我欲ノットイコール

ここ最近、読みやすさより、自分が頭に浮かんだままを書き綴るばかりの吐き出しを、ウォーミングアップと内心で呼んでしているな、と感じる私です。

・・・

誰もが、それぞれの心に望む自分や望む状態があって、そこに向かいたい欲求・願望などがあるから、葛藤も生じます。

葛藤から逃れるために「足るを知る」(身分相応に満足することを知る)も良いですが、足るを知るばかりではなく、「自分にとって、自己実現とは何か」を考え続けるのも大事だと感じています。

そもそも、老師が伝えたという「足るを知る」というのは、行き過ぎた欲望に呑まれないようにするための言葉かと私は認識しております。

それは、私のように流されやすい人間には大事なものです。

同時に、時に欲望があるから進んでいける先もあるので、この言葉だけで全てを言いきれるものではなく、欲望の取り扱い方次第だと捉えています。

また「足るを知る」には、日々のことに感謝するという意味を始めとして、すでに全てを与えられているということを感じるための心を大切にしなさいという意味もあり、これは忘れてはならないと思います。

さらに「足るを知る」には続きがあり、「足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り」とあります。

これは、自分を知り感謝して満足できる者が心豊かな人間であるだけでなく、努力を続けられる人間は、それだけで目的を果たしている、というような意味だそうです。

つまり、現状に満足していればそれでいい、などとは述べられていないということですね。

先ほど私は、「自分にとって、自己実現とは何か」を考え続けるのも大事と感じていると書きました。

いえ、考え続ける前に感じ続けたいものです。感じ続けて、考え続けて、行動し続けるの順番だと思います。感じるが先だと思います。

感じる(想像)→思考→行動、ですね。
そして、行動して、また感じて(想像して)思考して、また行動というサイクルになっていきます。

「人間は、2度、想像する」ですね。

ここでポジティブ心理学も大事だと思いますし、キラキラベールで覆って誤魔化してしまわないようネガティブに目を向けることも欠かせないと思います。

ですが、自分が自分であることを社会に反映させ続けていきたいのであれば、ここで忘れてはいけないのは目的です。

それはキラキラベールで自己顕示欲さながらに承認欲求まみれになり、見る人から見たら痛々しい姿をSNSに自ら晒すことでもないでしょう。

つまり、承認欲求を満たすことが目的なのか、ということです。

そのような人もいるのかもしれませんが、私はその程度の欲求を満たすことが目的にはなりません。第一、それは人気という他人任せの要素が大きいものです。

人気を得るのは伝えきるための手段としては有効ですが、それ自体は自己実現の目的にはなりえません。

もし、それに気がつけていないのだとしたら、(一見して)意識高い系は、なぜ、うっとうしく思われるのか、も、たまには、まともに考えるのも良いかも知れませんね。

何かを誤魔化していたり、自己顕示欲や他者卑下が透けて視えていたりなど、自分が気が付いていないが、他人からは視えている自分というものもあります。

この辺りは心理学では「ジョハリの窓」で明確に述べられています。

逆に、おれは人と違うものが視えているんだぞ!と、ネガティブや他者非難をばらまいて自らの優位性を誇示することが、自己実現でもないでしょう。

これらはどちらも、誰かを蹴落として自分を優位に魅せたいという卑怯な心理であり、前者はポジティブ気取り、後者はネガティブ気取り、キラキラとニヒルというところでしょうか。

自己実現とは、そのような我欲ばかりを満たすためのものではなくて、もっと、その先にあると思えます。

少なくとも、我欲からのモチベーションって、そんなに、いつまでも長続きするものでしょうか? または、いつまでも人を惹きつけ続けられるでしょうか?

私も我欲で走ってきた時があるから思いますが、終いに虚しくならないですか?

自己実現って、いわば「使命」のようなものではないかと思いますが、我欲が使命なわけはないですよね。

つまり、我欲=自己実現というよりは、少し譲って、我欲ニアイコール(≒)、でも本来はノットイコール(≠)自己実現ではないかとさえ思えます。

↑まぁ、ここで明確に定義しなくても良いのですが。

例えば、有名な「マズローの段階欲求説」では、自己実現の欲求は、欠乏欲求(生理的欲求・安全の欲求・所属の欲求・承認の欲求)である承認欲求より上位の「成長欲求」にあります。

当然ながら欠乏欲求がある程度、満たされていないと、「成長欲求」には進めないか、メンタルブレーキや過度のストレスにぶち当たりやすくなります。

なりますが、目先のことに囚われ続けると、いつまでも目先のことに囚われ続けるというパラドックスがあります。

そこで、成功者になりたければ、成功者の心理を得ることを先にするから、その状態が近寄ってくる。成功したから、その心理になるというものではない、という逆説からの実行です。

成功したら、心に余裕が出る、としていたら、余裕のないままの心では、いつまでも成功しないからです。

豊かさマインドの心であれば、お金も後から付いてきたり、時間もゆとりが持ちやすくなり、欠乏マインドでは、いつまでも空回りに欠乏するというものです。

小難しい言い方になりますが、これは、欠乏欲求より成長欲求を強力に優先させ続けることを意味しますね。

そうして、自ずと欠乏欲求は満たされてくる経験をすると、目先のことに囚われにくくもなります。

大きい願いが叶えば、小さい願いは自ずと叶うことを、仏教では「大願叶えば、小願叶う」と述べられています。

または、時間管理のマトリクスでは、人間的な成長のほうにフォーカスして時間や労力を割いていくようにマネジメントすることを言われています。

ここでふと、「愛は、求めるでもなくて、与えるでもなくて、ただ、そこにあるもの」という言葉を、私は思い出しました。

「愛を求める」のは、いわば承認欲求とも言えます。

程度度合いにもよるのでしょうが、みんな、私を見て!、愛して!という空気感が日常的に透けて感じられると、子どもでもないのに痛いなと私は思ってしまいます…。

「愛を与える」のは、もし、見返りを求めなければ承認欲求ではなく、純粋な自己実現欲求かもしれませんが、見返りを全く求めないのは、私は難しいなと感じてしまいます。

ただ、GIVEすることの大切さは感じてきましたし、TAKEされることばかり望むような人とは仕事はできなくなるだけです。

GIVEする人が最も成功するが、その中でもうまくいく人とそうでない人との差は顕著で、これは、やはり有名な書籍『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』に研究事例を元にして詳細に、その理由が述べられています。

同書の著者、組織心理学者のアドム・グラントさんはTEDでも軽快な語り口調でスピーチをされていて、あちらこちらで紹介されていますね。

『【日本語で聴くTED talks】 – アダム・グラント: 「与える人」と「奪う人」 ― あなたはどっち?』

 

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