外的より内的

上記のアイキャッチ画像には、ピンク・グリーン・イエロー・レッド・ホワイト・パープルなど様々なカラーの花々がキレイに生えている横に、ふさふさした木々が立ち並び、心地よさそうな雲が浮かんだ晴れた空の写真を採用してみました。

これは人それぞれのカラーがあるということや、成長の仕方も違いがあるということ、それでも寄り添って生きていく上に晴れた空があるということをモチーフにしてみました。

今回は私が望む状態から徒然に思ったことを、以下に記していきます。

望む状態などについては、もっと詳細に記してあるシートもあるのですが、それはここでの本題ではありませんので割愛していきます。

(この記事は分かってもらうために書いているというよりも、どちらかと言えば、自分自身の吐き出しであり整理です。そのため、多々、分かりにくい箇所があるかなと思われます)。

 

それでは本題に移っていきます。

いつもエネルギーが自然に湧いてきて、クリエイティブで発想も湧き出てきやすく、フローな状態を私は望みます。それも心底、望みます。

望むというより必須です。もはや。そうでないと気持ち悪くなったり、息苦しくなったり、しまいに体調にまで影響してしまいます。

学びも活発で、日々の気付きも発見もあり、そうして、日々、成長を感じられる状態。

つまり、精神衛生もパフォーマンスも良いフローな状態。外的世界が、どうであれ、内的成長を続けられる自分の状態です。

この志向性を踏まえて本当の意味で、一緒に歩いていける人と仕事であれ、プライベートであれ過ごしたいと思っています。

人は希望がなければ歩けないと私は思っていますが、きっと、このことには同感される方も多いでしょう。

希望の光を見失うと、どこに向かって歩けば良いか分からなくなってしまいます。

私は、人は何かしら成長するために生まれてきたのではないかと思っています。

ちなみに仏教でも、魂の役目は成長するためにあると言われるそうですが、仏教が全てではないかとも思いますので、それが全てというわけではないかもしれません。

何かしらのメンタルブレーキや障害が壁となることはあるでしょうし、私もたくさんあるので、それは頷けます。

ただ、それでも私は生きている限り成長しない・変化しないというのは、どうも釈然としない感じに思えてしまいます。

ダーウィンも述べていたらしい「もっとも強い者が生き残るのではない。もっとも賢い者が生き残るのでもない。変化できる者が生き残るのだ」という言葉も思い出します。

杓子定規に考えているわけではないので、曖昧さ・ファジーさも良いとは思いますが、それは誤魔化したり自分に嘘を付くことではないと思います。

ゆったりと怠けるは違うみたいなものです。

もし仮に、成長や改善への変化を崩される人間関係なら、まず、その崩される要因に対して、どう対応するか?という思考が求められますよね。

黙って時間が解決することならまだしも、何度も前進へのブレーキがかけられたり、もし間違って、三歩進んで五歩下がるなどのようになってしまっては苦しいばかりです。

例えば、要因を外すということが考えやすいのかも知れません。

それならば、どう外すか?ですが、1つは物理的に外すということが手っ取り早く考えられそうですね。

これは「外的」(外との繋がり)をコントロールするというものになります。

多くの人が、まずここから考えてしまうと思いますし、即効性もあるように思えます。

断捨離であり、交通整理とも言えるのかもしれませんが、かんたんに言えばスルースキルです。

しかし、これには排他的思考も伴って、切なさや哀しみも感じられてしまうかも知れません。

それでもいいんだ!と振り切れるならそれで良いかもしれませんが、それで振り切れない場合は?

それも利害とか執着心とか、そういうレベルのことではなく、もっと根本的なところでの繋がりのようなものを感じ取れていて、だが、それがうまく認識できていなかったり、たからうまく機能していないと感じる場合は?

 

先ほどは「外的」(外との繋がり)をコントロールするというところから書きましたが、次に「内面」から外す(内的コントロール)という視点で考えてみます。

実際は他人をコントロールできるものではなくて、自分がコントロール出来るのは自分だけなので、自分に視点を向けるということです。

自分の感情は、自分が責任者です。他人の動向に右往左往されていたら、それは他人任せという実にあやふやなものになってしまいます。リスキーですね。

 

例えば、何かしらの執着があるなら執着を手放せば良いということになりますが、それがとても難しいという場合も少なくないかもしれません。

その場合には私はセルフ傾聴から始めたりしますが、その方法については、誤解のないように伝えようと思えば長くなるので別の機会にします。

(それは世間一般では、まだまだ、まともな傾聴が浸透していないところも少なくないからです)。

セルフ傾聴でどうにも済まない場合には、まともな傾聴ができる傾聴者の方に聴いてもらうのも良いと思います。

いずれにしても「話すことは手放すこと」ともいいますが、それは、ただ話すことだけで手放せるというわけではありません。

ただ話すだけでも良いかも知れませんが、それは一時的にカタルシス(自浄作用)が得られるだけで本当の解消にはならないと私は感じています。

ただ、ウンウンと聴かれるだけの違いと、心の奥から寄り添って聴いてくれることの違いは、言葉を超えたものです。

言葉で言えば、そこに共感的に寄り添いがあるかどうかということと言えますが、これは態度が9割を占めるのは知っている方も多いでしょう。

態度とは、その時点での「心の在り方」から醸し出されて、それが言葉を超えて相手に伝わります。

 

前述した執着だけではなく、他にも様々な感情がうごめいて、渦巻くときもあるかも知れません。

例えば、何かしらの期待への執着もあれば、囚われや相互理解への願望など、誰もが持ちやすいのではないでしょうか。

7つの習慣』でも言われるような「理解してから理解される」ということへのパラダイムシフトに至るには、ステップがあります。

そのステップを踏めていないと、わだかまりが生じやすくなりますし、ステップ以前の、もっと手前のステップが必要な段階の場合もあります。

自己成長のためのマインドセットではなくて、その手前の心理カウンセリングの要素がいる場合もあります。

その段階では、闇の中からでも光を見出だすプロセスも必要になったり、これはとても痛みが伴うことも少なくないように思いますが、闇から目をそらせば闇に呑まれるだけです。

闇を泳ぎきってこそ得られる世界もありますし、一度、泳ぎきったとしても、まだ残っていたのか…と驚愕にさせられることもあります。

人は生きている限り一生、勉強。問題がないのは墓場だけ、と言われる所以のようにも思えますね。

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