なぜ「傾聴」なのか?ー「傾聴っぽい」ものと「本来の傾聴」はチガウ

「傾聴っぽい」ものと「本来の傾聴」はチガウ

 

ここ数年で以前よりは「傾聴」というものが、少しずつ世間に広まってきたかのようには思えます。

しかし、まだまだ導入期前半のようで、表面的な捉えられ方になっている感は否めません。

「傾聴って、ただ、ウンウンと相槌を打ったり、相手の言うことを繰り返して返してあげて、伝え返しすることでしょ?」

「それと、たまに要約して返してあげればいいんでしょ?」と、表面的なテクニックのようなもので捉えてしまっている風潮も、世間では多いようです。

私も最初は、詳しくは知らなかったのですが、そのような表面的ではない「傾聴」を選んで、2017年に「ほんわか倶楽部」を立ち上げた理由として、肌感覚からの実感が強くあって確信して進めてきました。

(上記に留まらず、客観的・外的なリサーチもみっちりと行なってから創設を構想しました)

 

まず、「傾聴」とは知っていけば知っていくほど奥の深いものですが、いきなり、その奥の話をしても、きっと、なかなか伝わらないのではないか?と思っています。

他の手法同様、「傾聴」がすべてにおいて万能というわけではありませんが、「傾聴」は、提案型カウンセリングの導入時に使うためだけの浅い「傾聴っぽい」ものばかりではありません。

コーチングで使われているような傾聴も、本来の傾聴とは異なると考えられます。

傾聴っぽいテクニックを使って、お話をじっくりと聴きながら、コーチングの要素で誘導をかける…。

それは(悩んでいたとしても)上昇志向の状態にある方には、有効と考えられます。

これらは「傾聴っぽい」別物とも言えるもので、ビジネスの現場で上司が部下に使うような「傾聴っぽい」ものも、傾聴の入り口の表面をなぞったぐらいのものと言えてしまうのではないでしょうか。

私も最初は、それらに対して言葉に表せられないモヤモヤを感じ続けてきていましたが、それを「傾聴」と捉えているなら、残念ながらチガウと言わざるを得ないと思えてしまいます。

まともに観ていけば本来の傾聴は、(一部を除いて)まだまだ普及への導入期前半と言えるのではないか、と思えます。

本来の傾聴では、コーチがあからさまに意図的な誘導をかけるものではありません。

そもそも「コーチング」と「本来の傾聴」では、対象の状態が違うのではないでしょうか。

「マイナス」と「ゼロ(フラット)」と「プラス」の状態があったとして、「傾聴」とは強いマイナス状態にある方を、ゼロ(フラット)の状態に戻すためにあります。

傾聴においては、強いマイナスの状態にある方を、強引にプラスに誘導するものではありません。

もし、強いマイナスの状態のときに、無理してでもプラスの要素に向けさせようとしたり、プラス思考を植え付けようとすることは、下手すると言葉のナイフのようにもなり、かえって悪化させてしまいます。

ものは順番ですので、強いマイナスの状態にあるのでしたら、まずはフラットな状態に戻れるようにご支援することが、傾聴者が最初に目指すところです。

「傾聴」とは、本来「来談者中心療法」のためのものであるのならば、年月がかかっても私は、その真髄に近づいていきたいと思っています。

モノゴトを学んでいくのに「守破離」というプロセスが重要と言われます。

「守・破・離」というプロセスの重要性

「守破離」を踏まえるならば、真髄を知らずしてアレンジも発展型もないと考えられます。

この「守破離」は「モデリング」とも言えますが、そのステップを分かりやすく分解したのが「守破離」という概念とも言えます。

そして「傾聴」における「守」は、世間で言われているよりは、とても深いと感じているところです。

 

傾聴するだけで、何になるんだ?!

 

今回のブログ記事では「傾聴するだけで、何になるんだ?!」という疑問に向けて、私が思うことをいくつか触れてみることにします。

「いくつか」と書きましたが、ある程度、奥深くの入り口まで触れてみようとは思いますが、どうしても長くなったりして限りがありますし、私は、傾聴の先生や講師ではありません。

傾聴サービスのほんわか倶楽部を立ち上げた運営者とは言っても、恐縮ですが、学んでいる途中の実践者の1人に過ぎません。

もっと、ちゃんと傾聴について知りたい方は、まずは以下のプロフェッショナルな第一人者の先生方の書籍を、ナナメ読みや速読などではなく~熟読されることからオススメいたします。

 

