なくないし、うまく行かないほうがまだ良かったんじゃないかってケースもあるよね。
でも、本人はそのウザいアグレッシブなキラキラベールに染まり切ることに夢中で、落とし穴に気が付けていなかったり、落とし穴にハマってから初めてひどい自己嫌悪に陥ったりする。
巷でたまにある「あの人は今」状態の人って、結構いるよね…。
プラス思考も本当に大事だけど、それだけでは済まないこともあるから、やっぱり陰陽、どちらにも目を向けることが大事だと感じるね。
例えば、金銭的成功=人生の成功ではないと口で言っていてもね、その言い方の端々に他者をどこかで小馬鹿にしたり、下に見ようとする空気があったり、尊厳をナジル的な空気感があると、それは落とし穴にはまりかけているんだよ。
本当に人間的な成長に目を向けている人は、自分が成長したからといって、他者を卑下したりしない、その本質を考えられる時間が創れてきているのなら、立ち止まって、佇んで感じてみることから始めて見ることをオススメするよ。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
コメント