「難しい話は分からないけど、”単純”に言って○○だよね」に隠されたもの

 「単純・シンプル・分かりやすい」は” 神 “ではない。

 

まず最初に、このようなタイトルを付けたからと言って、むやみに難解にすれば良いということではないし、「単純・シンプル・分かりやすい」を嫌っているわけでもありません。

私もプレゼンテーションなどを要するときや集客業務のときなどは、分かりやすくシンプル化の手法を、随所に多く用います。

ブログでのノリとは違ってプレゼンで文字を主体として多用するのは、私は好きではないので遠く離れた席からもパッと見て分かるような創りにします。

プレゼンに限らず対話においてもシンプル化は、要点を伝えやすくするためということに加えて、論点をズラさないためにも使えますね。

例えば、思考がズレてややこしくなって堂々巡りをしていたり、交渉時に相手が話をごまかそうとして話を難しくしてる場合には、シンプルな質問も効果的だったりします。

シンプル化は……

 そもそも、丁寧に分解して分かりやすくするために使う手法です。

 粗雑に歪曲させるために悪用するものではありません。

……と、私は思っています^^

分かりやすくするための一つの手法として、有効度合いが高くて人気があると思います。

ところが、物事は“何でもシンプルに”が良いと言われ過ぎているような風潮はないでしょうか?

(私の周りだけかもしれませんが)

そこにある落とし穴とは何でしょうか?、少し、探ってみたいと思いました。

シンプル化の使い方によっては逆効果もあり得ます。

聞き手側が何かをごまかすために、あえて部分を切り取り、「単純」というより”浅はか”に解釈してしまうという、困ったちゃんの場合もあります。

 

早トチリ好きさん

あぁ、あれね、○○なことでしょ

うんうん!

わかってる わかってる 大丈夫!

丁寧さん

いや ○○じゃないし

全然 わかっていないから

 

単に、このような早トチリ好きのケースなら、まだ可愛げもありますね。

次のパターンでは……。

捻じ曲げ屋さん

あぁ、あれね!

(◆◆なことだろうと思うけど)

○○なことでしょ!

ハイハイ!

わかってる わかってる 大丈夫!

丁寧さん

いや ○○じゃないし

全然 わかっていないから

もしかして ごまかそうとしてる?

 

このような場合は往々にして、話をきちんと聴いていない場合が多く、聴いているように見えても右から左に素通りしていたりします。

そうして笑いながらも、人のイラつきをプチ誘発させてしまうような反応の1つのイメージです。

相手の話をしっかり受け止めて考えようというより、相手の言い分を断ち切って捻じ曲げてでも自分の言い分を強引に通したい人の下品さですね。

コミュニケーションとして、とても、ずさんでザンネンな姿です。

一つ一つを丁寧に聞き取って、共に最適解を探すために考えるという、大切な自助努力を安直に放棄している場合にも見られます。

この姿には対峙する相手への誠意や敬意、謙虚な学びの姿勢などは見受けられません。

あったとしても言葉だけで心がこもっていないから、寂しいことに心からの気づきもないようです。

その上っ面のベールを外したリアルな姿は、飢えて物欲しげな感情で即物的な餓鬼のようであったりすることも……。

それは本人も無自覚だったりして、なかなかスグには分からず、得体の知れないモヤモヤ感だけが残ったり……。

モラハラ事例などでは、最初はハラスメントをされていることすら自覚できず、後になってから段々じわじわと分かってくるということも珍しくないようです。

観えないとモヤモヤしやすいですが、随分と時間や距離を置いてから、何かのキッカケ(根拠)でハッと気がつくようなこともあるかもしれません。

粗雑な単純思考には、その裏でごまかしがある可能性への視点も持ち続けて、実態が見えてきたときには、少しずつはモヤモヤした霧も晴れるかもしれません。

理不尽に否定してくる相手と関わり続けることそのものが過ストレスであり、過ぎた時はどんなに悔しくても取り戻せません。

何より傷ついた尊厳を取り戻すことは、その度合によっては多大なる時間とパワーを要してしまいますので、一日も早く、少しでも見通せることが大事だと思います。

 

人は、信じたいものしか信じたくない

 

単純・シンプル・分かりやすいは、明朗快活に伝わりやすいという面では、とても良い手法といえます。

ですが、全てにおいて無条件に効果がある万能薬というわけでもなければ、ましてや神の手法でもありません。

シンプル化することで、取りこぼしが発生して誤解や邪推を招くこともあるのです。

つまり、シンプルに一刀両断してしまうことで、時に無惨な切り捨てになってしまうザンコクな一面もあるということです。

 