はじめてのカウンセリング入門(下)―ほんものの傾聴を学ぶ

諸富 祥彦 (著)/ 出版: 誠信書房

この書籍は、心理カウンセリングで大方のジャンルを俯瞰した見地から、なぜ来談者中心療法と言われる傾聴なのか?ということについて述べられている貴重な一冊です。

同書の著者・諸富先生は、明治大学文学部教授・教育学博士で臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラーなどの資格を持っておられます。

日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会認定カウンセラー会理事、日本生徒指導学会理事。教師を支える会代表、現場教師の作戦参謀などをされておられて、業界では有名な第一人者の方です。

 

「ねえ、私の話聞いてる?」と言われない「聴く力」の強化書―あなたを聞き上手にする「傾聴力スイッチ」のつくりかた

岩松 正史 (著)/ 出版: 自由国民社

同書の著者・いわまつ先生は、「傾聴」の普及活動に関して、とても分かりやすく的確に的を射ていて、かつ、とても精力的に展開されておられる方だと言えます。

国家資格キャリアコンサルタント、産業カウンセラー(産業カウンセラー協会)の資格を持っておられます。

心理相談員(中央労働災害防止協会認定)やNPOメンタルサポートアカデミーサポータ講師などもして来られており、一般社団法人 日本傾聴能力開発協会(JKDA)の代表理事をされておられます。

同JKDAより多数の傾聴サポーター(R)・傾聴講師・傾聴心理士さんが誕生しています。

なお、いわまつ先生が、毎日、書かれているブログも分かりやすく参考になります。

岩松正史公式BLOG | 家庭も仕事も傾聴で90%うまくいく

 

古宮昇先生(大阪経済大学・人間科学部教授(臨床心理士養成第一種指定校大学院))の傾聴に関する書籍陣も、とっても分かりやすいものが多くあります。

←左記の著書『プロカウンセラーが教えるはじめての傾聴術』(出版: ナツメ社)だけでなく、様々な著書を出されておられます。

古宮先生は臨床心理士でもあり、米国州立ミズーリ大学コロンビア校より心理学博士号(PhD.in Psychology)を取得されています。

ノースダコタ州立こども家庭センター常勤心理士、パイングローブ精神科病棟インターン心理士、州立ミズーリ大学コロンビア校心理学部・非常勤講師などを経て来られております。

 

なお、読んだだけで出来る人がおられるのか分かりませんが、ご自身に合いそうな講座や練習会に参加されたり、セルフ傾聴や、セルフで出来る傾聴の練習などの習慣化も大事だと思います。

(私の提携先で、オンラインで自宅にいながら受けられる傾聴講座をされている先生もおられますので、ご参加を検討されたい方は、お気軽にお問い合わせフォームよりご本名でご一報ください)。

 

「傾聴」に関心のない方に伝えるチャンスを得た

 

以下のスライドは、2017年11月に起業家・経営者向けの少人数な勉強会で、私が発表した拙・内容の一部です。

これは、ビジネスモデル・デザインを現実的に活かすためにしてきたことを、シェア発表してほしいとのリクエストに無料で応えたものでした。

発表のメインテーマは「傾聴」ではなく、ビジネスモデル・デザインを使って創案した「傾聴サービス」のほんわか倶楽部を立ち上げた人間としてのシェア講義でした。

ビジネスモデルやマーケティングも、とても重要ですし私も好きなのですが、本当は私が一番、ここで伝えたかったことは『傾聴』についてでした。

タイトルとしては、ビジネスモデル・デザイナー(R)として起業家からウケが取りやすい、『ゼロから半年で!~マッチングモデルの実現 5つの” リアル “ステップとは?』というものにしました。

 

以下は、その中から『傾聴』に関する部分を抜粋したものです。

ビジネスモデル・デザインには強く目を向けてきたが、「傾聴」というものに、まともに目を向けて来ることのなかった方向けとして、ほんの触りまでに留めた内容として創った部分です。

逆に言えば、傾聴自体に関心がなかった起業家・経営者に興味付けができるチャンスかもしれないと、私は捉えました。

ここでのポイントは、「なぜ、傾聴に特化して選んだのか?」にフォーカスしました。

他にもメンタルケアの手法は様々なものがあり、一般的には、アドバイスをするタイプの提案型カウンセリングが手っ取り早く視えて、そちらを選ぶかも知れません。

(傾聴では、ココロのことに関してアドバイスをしない方向で進めていきますが、その理由については後述します)。

メンタルケアの中でも傾聴に特化したものは他社でも限られているようで、特化しているように視えても実際に受けてみると、本来の傾聴とは、かけ離れているものだって少なくありません。

そこで、なぜ、傾聴に特化を?というところですが、ビジネスモデル・デザイナー(R)としてマーケティング的な視点もありつつも、それ以上に『傾聴そのもの』に対するものがあってのことです。

