人はバランスの中で生きていて、その人それぞれのバランスが崩れると不一致となる。
自己の不一致は気持ち悪いから、バランスを取り戻したくなる。
しかし、それが思うように取り戻せない時、さざ波や激流になったりすることもあって、時には濁流になってしまうこともあったりすると、人は辛くなる。
思うように取り戻せない時は、きっと、それだけの意味があって、それは今までの自分の枠内では済まないことだから、今までの自分のようにはいかなくなる状態が発生する。
そのときに、そのことにどう対峙するかで受け止め方が変わるし、消化の仕方も違ってくる。哀しみに取るか、成長に取るかで、天と地ほどの違いになることだってあるだろう。
物事はすべて何かの意味があって、自らが引き寄せて、それが潜在意識が求めているのだとしたら、さざ波も濁流も激流も、すべて意味があったと和やかに笑えるような終着点に向かえれば、執着は終着するとダジャレてみた。

ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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