技巧に溺れずに泳ぐ

 

さて、どちらで売りますか?

  • 「” 表現力・テクニック(技巧)・手練手管で ” 」売ると視る。
  • 「” 思考(マインド)・切り口・視点で ” 」売ると観る。

 

相手の胸にストーンと落ちて続きやすいのと、売れても一時的でリピートしないのと、どちらのほうが嬉しいでしょうか?

答えは言うまでもないと思いますが、この違いは端的に冒頭の二者択一の違いです。

 

いつも、汗だくに必死に売り込みをし続けて空回る……。

その切実な一生懸命さは買えるかもしれませんが、それ以上に大事なことは何でしょうか?

肉体に汗をかくのも大事ですが、それで仕事をした気になって、実際は作業をしているだけで、脳みそに汗はかいていないということはありませんか?

 

鮮度の感じられる刺し身

 

まず、表現上のテクニック(技巧)は伝達の補完をさせるものであり、大事なのは中身の実態に他なりません。

いざ、フタを開けてみて、” 思考(マインド)・切り口・視点 ” がザンネンだったら仕方ないのです。

口が上手いから売れる・文章が巧みだから売れる、それは一時的なものです。

口下手であろうと、表現が得意でなかろうと、自信があろうともなかろうとも……。

後から、いくらでも付けられるそれらに関わらず、売れ続けるものは売れ続けるというポイントがあります。

それに、たとえ伝達力に自信がなかったとしても、本当に深いところからの中身・熱量があるなら、表現も磨いていきたくなりませんか?

同時に、むやみに技巧に走るあまりに曇らせたくないと感じるのではないかと、私は思うところです。

工夫が過ぎて自画自賛の手垢にまみれた刺身は、生ぬるくて食べれないようなものです。

(温かい体温がこもっているから、いいだろうと言われても……><、客観的な冷静さもないと売れません)。

ここで求められているのは、スッと真っ直ぐに角もしっかり立ちながら、必要以上にいじくり回されていない鮮度のある刺し身です。

 

テクニックだけでもない・不要でもない

 

テクニックで人を動かしたとしても、そんなのは一時的なものです。

テクニックは必要最小限に留めて、手練手管に逃げたり依存などしない。

(だからといって、粗雑・乱暴にもせずココロを砕いて丁寧に)。

それよりも、なぜ(Why)提供するのか?、その本質を徹底的に考えて見つめ直す。

それが、技巧を越える技巧、目には視えないような求心力を生み出す一歩となっていきます。

結局、中身ということです。

そして、中身が売れるかどうかは伝え方次第です。

「物語」は「物」以上に「語り」のされ方次第で波及していきます。

 

「物」に「語り」があれば、鬼に金棒

 

中身を重視のように言いながら、伝え方次第と言う、これは一見、矛盾しているように視えて、矛盾していません。

中身が浅く薄っぺらいものは、技巧(語り)を凝らしても訴求力や求心力は低いからです。

多少、通用したとしても瞬間最大風速だったり、砂上の楼閣のように消えていく人も少なくありません。

その逆に、中身が深く厚いものは技巧に依存せずとも、まっすぐに伝えるだけで売れ続けてリピートもされます。

この真っ直ぐに伝える・伝えきるというだけでも甘くはなくて、そのためにクリエイティブな技術を必要最小限に要します。

こうして「物」に「語り」があれば、鬼に金棒となります。


なお、中身(物)については「私や身近な周囲は良いと思っている」という自画自賛な内観だけでは、全然、足りません。

外観を客観的・多角的にリサーチするスキームを要します。

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