(私の個人的な想いなどだけではなく、なぜ傾聴なのか?について、傾聴の第一人者の先生方が述べられているような知見も、各位の著書などから知っていただければ嬉しいです)。

そうは言いましても、ここでは前述のような場でのシェア講義でしたので、傾聴に関するスライド自体は超・初心者向けにしてあります。

間に入れているコトバでの表現も、元々は、もっとシンプル・簡潔にしていたのですが、この記事を書くにあたりブラッシュアップをかけたり、結構な量の拙文章の肉付けも加えました。

そのため、慣れていない方には表現が難しく感じられるかもしれませんが、今回は「傾聴」に対して初心者ではなく、かつ、真剣な方向け限定のものに変えてみました。

初心者・初学者の方できちんと学びたい真剣な方には、上記でご紹介させていただいた書籍などの繰り返し熟読から始められることが、スグにでも出来る?と思えますし、オススメです^^

 

なぜ、傾聴?

 

「えっ?! 傾聴に特化したメンタルケア・サービス?」、「それで一体、何になるの?」と思われる方も多いかもしれません。

そこで、ここでは簡単なイメージとして、次のスライドを観ていただければと思います。

 

 

少しの間だけ、目を閉じていただいて・・・(寝ないでくださいねwww)

誰よりも大切な人を思い浮かべていただけますか?

どうでもいい人ではなくて、本当に大切な人です。

その誰よりも大切な人は、誠実にまっすぐ生きようと頑張り、自他共に認める努力を続けてきた人だったとします。

そこで、もし、もしも…と、この場でのみ仮定したとします。

 

 

もし、そのような人が理不尽な抑圧をリアルに受け続けてしまっていたら…と、仮定したとします。

そうして頑張り続けてきてからこそ、なかなか誰にも相談できなくなっていて、「苦しいの! 自分自身が壊れてしまいそうなの!」と…

もし、このようにココロの叫びをあげて、痛切なほどに苦しんでいたとしたら…?

あなたは、何よりも大切な方に向けて… どうしますか?

 

 

励ましますか? 叱咤激励しますか? 思いつく限りのアドバイスをしますか?

つい、そうしたくなる反射的な衝動に駆られるかも知れません。

コンサルテイングなら、アドバイスすることでも良いのかもしれません。

ここで言っているのはコンサルテイングなどではなく、もっと個人的な話だったとします。

例えば、家族から毎日、支配的な抑圧を受けているなど……。

自分でも、どうしようもできない毎日になってしまっていて、先の視えない暗いトンネルにハマっているような状態だったとします。

だからといって、他人である以上、関われる範囲は限られているわけです。

 

アドバイスや励ましが逆効果になる?!

 

そのような中で励ましたり、叱咤激励したり、アドバイスしたり、それで本当に、どうにかなるでしょうか?

その方向で行くのなら多くの場合は、よほどの介入でもしないと、どうにか出来るかどうかなど、実質的には難しいのではないでしょうか。

つまり、当事者のリアル現場の1人として加わる腹づもりがあるのなら、ということです。

そもそも介入自体が容易なものではありませんし、また、仮に介入したとしても、どうにか出来るとは限らないわけです。

(複数のカウンセリングジャンルを同時に扱えて、場数をこなしてきた熟練カウンセラーなら出来る可能性はありますが、そのようなレベルの方は業界でも、おそらく一割以下と限られているわけです)。

それ以前に下手に干渉すると、アドバイスそのものが的外れになったり、余計なストレスを与えてしまったり等、本人を余計に辛くさせることになりやすいということもあります。

