モデリングのドボボン

ご存知の方も多いでしょうが、「モデリング」の有名な?ステップとして「守・破・離」があり、これは新しく物事を見に付けていく際に欠かせない重要なステップです。

「守・破・離」について知りたい方は、過去の拙記事をご覧いただければ幸いです)。

これを知らずに、いきなり「破・離」、つまり、いきなり自己流だけでしてしまうからうまく行かないんだ、というものであり、これは私も強く同意ではあります。

しかし、この一連のステップにはメリットばかりではなくデメリットもある中、世間ではまるでメリットばかりに焦点が充てられているようにさえ感じられます。

今回の記事では私の個人的な話も記しますが……過去の実体験も踏まえつつモデリングの反面、その落とし穴に関して思うところを、あーだーこーだーと綴ってみます。

この記事全体で4400文字以上あり、すこしクドくて小難しい表現も含みます。

 

ノリノ~リ

 

私も起業当初、起業や営業などの先輩と思っていた人から言われ、目先ウケの良い表現、とにかく早い実績に繋げるためだけの表現ばかりをすることに、最初はあまり深く考えずノリノリで乗っかっていた過去があります。

その人は実績も人脈もあったり当時は目立つ位置にいる人で、そのときには惹きつけられるものも感じていましたし、とにかく素直に私は聞きました。

ところがそれは、いつしか「素直」の範囲ではなくて私は「従順」になってしまっていたと、今では明らかに思います。

口ゲンカをしなかったわけでも全然ないのですが、人は上下関係に甘んじたり支配したりされたりすることで、ココロの快感を感じる性質もあります。

関わったのは起業当時から5~6年ほどでしょうか、もう少し長かったかもしれません。

その人とはニコイチのペアとして密接な連携・協業を続けたものですが、数字的にもトータルすると私が大損に偏った吸い取られた形で終わりました。

それこそ当初はモデリングも徹底的にし続けましたし、たくさんのことを先輩クラスの人達から、さらに、その上の先生クラスからも言われ続けて、とにかく真剣に受け入れ続けた長い時期が私にもあったものです。

ココロを押し殺した尋常でない努力のかい?もあり、一通りおおむねの再現もできるようになったり、知名度も上がったり目先の実績にもなったりはして、その時点では鼻高々で良かったように思えました。

手前味噌ですが、パワフル、アグレッシブと言われることも少なくはありませんでした。

ですが、その年月と実績の裏で私自身、気が付かなかった喪失をしていたのに、かなりの痛みとともに直面させられたのは、ずいぶん後になってからでした……。

一言で言えば、当時はそれなりのお金にはなっても、その裏でココロの財産を蝕んでいたことになっていたわけです。

キラキラ、アグレッシブに自分を切り売りしていたとも言えます。

その時は知名度を上げて稼ぐことばかり優先して、うすうす自分でも感じていたのに目を反らし続けていたようにも思えます。

 

ちなみに、コミットはいらないと思う

 

私は「決断」も「誓い」(コミット)も川の流れのように移ろい変わるものだと、それで良いのだと今は思っています。

そりゃ、ミーティングや待ち合わせの日時を守るなんてことは当たり前ですが、そういうものではなくて、私は必ず実績を出します!などのコミットメントの類ですね。

コミットがいらないと思うのは、いい加減な意味ではなくて、在り方や内容によっては「移り変わる」のが「本当」だと思うからです。

「だって、にんげんだもの」……ですよ。

それに世間の有り様も、どんどん変わるわけです。

コミットしたから何が何でもしないとならないかのように縛り付け合うのは好きではなくて、ただ態度と行動で示してくれたら、私は嬉しいと個人的には思います。

逆にもし万が一、決意や約束、誓いだけを観て相手のココロに盲目になってしまうとしたら、そのほうが怖くも思えるのです。。

それは、ややもすると、心変わりを認められずワガママなハラスメントを引き寄せてしまうかもしれません。

それに少し蛇足ですが、誓ったところで現代日本で生命をかけて仁義を通す人も、まずいないでしょうし、そこまでではなくても「ズッ友でいようね」的に言い合うのは、子どものうちだけではないですか?(笑)

 

不自由のタネ

 

前述の私の起業家先輩(男性)とは仕事上、なかなか離れられず、そうこうしているうちに10年来の公私ともの交流にまでなっていたのは、周囲からも「長いですねー」と良い意味で言われたものです。

長くなるほどに影響や関係性も、いろいろと増えてきました。

悩んで悩んである時から少しずつ離れたのですが、私自身、どうにも我慢できなくて、自然とそういう言動と行動に持っていったのだと記憶しています。

良い学びや経験値になったところも色々とありましたが、残念ながらココロを蝕まれていたほうが結果として多かった……と、何年も経ってからやっと気が付けた背景からでした。

蝕みのタネが芽生えているのに気がつくのが遅くて、犠牲にしてしまったり失ったもののほうが、私の人生には本当にかけがえなかったもので冗談では済まされません。

それは、どこまでも深く強い痛みとして、私に生涯、背負い続ける楔(くさび)としてあります。

もちろん、そのマイナス影響が決して全ての要因ではないものの、予想以上に私の中には根強く染み込んでいたと…… 深層に踏み込んで視えてきた経緯があります。

(人はとんでもない辛さに苛まれると、普段は視えない観ない深層心理の階層にダイブできるときだってあります)。

根本的な違和感を感じながらも半ば強引に割り切ってメンターかのように相手を扱って関わり続けていた最中は、それほどまでにリスクとして蝕まれていたのだとは、思う以上にココロの奥に根深く入っていたのだとは気がつけないでいました。

