まずイメージ

立て込んできたときや急場のときこそ、その人の性分が問われるというのは、誰もがピンと来るだろうと予想します。

私はそのときの姿こそが、その人の「本質」全てとまでは一概に捉えず、心の習慣の一面が出たまでと捉えます。

それに伴って、日常の在り方、その心の整え方が、そのようなときこそ顕著に反映されるとは感じます。

『窮すれば鈍する』(きゅうすればどんする)などは最悪に思えますし、そのときに物事や人に対して、自分で後悔のない接し方をしたいものです。

論語で「君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず」という言葉がありますが、以下のような意味です。

(『故事ことわざ辞典』より引用)

すぐれた人物は協調はするが、主体性を失わず、むやみに同調したりしない。

つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないということ。

(引用以上)

こう読むと、短絡的に比較して「私は君子じゃないから」・「つまらない人物だから…」と落胆するでしょうか?

それとも君子にまではさすがになれないとしても、少しずつでも意識して近づこうと考えるでしょうか?

人は良くも悪くも、イメージした通りの姿が反映されていきます。

落胆に留まれば留まったなりの自分の姿に停滞して、上がっていこうとイメージすれば上がっていこうとする自分になっていきます。

大切なのは、まずイメージであり、そのためには思考と感情の整理、つまり、心を整えていくプロセスを持つことだと私は捉えています。

呼吸法なり、マインドフルネスなり、読書なり、音楽鑑賞なり、入浴なり、セルフ傾聴なり、心の整え方は様々ありますし、ここで端的に、これが良いと述べることはしません。

他にも色々と考えられるかも知れませんが、人によって、またその時々によって何がマッチするかしないかも違います。

ここで言いたいのは「まずイメージ」ということです。

逆に言えば、可能な限り、まずイメージすることを先に立てる、イメージできるまで、しばしの間でも立ち止まる勇気を持つということです。

簡単に言えば「焦らず急ぐ」とも言えるかも知れません。

この「焦らず」の本質を考えていく、思考停止・思考放棄しない、考え続ける…「考えろ!考えろ!」です。

思考法の仕方も様々ありますが、これもまた、一概に何が良いかは人によるところかな、とも私は思えたりします。

考えるという思考活動だけでなく、その時々の自らの感情がどうなっているかを感じ続けて観察していく、客観的に観ていこう努める姿勢も必要だと思います。

「思考と感情」の俯瞰、そして、コントロール、左脳と右脳、車の両輪のようなものかもしれませんね。

時には踏ん張ってでも、思考と感情をクリアにして自己一致して心地よく生きるか、何かに奪われて自己不一致で不快に生きるかは、自分次第ということになります。

主体性、自分軸を見失えば見失うほど迷走しやすくなり、迷走は空回りを生み出してしまいます。

空回りが進むほどに足元を救われやすくなり、心ない誰かから見ると操作されやすいと見られてしまうかもしれません。

そこで履き違えたくないのが「私は謙虚に振る舞わないと」という思い込みです。

謙虚さとは何かということも考えたいところです。

謙虚であるということは主体性を失くすということではありませんし、自らを過小に見せることでもありません。

日本人は勘違いしやすい風土に育てられてきたところかもしれませんが、外部記事の『本当の「謙虚」とは「自分を過小評価する」ことではない』も参考になるでしょうか。

自らを取り巻く状況や環境を、自らが伸び伸びと生きやすく、かつ周囲にとっても伸び伸びと生きやすく好転させていくために考え続け、歩き続けたいですね。

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