「なんちゃって」からの、進化ろん

時代の変化に伴い、「なぜ(Why)、しているのか?」ということが、クライアント様や外部から見ても重視される時代に入っています。

 

この「Why」とは、「自分自身の必要性」と言う、ご年配のリーダーもおりました。

「自分にとっての強い必要性があれば」、ブレずに進んでいけるという意味です。

 

そのような中、段々と「なぜ(Why)、しているのか?」を表現する方も増えてきており、このようなことを表現することは、とても大切なファクターと思うところです。

ところが、実際はその「なぜ(Why)」が、瞬間最大風速、一過性のようなものだとしたら?

本人も言っている時は、大マジメで真剣です。

例えば、段々と「モチベーションがねぇ」という言葉が出で来るなどのケースですね。

「なぜ(Why)」より「楽をすること」が優先される気持ちになる、「目先のことばかり」が優先される気持ちになる、「モチベーションがねぇ」という言葉が増える等々・・・。

 

ぬくぬくする人 カラカラする人

 

上記の記事で出てきた「から太郎」さんのようなものでしょうか?

それは結局、迎合やノリ?とまでは言いませんが、その場だけで言っているに過ぎなかったカン違いで、本当に求めているものは別にあった、ということかもしれません。

いつか爆発するかもしれないような、無理は禁物ですね^^

 

なめたらあかん

 

カン違いは誰にでもありますが、では、本来の「なぜ(Why)」って、その程度のものでしょうか?

そもそも瞬間最大風速のようなもので、他人様を惹き付けられると思うこと自体が、現実としては甘く舐めているのです。

舐めるなら、「なめたらあかん 人生なめずに これ 舐めて~^^♪」というCM(のど飴)での歌がありましたね(^^)

 

 

本来の「なぜ(Why)」とは、生涯かけてでもやり通したいものを言います。

何を差し置いてもしないと、自分の気持が済まないものです。

仮に、目先のことへの対応で時間を費やしても、自然と戻りたくてしょうがなくなるものです。

だからこそ、手練手管やテクニックなどの計算や予想を超えて、人は惹き付けられるのです。

 

逆に、一過性の想いは一過性のものとして見透かされます。

この現象は、18年ほど様々な方の集客支援をさせていただいてきて、肌感覚で実感してきました。

どんなにテクニックやノウハウを同レベルでご提供して、どれだけ集客ツールをガッツリ創り込んでも、実際の数字の違いに表れますので、これは、もはや「事実」とも言えるでしょう。

時代の変化とともに、ユーザーは益々、目や耳が肥えて来ていると捉えたほうが良いです。

どんなに取り繕っても、どんなに演出しようとも、必ず、どこかでリアルを感じ取られます。

その感じ取られるスピードは、年々、早まっています。

 

反面、強く深い「なぜ(Why)」から始まったものでしたら、集客ツールをガッツリ創り込んでいる途中からでも、早期からでも、売り上げになることも珍しくありませんでした。

この現実が教えてくれたのは、「やり方(Do)」以上に「あり方(Being)」は、重要な土台ということです。

テクニックだけで人の心は動き続けるものではない、ですね。

だからといって、スキルがなくて良いということではないので、「やり方」と「あり方」は、車の両輪のようなものと思うところです。

 

「なんちゃって」のままだと?

 

そのような中、「なんちゃって」のままですと、どれだけ今は良くても、そう遠くないうちに、きっと、取って代わられるのではないでしょうか?

進化論を唱えたダーウィンが「最も、強い者が生き残るのではない。最も、賢いものが生き延びるのでもない。変化するものが生き残るのだ」という言葉を、言っていたとか言っていなかったとかの話があります。

いずれにしても、進化論では、環境に適応(変化)した者が生き残ることが研究されているようですね。

どんなに強かったように見えた恐竜でも滅びたと、学校教育で私たちは教わってきています。

 

 

「事実と意見は違う」

このことを踏まえないと、しまいに、ワガママを言っているだけのモンスターになり兼ねないかも?しれませんので、肝に命じたいと思います。

 

「なぜ(Why)」を見つめ続けて・・・三千里?

 

ご自身の「なぜ(Why)」を見つめ続けて、大事に育てていって欲しいと願います。

それが最も、自分自身の力を発揮しやすいだけでなく、ブレにくいですし、ブレてもすぐに戻りやすい等々、実に様々なメリットがあります。

しまいに、この「なぜ(Why)」が=「自分自身」とまで感じ取られてきたら、生きている実感はとても強くなると思います。

もし、この「なぜ(Why)」が今していることと違うのでしたら、時間をかけてでも変化していったほうが、唯一無二の自分自身のためではないか、と思うのです。

唯一無二の、自分自身の人生は一度切りですよね。

誰かのために生きたいと思っていたとしても、それは自分自身を生きていこうとしていてこそ、出来ることではないでしょうか?

自らの方向性は、他人から押し付けられたものや、義理や人情に縛られたもの、どこかからの受け売りのものではなく、ご自身の中から見い出していったものこそ、フィットする、マッチするといえます。

そのためには、まず、ご自身の心の声に耳を傾けることから始まります。

様々な雑音や騒音、抑圧などで聴き取りにくいという場合もあるかもしれません。

そのような時は、ほんわか倶楽部が鏡の役割のように、あなたがあなたの声を聴けるように願いながら、心で寄り添わせていただければ幸いです。

 

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