キツさと優しさ、他人は他人と意識してれば使い分けられると思っていましたが、不自由のタネとして自ら望んで植えてしまっていたようです。

人のココロは、頭で思うほど自由でもなければ都合よくもありません。

接する人間関係・環境などから思う以上に、深層心理に影響を受けていると言われます。

今となっては、もっと早くにその先輩ぶっていた人と離れて、不自由のタネを、その芽が伸びないように考えられていたら…と激しく悔やむ時もありますが、わたし自身のことです。

今、これからの自分でどうするかだけだなぁ~と、ゆっくりひらひら思うようにしています。

とにかく「本心に正直」が大事だと、誰も自分に一切のウソはつき続けられないのだと痛感しています。。。

 

頭を垂れるということは安くない

 

私自身のちょっとした経験を思い返すだけでも、(一時的ではなく)教わり続ける姿勢で接することで受ける影響は大きくなるんだな~と思えます。

教わり続ける姿勢でココロの中で頭を垂れると、その影響は良くも悪くも強くなる働きがあるような気がします。

そして、何らかのアクションは最初の動機を強化して定着化させる働きがあり、思う以上にココロの奥にまで刷り込ませる働きがあります。

行動は、動機を強化します。強化させて定着させます。

つまり「朱に交われば赤くなる」ということですが、その赤色を自分自身に本当に染み込ませたいかどうか?が大事なポイントだと言えますね。

なぜなら、「朱に交われば赤くなる」の赤は、スグには脱色できないからです。

 

「クスリは、リスク」

 

かつて私が関わったその先輩本人は、このような裏面が生じていようとは気が付いていないと思います。

今でも、上から目線で恩着せがましい連絡が私が忘れた頃に来ることがありますが、それは自覚があれば出来ないことと言えるからです。

わるく言いたくはないのですが、薬(クスリ)よりも毒になっていたことは自覚ないのだろうと思えますし、私も、その人に言うつもりはありません。

おそらく、お互いにかなりの無理が出るでしょうし、その必要も私は感じないことです。

 

ドクターによっては「クスリは、リスク」とも言いますよね。

最初はクスリと思って飲んでいても必要以上に服薬するとリスク(毒)になるという意味で、リスクには不具合や副作用が生じるから、というものですね。

合う・合わないもあって、それは良いわるいではないと思います。

ココロの在り方や、ココロが居るところは人それぞれ違うのですし、進み方も進みたい方向も起業家でしたら自らが創っていくものと私は思っています。

「所属」や「連携」をすることはあっても、「独立独歩」が起業家だと私は思うところです。

そして、「連携」はココロからの「相互尊重」を、常に配慮しようとする姿勢や言動、関係性が大前提だと思います。

モデリングを優先し過ぎるあまり、このような点が抜けていたら哀しいことでしょう。

仕事ですので楽しければ良いとまでは言いませんし、多少はしんどさが伴うとしてもそれすらも楽しめて(苦楽しい状態)、その何十倍も楽しさや成長していける充足感や、自己肯定感を得られているかどうかではないでしょうか?

虚飾でも演出でもなく、本心で楽しく充足感を得られるかどうか?です。

 

イマドキの「破・離」は、自分で決めたっていい時代

 

モデリングのステップとして「守・破・離」をお伝えしたことがありますが、この「破・離」段階は必ずしも年月や実績、他者承認ではなくて、一番は自分自身がどう感じているか?だと思います。

もし、自分に合っていない所で何らかの承認(赦し)を得ようとして踏ん張るということは、下手すると蝕まれるということにもなる諸刃の剣です。

それは、自らのポテンシャルを阻害することにもなり兼ねません。

私に先輩風を吹かし続けたかった彼のようにメンターに見合っていない人がメンター気取りでいるのも多い世間で、頑張らないほうが良いことだってあります。

精神衛生上、はなはだ良くなくて弊害のほうがコワいことだってあります。

自分自身がどう感じているか?ということを最優先して、「破・離」ステップは自分で決めてしまっても良いと言えるわけです。

考え抜いた上で、自分のココロが感じ取るものを大事にしていただきたいと願います。

 

大海だって、大空だって

 

人はお互いが唯一無二だからこそ、相互尊重や自由を踏まえた関係性が大切だと思います。

そうして無理のない範囲で連携し合える相手とは、その意義がお互いにあるのならば付き合いを続けていく、というのが本来の起業家のスタンス(姿勢)のように私には思えます。

もし、そのいずれかが明らかに偏っていたり欠けていたりする場合は、見直す必要があるように私には思えてしまいます。

見直すとは、例え、その場所自体はどうにも出来なくても「破・離」は、その気になれば自己判断で…… 大海にも大空にも踏み出せるはずという意味です。

自由は怖くもありますけど、飛び出してしまうと案外そうでもなくて、伸び伸びと楽しかったりもします。

目を向ければ、世間にはヒントがいっぱい散りばめられています^^

 

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