インターネットを介して行なう集客であっても、画面の向こう側には人がいるという当たり前のことを、しっかりと意識していたいものです。
つまり、集客活動において見ているのは画面ではなく、当たり前のことですが「人間」ということですね。
◇ 集客とは、かけがえのないご縁を生み出す心の行ない
私は仕事柄、伝わる・惹かせる文章をご本人の心の中から出てくる言葉で創り出すようにしていただくための個別サポートをすることがあります。
これは、いわゆる集客で言えば要(かなめ)となる中核を為すものであり、ご本人の中から導き出すからこそ一時的ではない集客となり得るものです。
集客と言えば、人によっては手練手管を駆使してオーバートークや、その気にさせるキャッチコピーで申し込ませてお金にさせる売り込みでしょ?と思う人もいるかもしれませんし、世間では数限りなくそういったものが満ち満ちて溢れかえっていますね。
私自身も1999年ごろより集客支援に関わってきましたので、そういったものは沢山観てきましたし、正直、かつて起業当初は使ってきたこともあります。
その上で思うのが、”所詮、一過性のものは一過性のものでしかない”という当たり前のことです。
その一過性にばかり捉われ続けると、いつまでも目先ばかりを追い続けるラットレースにはまってしまい、そこで実績は出せたとしても、いずれ虚しさも感じるようになってきたものです。
「そのゲームのような取り組み、いつまで続けるの?」って、うんざりしながら思えてしまいます。
ですが、本当に持続性のあるものとは、もっと本質的なものです。本質的なところから湧き起こる心の声であり、それを伝えきるための表現工夫です。
工夫においてテクニックは使うかもしれませんが、それは利己的な意図や自己利益重視で他者を操作しようとするテクニックとはベクトルが真逆となるものです。
かつ、本質的なものであるほど心に響くものになってきます。心に響くほどに一過性ではなく、持続的な集客効果が得られるものとなってきます。
それも高確率で、低予算で。
高確率というのは集客の厳しさを知っている人ほど、驚くほどの高確率(反応率や申し込み率、成約率など)でという意味です。
(その実績のごく一部は私の長い自己紹介でも触れています。詳しくはこちら)
本質的なところを踏まえていくことによるメリットは数字だけではありません。
人によっては透けて見えてしまうような…自分で使ってても虚しくなってくる手練手管を弄することもなくなります。
そこには話の順番や工夫が必要にはなってきますが、ラットレースで使うような引っ掛けなどの誤魔化しを含めたものとは全く違うものとなります。
人は自分自身と一致していない行動や態度「自己不一致」はモヤモヤとして気持ち悪くなり、精神衛生上もはなはだ良くありません。
引っ掛けや誤魔化し、それを「演出」と割り切ってしていようと、ないものをあるかのように見せている行為は自らに嘘をつく自己不一致になっていないでしょうか?
本当に心の奥から響くものとは「自己一致」したものであり、そうでなければ一貫性もなくなってきて出し続けること=ストレスとなってしまいます。
もし承認欲求を求めるのだとしたら、自己一致したものが他者にも響いていくことは最高に満たしてくれます。
変な演出で承認欲求を満たそうとする自己不一致によるものよりも、ずっと奥のほうで本質的に満たされたものを感じられます。
そうなった時に私は、大巨匠の心理学者、カウンセリングという概念や傾聴の祖であるカール・ロジャーズの言葉『もっとも個人的なことは、もっとも普遍的なことに繋がる』という言葉が思い浮かべられます。
自己不一致からの演出で得られた砂の家のような承認だと、風が吹けば消え飛びますね。
逆に自己一致から…鉄骨のように得られた承認だと、風が吹いたぐらいではビクともしないでしょう。
そのためにまず何より、伝えようとする自分自身の心を、しっかり見つめながら進めて、それをどのように伝えるかと脳みそに汗をかいていきます。
私が思う集客とは、常にあくせくしないとならない一時的な効果を繰り返して作り出すラットレースなどではありません。
本質的なところで響いて持続的な効果を生み出していく、心から喜びあえるかけがえのないご縁を創り出す行ないということになります。
それを現実にしていくのは小手先ではないからこそ、一朝一夕ではありません。
よほど考え抜かなければ、到底、一人ではできないことかもしれません。
効率より効果を考えなければできないことでもありますが、効率ばかり優先して目先に追われ続けるラットレースにはまってしまうよりは、結果として効率も良くなります。
効率を求めないのに効率が良くなっていく?というのは、なぞなぞみたいですが、端的に言ってしまうなら「急がば回れ」と捉えていただければわかりやすいでしょうか?
