正常性バイアスの怖さ

 

言うまでもなく、人は「自分を生きるため」に生きています。

誰かの自己満足に消費されるために、お人形さんとして存在しているのではありません。

 

それなのに、思う通りの結果を出してくれないからとクライアントのせいにしたり、腹立たしく思ったりする先生もどきだとしたら、それはコントロールしたがっているからでしょう。

コントロール・マインドには、他者依存、または支配性が秘められています。

評価に一喜一憂するマインドでは、その人自身が自分を生きていられていなくて、他者に左右されているということになります。

つまり、セルフ・イメージが低く視野狭窄と言わざるを得ません。

良い評価に恍惚としたりする拡張自我を求めるために、クライアントを操作したり、心理ギミックを使ったり・・・。

しまいには怒ったりまでするカウンセリングは、もはや、カウンセリングですらないと私は感じます。

車の運転ができないのに、運転の仕方を教えているような先生もどきは、あちらこちらにいるのも、また現実だったりします。

もちろん勿論、全てがそうだと言うわけではありません。

 

私は心理面を「治す」とか「矯正」という言葉が、どうにもココロに馴染みません。

馴染まないどころか、今はまだ言葉にならずとも、本能的にキケン信号の鐘が鳴ってしまいます。

一昔以上前の精神病院の恐ろしい在り方も、かつて見学で観て、その後も学んできましたが、その時のシーンが頭をよぎってしまいます。

この一昔前の在り方の内訳にある思想は、はなはだ非人道的とされ、現在では改正されているかに見えますが、マシになった程度とも言えるかもしれません。

 

時代が変わったからといって、ガラッと根本的に変わるとは限らず、観えにくくなり知らずしらず受け継がれている場合もあります。

それは、いまだに薬物療法をメインとしていることから抜け出せていない実態と、その背景からも伺えることかもしれません。

この精神薬が効かないなら、次はもう少し強いクスリ、量も増やして……と、そこから抜け出せないスパイラルとなってしまいます。

量を加減する方針の医師もいるものの、薬物療法がメインなのは変わらず、先進国の中で、特に日本ではこの傾向が強いそうです。

メンタルの症状にも寄りますが、服薬を始めると大半は、止める・または減薬することは、本人にとってもはなはだリスキーとなってしまいます。

(できるケースは少ないですが、あるようです)。 

そうして二度と抜け出せないまま、次第に服薬は強くなりながら副作用にもさいなまれ、ドロップアウトの根強い連鎖となってしまいます。

 

精神科併設の心理カウンセリングと言っても、形ばかりのそれでは効を奏することもなく、そんなものだと思われてしまう背景もあります。

数年前の話ですが、私は、当事者と一緒に暮らしていた時期があり、精神科への同伴も何回もしてきていました。

それなりに評判も良い医師、大きな病院でもありましたが、寛解に向かうことなど夢の話のようにすら思えました。

変更前の病院でも、そう違いは感じられなかったように思います。

当時は、当事者たちのスカイプグループで、他の地区の精神科を受診しての話も、毎夜、聴いてきました。

その中から特に共通した傾向を思い出して記しましたが、今もリアルタイムの話です。

私は、それぞれの立場や環境、在り方は違っても、同じ時代を共に生きる併走者・伴走者でありたいと思います。

 

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