私はプライベートで、骨身がきしむぐらい辛い状態にあったときに、下手な「もどき」にも当たってしまったことが、複数回あります。

そうしてかえって、傷口に塩を塗られるかのように抉られる思いもしてきました。

当時の私は、希死念慮にも強く囚われていて、ここでは簡単には言えないような…状態に蝕まれていました。

下手したら、まさしく死活問題の瀬戸際だったわけですが、抉ってくるほうは、カウンセラーなどと名乗っていながら、そんなこと思ってもいないわけです。

これらのことは肌身に染みて何度も実感してきましたが、思いの外と言いますか、案外、こういったカウンセラーもどきは多いのだと…残念ながら言わざるを得ないわけです。

(もちろん、全てがそうだということではなく、ごく一部の方々は違っていて、今、思い出しても、その応対には、ココロから感謝のかぎりと感じています)。

このことは私個人の経験に限らなくて、巡り巡って、ほんわか倶楽部に来られるクライアントさん達も、類似のことをお話しされる方々が結構いらっしゃるんですね。

その度に「あぁ…、知らないところで、アチラコチラで発生しているんだな…」と感じてしまいます…。

仮にアドバイスや励ましが的を射ていようと、そのことが功を奏するときと、そうでないときがあります。

功を奏するときは受け入れられる段階になっていて、それはココロの状態が深いマイナスよりはフラット(ゼロ)、またはプラスに進んでいる段階でしょう。

その上で、その内容のマッチ度合いがある場合ではないかな、と思います。

そうではない時に、深いマイナス状態で苦しみあえいでいる時など、メンタルの状態によっては余計にこじれさせてしまうこともあり、そのような時はリスキーと言えます。

要するに「的を射ていれば、それで良い」ということではないわけです。

「分かっている! よく分かっている! でも出来ない!」という状態を感じてきたことはないでしょうか?

それなのにアドバイスや励ましをされようものなら追い詰められていき、閉塞感が強まると予想されるのではないでしょうか?

その奥には、多くの真実が秘められていることも少なくなくて、何でも正論めいたものを振りかざすことが ” 最適解 ” とは限らないわけです。

順を追って進めていきますので、ここでスライドにグリーンの文字で書いたことも、併せて読んでいただければと思います。

 

今回のようなケースにおいて、励ましたり、アドバイスすることより大切なことは、何だ?と思いますか?

 

 

高熱を出して寝込んでいる人に寒風摩擦?

 

風邪を引いて高熱を出して寝込んでいるような人に、「すこし肌寒いけど気持ちいいし、健康に良いから、爽快な青空(寒空)のもと、屋上に出て寒風摩擦しようよ」なんて…。

もし言う人がいたら、かなりの無茶苦茶の暴挙だということは、スグにお察しいただけると思います。

下手したら、悪化させて死んでしまうかもしれませんね。

または、足を骨折している人に対して「足腰を鍛えるためにマラソンしよう!」とでも言うような例えも考えられます。

このように身体の状態なら、体温計などを使えば目に視えて分かりやすいでしょうが、ココロの状態は体温計で測れるようなものではないわけです。

以下は、ほんわか倶楽部サイトで書いたブログ記事の1つですが、こちらでは、もっとかみ砕いて記しております。

「余計なアドバイス」をしない理由

 

「私は○○さんのことを思って、良かれと思って」

 

そう思って知らず知らず、観えてもいないのにココロが測れた(見立てられた)ような気になってしまうケース、世間でありそうですが、ときに私はコワくも感じます。

そのようなケースでは、「言葉のナイフ」を突き立てていることに、まるで気がついていないような痛々しいことがあったりしないでしょうか。

または薄々、気がついていたとしても…目を逸らすかのような正当化を、ヒステリックに振りかざしてくるような、激しい自己不一致のケースもあるかもしれません。

ここで言う「言葉のナイフ」とは、たとえ善意からであっても…残念ながら、刺すほうの自己満足の効果しか得られないということになってしまいます。

この場合、刺される方は、その自己満足のために消費されるという構図になってしまうのです。

(このことについては、後述の見出し『状態により求められるものがチガウ』にて、例えを交えて触れます)。

そもそも人が人を…、凄まじく辛い状態にある人を、どうにか出来るなどと思うこと自体、おこがましいのではないか…?と、私は捉えています。

その前に、ご本人の本来の力が発揮できるようなっていただくことが大切であり、そのことがもっとも効力が強いのではないでしょうか。

では、そのためには、どうすれば良いのでしょうか?

ここで即物的に答えを求める姿勢よりも、ゆっくりひらひら、お付き合いいただければと思います。

なぜなら、傾聴マインドでは、ゆったりしたココロの姿勢も欠かせないと思うからです。

 

マイナスのメンタル状態から

 

 

ここで触れた「前に進む」とは義務感などからではなく、人間の根源的欲求に基づくものからという意味です。

このことは本来、生きている限り、誰にでも備わっているものと言われますが、これにフタをすることになってしまったり、壁にぶつかったりなど…。

メンタルブレーキがかかったまま、アクセルを踏むなんて出来ないわけで、それをしてしまったら焼ききれてしまって…バーンアウトしてしまうかもしれないですね。

(「バーンアウト」とは「燃え尽き症候群」と言われる状態のことです)

それは本人以外の人から抑圧されている場合もあれば、自ら抑圧をかけてしまっている場合もあります。

 

それと世間では、誰かのせいにばかりする他責の風潮が強いと思います。

メンタルの辛さの要因が、たとえ他責によるものだとしても、いつまでも他責を責める思考ばかりだったとしたら、どうなるでしょうか?