先に効率を求めるのではなくて、効果を重視して手間暇も惜しまないからこそ、結果的に効率も良くなっていくのです。
つまり、逆もまた真なりです。
それは持続性があるからというだけではなく、ファーストインパクトにおいても響くものが違う、つまり最初の反応率からして違ってくるからでもあります。
だからと言って私のように寝ても覚めても、そのことばかり考え続けることに日々を膨大に使い続けたり、長い年数をかけていただきたいとは思いません。
まず、真摯な気持ちを忘れずにお伝えしていくポイントとコツを踏まえていけば、ずっと短期間で言語化が進められて、その効果を感じ始めていただくことができます。
そのために私は「本質追求型・密接派クリエイター」として、その方に合わせたマンツーマン・フィードバックや言語化コーチングを始めとした個別サポートを実施してきました。
これは小手先の手練手管とは違って、いかに心を震わせられる表現を、そのご本人と自己一致したところから導き出して言語化していくか、という脳みそに汗をかくプロセスです。
◇ 具体化したり掘り下げるフィードバック
上記に書き切れたわけでもありませんが、それらの想いから私は惹かせる文章原稿を創っていくための個別サポートをさせていただいてきて、そこでは個々の方に合わせて様々なマンツーマン・フィードバックや言語化コーチングなどを行っていきます。
あなたのせっかくの大切で大事な想いを、より伝わる表現にしていきたい、そのためのご支援をさせていただきたいと願っています。
このための方向性をフォーカスしたり、深堀りさせていくためにティーチング要素を個別ミーティングで入れていくこともあります。
これらのフィードバックにおいては、ご本人に書いていただいたたたき台原稿をブラッシュアップさせるために、 一見すると聞くまでもないと思われるような質問を私からさせていただくことが随所で出てきます。
それらは伝わる表現を見出していくために、表現を明確化・具体化・深耕化などをさせていくための意図です。
“書き手(ご自身)の心をより伝わるように表してご縁の架け橋とする目的のため” ですので、フィードバックを受ける書き手ご本人もその目的視点で寄り添っていただけたら進めやすくなります。
言うまでもないかもしれませんが、「書き手とは伝える側、表現する側」ですね。
フィードバック上とは言え、わざわざ聞くまでもないことを聞かれてしまうと、人によっては…
感情に波風が立ってしまったり、もしかしたら「聞くまでもないよね?、心が分からないのかな?」と思ってしまうかもしれません。
このことは通常の反応と言えますが、受け手の心理だからとも言えますね。
書き手とは、受け手とは違った視点を持ちます。違った視点を持つから伝わる視点に近づいていけます。
「私は心を込めて、こういう気持ちで書いた。読んでいれば、それは感じるよね?」という思いがちな「分かってくれるだろう」は、伝えるための書き手としては落とし穴になってしまいます。
書くことで自己満足して済ませられるものならば別ですが、伝えきるために、ご縁を創り出すために書くものでしたら、「分かってくれるだろう」に留まらずに、あえて、そこを掘り下げるのが書き手(表現する側)です。
元々、このことは多かれ少なかれ知っていたり意識していたことかもしれませんが、どこまで具体的に実践できているかどうか、です。
ここがもう一朝一夕ではありませんね。ですから、個別サポートがあります。
ここでは「知っているつもり」などの「つもり」は通じない、“読み手は思った以上に分かってくれない、書き手が思うほど真っ直ぐに伝わらない”ものという前提で進めていきます。そのための質問でもあります。(読み手を信用しないということではありません。)
表現する側として、表現のための質問、明確化・具体化・深耕化などのためであり、「より伝わりやすく伝えるために書き手が考えるステップ」という意識です。
ここで行なうことは、「あなたにこそ聴いて欲しい」と巡り巡って来られるクライエントさんとのご縁を創り出すために、伝えるための取り組みです。
ここではご自身は受け手ではなく、表現者側としてのお気持ちで…
その上で自分自身の心を見つめ直す必要も出てますので、無理に急がずに、呼吸や心を整えながら進めていく意識で取り組んでいただければと思います。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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