反面教師から学べる「本当」の大切さと希望

上記で採用した、太陽の光を全身に浴びながら悠々と飛ぶワシの姿。

とても心地よさそうで、心に”ワシの眼”を持つことの大切さを思い出させてくれました。

私たちはカゴの鳥にはなりたくないですね。

また芋虫の目のような心にも、きっと誰だってなりたくはないはずですので、心のあり方というのは、日々、感じ続けて考え続けていきたいものですね。

 

では、記事本文です。

「令和」という言葉には『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ』という意味があると、こちらの過去記事で書きました。

令和の和にも使われている文字から連想しやすい、「調和」とは、誤魔化しからのものではないはずです。

相互理解と相互尊重があった上で、素直に心から寄り添うことから始まると思います。

今は即物的な「土の時代」から、心の時代に変わるということで「風の時代」になったと占星術では言われているようで、知見の高い方々もSNSでそのようなことに触れているのを、多々、見かけます。

私は占星術には明るくありませんが、いずれにしろ、心の時代に入ったということは、もはや疑う余地はないでしょう。

そして時代が変わるということは、旧時代の価値観は自然淘汰されていくことをも意味します。

「淘汰」と書くとキツイ言葉かもしれませんが、ダーウィンが言ったとされる「強い者が生き残るのでもない。賢い者が生き残るのでもない。変化していける者が生き残るのだ」という言葉を思い出します。

このような根本的な価値観の変容が求められる時代には、必ず波が起こります。

ときには激流すら起こるのは、歴史を振り返れば自ずと明白過ぎるほどのことです。

そのようなときにこそ欠かせないのが、しんどくても本当のことは曲げずにいることです。

それは自分本意なエゴを曲げずにいるという時代錯誤のイタタ…ではありません。

自分を大事にすることは大切ですが、それはエゴを意固地に振りかざすことではなく、利他の意識を持つことです。

自分をほんとうの意味で大切にするから、他人も大切に捉えられるようになっていきます。

つまり、相互理解と相互尊重を大切にしていくとは、どういうことなのか、ということが、今まで以上に求められる時代になったということです。

時代背景を踏まえずとも、とっくに肌感覚で感じ取れている人は、既にその路線で進み続けています。

そうかと思ったら、あなたのスグ傍にも、もしかしたら、斜め上のトンデモを自覚なしに振りかざしてしまう方がおられるかもしれません。

もし、それがスルー出来ない関係性だとしましたら、とてもしんどい感覚がするかもしれませんが、単純に「反面教師」として教えてくれている、と捉えてみたとします。

自分以外の他人はコントロールできませんが、自分自身をコントロールするかどうかは自分次第です。

トンデモのエゴに擦り寄る必要はなく、すり寄ったら、それは在り方を他人任せにしてしまっていることになれます。

それは調和ですらなく単なる惨めな迎合であり、心からの安らぎや楽しさからは遠ざかってしまいます。

万が一、寂しさや同調圧力などに流されて、シンプルに明快な本当のことを曲げたりしたら、余計にしんどくなります。

これからも嘘や誤魔化しに気を付けて、実直な感性で生きていくことの大事さを実感していただければ幸いです。

その姿が仮にリベラルに視られたとしても、客観的な根拠があった上での「本当」ならば、思い込みや観念などとは別物と考えられます。

リベラルに視られるのならば、それはそれだけ、あなたという鏡を通して、その反面教師が自己転嫁して感じているということもあります。

自己欺瞞から目をそらしたいばかりに、本当のことがキツく感じられてしまうというものです。

それは反面教師の自己肯定感が薄く、自己否定感や誤魔化しが透けて視えることからも感じ取れるのではないでしょうか。

そのようなケースでは、自己欺瞞を「認めてくれないじゃない!」というトンデモの甘え発言をしてくる場合もあるかもしれません。

びっくりするかも知れませんが、それはそれで、ちゃんと聴く耳は持ってあげましょう。

それでも、本当のことを歪曲しないで居続ける姿勢は崩す必要はありません。

その態度は言葉以上に伝わる人には伝わり、いずれ漂う空気感をも変えていき、その先に希望があります。

お天道様は観ている、とも言えますかね。

 

カウンセリングで言う「心理的な安全性」を考慮するなら、トンデモがトンデモであることを突き付けられる痛みを、強く感じないように優しく受容しながら進めるステップもあります。

ただし、これは本当にマスターしてからでないと、限られた時間の中、本当のことが蔑ろになってしまうケースも少なくありません。それでは本末転送です。

ですので、現実には、しっかり自己トレーニングを重ねてから実践するというのが望ましいかと思えます。

その手前段階でスキルの実践力が弱く、エゴからの意固地に対して意地になったとしても難しいなら、究極は「期待は執着」と意識して執着を手放してしまうことです。

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