仮に他責ばかりが要因であったとしても、他人は変えられなくても自分は変えられるわけで、どのように向かっていくかは、ご本人様次第となりますよね…。

他責に留まっている限りは、自己回復や成長は望みにくくなってしまいます。

または、自分の責任が大きかったことで自分を責める感覚が強くなって、自己嫌悪に陥っていたとしても、一番の答えは、その人の内観から導き出したものにあります。

他責であれ、自責であれ、その両方であれ、誰かが代わってあげられるものではなく、すべては自分自身と言えますよね。

事実の現象に対して、捉え方を決めているのは、いつだって自分自身…。

ですが、どこかで分かっていたとしても、なかなか割り切れなかったり、囚われから抜け出せないのも人のココロと言えます。

そこで「話すことは手放すこと」とも言われるように、話すことによる浄化作用(カタルシス)も、次に進むためには大事なものです。

 

自己肯定感を取り戻すか、新しく見い出すために

 

 

辛い状態から、ココロを解放させて日々を暮らすためにも、ご本人のメンタルの自己回復力を上げていけることが必要となってきます。

このことはアタマで知っていたとしても、肝心のココロは、そう都合よく動けるとは限りません。

そのようなときに、真正面から肯定的な態度で寄り添ってくれる存在が、何よりも求められて、同時に本来の傾聴のポテンシャルが重要となります。

そこで、傾聴の基本態度条件に『共感的な理解』・『無条件の積極的関心』というものがあります。

(後者は以前は『無条件の肯定的配慮』とも呼ばれていましたが、その変化については、コチラのいわまつ先生の記事などもご参考の1つになると思います)。

これは言葉だけ聴いて、「はい、分かりました」的に、スグに出来るものでもないと思いますが、この2つ以上に重要な基本態度条件として『自己一致』があります。

ここまででも随分と長くなってきているのに、この『傾聴の基本態度条件』の一つ一つについて触れていくと、かなり長くなりすぎますので、このブログではまたの機会にします。

ご関心のおありの方は、この記事の冒頭でご紹介した書籍や、著者の実施されている講座などをご覧いただければと思います。

「一致」について、いわまつ先生のコチラの記事も参考になります。

この3つの基本態度条件を、何度も腑に落として浸透させてきた傾聴者が、真摯なココロで寄り添い、並走・伴走するのが傾聴の際の基本姿勢です。

(私の提携先で、オンラインで自宅にいながら受けられる傾聴講座をされている先生もおられますので、ご参加を検討されたい方は、お気軽にお問い合わせフォームよりご本名でご一報ください)。

 

おのずと質が問われる

 

いずれにしましても、表面的な態度しか出来ていない場合は、実にセンシティブで敏感な状態になっているクライアントさまには、高確率でスグに見透かされてしまうでしょう。

テクニックなどの『やり方(Do)』以上に、『在り方(Being)』の質が、とんでもなく求められるところです。

ですので、ほんわか倶楽部では先ほどお伝えしたような、傾聴メンバーご応募に対して予想を超える多数のお申し込みをいただいてきたとしても、かなりの絞り込みを行なってきた経緯があります。

この経緯については、ほんわか倶楽部サイトでもお知らせさせていただいたとこがあります。

さらに活動を続けていくうちに、その最初の絞り込みだけでも足りないところも観えてきたため、2019年の今は自らを含むブラッシュアップ&リニューアルのために、地道な準備も重ねてきています。

 

状態により求められるものがチガウ

 

話を戻しますと、ご本人の内側から自己回復力を発揮していただくために、傾聴マインドからの姿勢で寄り添われることが必要な状態のときもあるということです。

アドバイスや励ましが功を奏するのは、マイナスの状態のときではなく、マイナスからフラットな状態に戻れた時以降と言えます。

傾聴では、マイナスの状態にある方を対象としていて、共に漂うことによる効果を意識します。

(寄り添っても飲み込まれないようにするには、前述の『自己一致』によります)。

強いマイナスの状態にあるときに、アドバイスや励まし、プラスへの誘導は強いオーバーストレスとなって逆効果になってしまうことも少なくありません。

そうなると例えば、日本でも有名なNLP心理学などプラスへの価値転換を図る在り方だけでは、ここでは適さなくなるということです。

ブラスへの価値転換ができることは大切ではありますが、その前にフラットな状態に戻って、それを維持できるステップを要します。

状態によっては、一足飛び二足飛びに出来るわけではなく、ポジティブ・ハラスメントになり兼ねない時もあります。

 

励ましによる効果の作用・反作用

 

もう一つ、ありがちな例えで言えば、激しく落ち込んでいる人を励ます……つい、してしまいがちかも知れません。

ここは、痛切に辛い状態にある相手に対して有効かどうかということを、真摯に考えたいところです。

そのような状態のときは自己肯定感を見失っているか、見失いかけている状態と言えます。

つまり、自分自身そのものが存在していて良いのかどうかすら、グラグラと不安定になっている状態です。

拠り所のない灼熱の砂漠を歩いていて、カラカラに乾いて、とにかく水分を欲している状態のようなものです。

そのために何より重要なのは「受容」という水分補給です。

「受容」とは、断罪することでないのはもちろん、評価も裁きも無選択にすること、要するに、そのままをココロから受け止める在り方です。

そこから、「自分は自分でいていいんだ」という自己肯定感を取り戻すことです。

そのような時に「○○さんは、そんなんじゃない。◇◇のようなスゴいところがある」などと励ますことは、どのような効果があるでしょうか?

「そんなんじゃない」という言葉には、たとえ励ますつもりだったとしても否定の意味があります。

「落ち込んでいるあなたは観たくない(認めない)。スゴいところだけ見せていて」という、裏の冷たい心理メッセージが含まれてしまっていないでしょうか?

まるで、「スーパーマンでいて」みたいな話になってしまいますが、スーパーマンは映画の中だけのフィクションですね。

このことは、何よりも自己受容を要する方に向けては、受容すらしていないということになり、否定にもなってしまうわけです。

「あぁ…、落ち込んでいる私は受け入れられないんだ。ダメなんだ」ということになります。

人は、”良い”面ばかりではありませんが、良い” 評価をされる “ということは、悪い” 評価をされる “可能性もあるということを示唆しています。

長所と短所は同じコインの裏表、陰陽は表裏一体のワンセットであり、どちらかのみ切り離して独立して在るわけではありません。

良い悪いに関わらず、この人は”評価してくる人”なんだと思われたら、その反面を考えてしまう心理もあります。

ですので、傾聴の場においては、良い悪いに関わらず評価も不要なのだと思いますし、そのために、言葉をそのままに返す「伝え返し」のスキルが有効ということになります。

不安定になっているということは、それだけセンシティブに敏感にもなっているということです。

目を逸らされたり、評価されたり、否定される感触には敏感になっていますので、どう言葉で取り繕おうとも、スグに察知されてしまいます。

それでは、自己回復力を阻害するものになってしまい、自己肯定感からも遠ざかってしまいますので、励ましの反作用ということもあるわけです。

励ましが功を奏する作用になるのは、強いマイナス状態のときではなく、フラット(ゼロ)やプラスの状態になってからと考えられます。

 

真正面からの受容のチカラは思う以上に

 

上記の一例からも鑑みれるように、状態を見立てられるかどうか「見立て力」も大切と考えられます。

(「見立て力」については思い込みや直感など、個々人により特性も違えば在り方もチガウものに依存するだけでは、自己満足に留まったり、軸が分からなくなり兼ねません。

カウンセリングジャンルを俯瞰して、専門的な知見からのスキームを学ぶことが必要と捉えており、私の今後の課題でもあります)。

仮に、言葉では笑っていたとしても、気丈に振る舞っていたとしても、実は決壊寸前でココロでは唸るように泣いていることだってあるかもしれません。

もしかしたら、言葉にならないぐらいの絶望で涙すら出ないかもしれませんが、それだって真正面から受容されるだけで、驚くほど大きく違ってきたりします。

真正面から受容されるということには、言葉や理屈を超えて、それだけの価値があるのです。

傾聴の場で、ご本人からして「まさか泣くとは思わなかった。……けど、話しているうちに泣いちゃった…」ということもあります。

それが出来るポテンシャルがあるのが『傾聴』で、仮に同じようなスキルを使っていたとしても、まず、受け止めようとする『在り方』、この自己一致次第で大きなチガイが出るようです。

世間には、昨日まで笑っていた人が翌日には自殺した、このようなケースもあることを忘れないでいたいと、私は思います。

何でも深読み・裏読みすれば良いとも思っていませんが、少なくとも表面だけを視て、薄々感じられる違和感から、目を逸らすような自己不一致はしたくないと思います。

その時点では違和感の正体が分からないから「違和感」なのであり、違和感にフォーカスして、少しずつでも明かされていけば、自己一致して違和感ではなくなります。

「違和感」には意味があることが多く、少しのサインの奥に、大きなうねりの心情が秘められていることも少なくありません。

 

 

「積極的な関心を持って、心を寄せるように肯定的に聴くこと」

読むと、言葉としては、もしかしたら簡単そうに観えるかもしれませんが、実行するためには、そのためのステップがあります。

繰り返しになりますが、表面的な理解や態度では見透かされやすいと思ったほうが適切です。

 

技法をなぞるばかりが『傾聴』ではない

 

 

「傾聴って、ただ、ウンウンと相槌を打ったり、相手の言うことを繰り返して返してあげて、伝え返しすることでしょ?」

「それと、たまに要約して返してあげればいいんでしょ?」と、表面的なテクニックのようなもので捉えてしまっている風潮も、世間では多いようです。

傾聴スキルの初歩トレーニングなどで、傾聴技法をなぞるように練習することはありますが、それは基本が染み込んでいなければ応用など出来ないからです。

スポーツで言えば、素振りやフォーメーションの繰り返し練習をするようなものでしょうか。

格闘技で言えば、型の稽古をするようなものと言えるかもしれません。

これは、リアル場面においてまで、基本練習のようなことを繰り返せば良いという意味ではないですね。

クライアントさまが感じる違和感を差し置いてまで、「私、ちゃんと傾聴のテクニックも使ってるし、ちゃんとしてるでしょ?!」と、まるで自己顕示をするのが傾聴ではありません。

もし、このようなことがあれば、これは『傾聴の基本態度条件』から、著しく外れているということになります。

私もクライアントとして、ある方に感じたことがありますが、どこか、わざとらしい反応ばかりされると、話ししてても違和感を感じてしまいます。

話が痛切に真剣であるほどに、段々とイライラしてしまいますし、しまいには誠意も感じられなくなってきます。

もし、自らの練習のためにクライアントさまの時間を利用する人がいたら、そのような「在り方(Being)」では、私は傾聴者とは思えません。

結果として場数にはなったとしても、それは後から付いてくるものであり、場数を稼ぐためにクライアントさまに接するわけではありません。

クライアントさまに、少しでも傾聴の目的を渡り歩いていただきたい願いを込めて、私は接しますし、ほんわか倶楽部を立ち上げました。

そのために自発的に学び続け、ブラッシュアップし続ける地味さ?も伴うというだけです。

もし、「実践だけが学びの場」などとカン違いする人がいたとして、人知れない学びや反復練習を軽視したとしたら、それはクライアントさまに対して失礼極まりないと言えます。

「本番は練習のつもりで」というのは、練習を続けてきた人が、本番での緊張をほぐすために使う言葉であり、本番で素振りばかりしていましょう、という、ズレた錯誤の話ではありません。

それと前述のような技法は傾聴スキルの基本的な導入でしかなく、他にも技法は要しますし、深いうなずきや相槌・伝え返し・要約だけが全てだというわけでもありません。

例えば他に基本テクニックレベルでも、傾聴における質問の技術、感情の明確化のスキルなどもあったり、要約して伝え返すにしても、その場だけの要約とは限りません。

話の主訴に戻すために、その場の話だけでなく、最初の話を含めての要約伝え返しもありますし、要約するタイミングと、そうでないタイミングというものもあります。

相槌1つでも様々なバリエーションを、どのように使うか、伝え返しでも全部伝え返しに限らず、素早い部分伝え返しなど、フレキシブルに使うことが求められます。

さらにリアル場面では、クライアントさま軸に合わせながらココロをクラッチングさせるプロセス、そして、反応の仕方による帆の向き加減が、とても重要になってきます。

この帆の向き加減はカウセリング・プロセスによるものであり、小手先のテクニックだけを観てて分かることではありません。

 

 

本来の傾聴では、基本的な初歩テクニックに限らず、カウセリング・プロセスに沿った帆の向け方というものがあります。

帆の向かせ方は、捉え方や見立て、スキルの使い方次第で変化していきます。

もし関心のある方は『ほんものの傾聴を学ぶ』などを、ナナメ読みや速読などではなく、熟読されることをオススメいたします。

この書籍では「心理カウンセリングの最強の手法は、「ほんものの傾聴」である」とも書かれており、「傾聴をなめてはいけない」とも書かれています。

当然、その理由があり、『傾聴』が、なぜ『来談者中心療法』となっていくのか…。

とっても奥が深くて、幅が広いもので、知っていくほどに知らなかったことは増えて、私はワクワク感すら感じます。

同書でも、しっかりと読み込めば、その真髄への入口までは感じられてくるのではないか、と思います。

・・・

(私には、オンラインで自宅にいながら受けられる傾聴講座をされている提携先がありますが、その方は、諸富先生に、直接に教わってきたうちのお一人です。

その方からも、上記のような傾聴の先に繋がる傾聴を教えていただけます。

ご参加を検討されたい方は、お気軽にお問い合わせフォームよりご本名でご一報ください)。

 

 

そもそも「カウンセリング」という言葉は、カール・ロジャーズが言い出した言葉であり、「来談者中心療法」のための「傾聴」は、ロジャーズが提唱を始めたものと言われております。

ロジャーズは、1982年、アメリカ心理学会によるアンケート調査「もっとも影響力のある10人の心理療法家」では第一位に選ばれており、その思想はいまや全世界に多く受け継がれていっております。

傾聴の先生方においてもカール・ロジャーズが傾聴の祖と認識されており、「傾聴」を知るにはカール・ロジャーズのことを学び知っていくことが大事だと思います。

 

傾聴の3つ目的+アルファ

 

 

このブログで人気記事にもなっている『傾聴の3つの目的+アルファ』は、傾聴の複数の専門書籍から見い出してきた内容です。

文言などの表現は、私独自のものにアレンジしているところが多くあります。

かつ、傾聴の専門講師の女性の方にも内容を確認していただき、間違っていないことを確認してきました。

上記の記事には書きませんでしだか、ほんわか倶楽部と絡めて以下に少し補足します。

 

1.自己肯定感を得ていただく(実感として)

 

例えば、クライアント様は同業他社のサービスを巡り巡って、ほんわか倶楽部に来られることも少なくありません。

一生懸命に生きているのに、理不尽な抑圧を受けている場合もあります。

ほんわか倶楽部は、そのように真剣に生きている方に向けての傾聴サービスです。

自己肯定感…「自分は自分でいいんだ」という、自らはただ一人、唯一無二の存在として認められることは、とても不可欠なことです。

誰も、その自尊心をいいように利用して踏みにじって良いものてはありません。

なのに、現実では平気でそのようなことがあったりします。

例えば、乾いた 砂漠を歩いていて、水に飢えている状態だったとします。

まず、水を飲んでいただくことが最優先ということになります。

この「水」とは、「自己肯定感」の例えです。

 

2.抱えているお悩み・辛さの整理・客観視

 

解放感を得ていくプロセスですね。

自分自身が抱えている問題や苦しみ、辛さの正体を知っていくプロセスです。

客観的に見れるようになれないと、傾聴の時間が終わって、現実に戻ると、またスグに同じ状態に戻ってしまいかねないかもしれません。

それでは「傾聴」は、ただの現実逃避でしかなくなり、依存、甘えの構造を誘発するものでしかないということになってしまいます。

有料の傾聴サービスとは、そのようなことに、まるで人の弱みに付け込むかのように料金をいただくものではありません。

クライアント様が、自分自身を生きていけるようになっていただくための、ちょっとしたお手伝い、そのためにあります。

そのために思うまま話ししていけるようにするのが、傾聴する側の役割です。

 

3.自分自身の方向性を、ご自身の中から見出していただく

 

ここで言う「自分自身の方向性」とは、他人から押し付けられたものや、受け売りのものでなく、という意味です。

そのようなもので、自分自身を生きていけるわけでもなく、抑圧されてしまうことが強くなります。

大切なのは自分自身の中から、もっとも自分にフィット、マッチした、自分の方向性、明日からどうしていこうか、ということを見い出していただく気づきです。

クライアント様がご自身の心の声を聴くのが難しい状態の時、傾聴する側、私たちを鏡のように活用(利用とは言わない)していただくことで、段々と、自らの心の声を聞けるようになっていただきたい、ということですね。

私たちに出来るのは、そのお手伝いまでであり、助けてあげる・救ってあげるなど、おこがましい考えは、救急隊員やレスキュー隊員などでもない私たちには、あり得ないのではないでしょうか?

その方の表現の自由ではありますが、「○○さんを救ってあげたんですよ」と言うカウンセラーの発言を、たまに耳にすると、私は、どうにもモヤッと感じてしまいます。

たとえ結果として、救われたと思ってくれる人が有り難くもおられたとしても、私は「助けてあげた・救ってあげた」などとは、謙虚ぶっているわけでもないですが、思えませんし言えません。

「助けた・救った」のは、その人本来の生きるチカラ(本能、根源的欲求)によるものではないか、と思えます。

たまたま、一時期、ココロで寄り添ってみて、それらを少し後押しするキッカケぐらいにはなったのかも?しれない…としたら、それだけでも、かなり御の字で光栄なことです。

続けて、以下はプラスアルファですので、傾聴の目的からは外れて、その先の一歩とも考えられます。

 

α.次に、自己効力感

 

自らを取り巻く周囲に対して、自ら働きかけが可能だという感覚です。

または、自分らしく生きていける、そのための目的に向かって進んでいけるポテンシャルやチカラがあるという、内観による自覚から及ぼされる自己の存在意義や潜在力への気付きです。

これは、世間に自分らしく影響を与えられるようになる最初の一歩とも言えるものであり、「自信」とも言えるでしょうし、もっと言ってしまえば使命への「確信」とも言えるでしょう。

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