邪推さん
そんな難しく考えなくても

“単純”に言って○○だよね

丁寧さん
いや ○○じゃないし……

 

人は時に真実から目を逸らしてでも、自分の信じたいことしか信じたくないという習性があるのを、私たちは自戒を込めて気をつけたいところです。

何事もシンプルなら楽チンですが、人間は、一見、単純なようで、 人それぞれ複雑だったりしますから、黒白、プラスマイナス、 はっきり付かないことも多いでしょう。

 

 現実は、シンプルに伝え切れることばかりではない。

 

「大切なことほどシンプルだ」ということは、人によっては、まるで真理のように言われたりもします。

私も大切なことほどシンプルだとも感じますし、大切なことはシンプルに留まらず、単純には表しきれなかったりもするとも思います。

周りから見て配慮が足りなく粗雑に見られているだけなのを、本人はハッキリ・サバサバしていると勘違いしているようなケースも見受けられます。

何事もすべてシンプル化できるのなら、きっと世の中はこんなに軋轢(あつれき)や問題が発生していないのかもしれません。

 

  • 勧善懲悪のヒーロー物のように、都合の悪い「悪」は叩き潰す。
  • 潰し尽くせば晴れやかな平和の社会が来る。
  • ヒーローは特殊な能力を持ち、キレイな心の素敵な神のようにさえ思える。
  • ぼっ~と見ているだけで清々しく気持ちが良くなり、スカッと溜飲が下がる。

 

スカッとさわやかコカコーラのように、単純な二元論ですね。

しかし、これは言うまでもなく、子ども向けに創作された脚本でのことです。

または、昭和初期~中期にかけての作風と言えます。

現実社会では「悪」と思っていたものが「正義」で、「正義」と思わせられていたものが「悪」だったりすることも少なくなく、やはり単純ではありません。

” 何が正義で、何が悪かなど境い目は分からない ” ということが浸透してきている昨今では、このようなダブルバインドを取り入れた奥行きを進化させた作風も増えてきましたね。

 

取り返しのつかない無残な悲劇……。

 

次に、これから触れることは大げさかもしれませんが、大げさでもないかもしれません。

思考停止モードの怖さは、「鬼畜米英」と国民に刷り込んで世界大戦に暴走し続けた、かつての日本の姿をも彷彿させるように私には感じられてしまいます。

この歴史は義務教育でも習うことで、誰もが知るところで、当時の軍事国家の言うことに従ってさえいれば、良い国民・良い子とされた時代です。

この集団意識を鑑みれば隠された高葛藤はあったにしろ、恐ろしいほどに単純化された同調圧力、洗脳による扇動とも言えるでしょう。

そのような緻密で過激な同調圧力の中で、戦争に反対した人たちは「非国民」と呼ばれ聞くに堪えないほどの迫害を受けたと学びました。

ですが現在なら、誰よりも「(政治思想などは別にして、大切な人が住む国を愛する)愛国者」であったと、多くの方が口を揃えて思うでしょう。

もてはやされ権力を乱用していた軍幹部たちは、戦後に戦犯として裁かれたと聞きます。

第二次世界大戦の時代、日本人で亡くなった人々は軍人以上に一般人(非軍人の国民)が多かったというのも、何とも言葉に表し尽くせない、哀しいほどに皮肉な惨劇ではないかと思います。

戦争でなくても個人間のいざこざや紛争において、脊髄反射のような条件反射を優先しすぎる余り同じような轍(てつ)を踏まないように、重々、心したいものですね。

今の時代でも、誤認逮捕や冤罪、誤審という取り返しのつかない悲劇もあるように、短絡的な発想と盲信は、時に恐ろしいほどに人の人生を簡単に狂わし壊してしまいます。

そして、それらの真実が明らかになるのは氷山の一角なのでしょう。

 

…… ハードな実例を挙げましたが、短絡的に解釈してしまうのは明朗快活なようで、内容によっては目の前の現実からの逃避でしかない場合もあるわけです。

つまり、取り返しの付かない惨劇にもなりかねないリスキーさもあると考えられます。

一見、正論でさっぱりしているかのような「単純」という言葉の武器を振り回して、人のかけがえのない想いをツブサナイように気を付けたいものです。

 

 人の感性・思考・価値観、表現には、まずは敬意を持って真摯に当たりたいものです。

 もし、それらを己の我を通すために抑圧したとしたら、その行為は多かれ少なかれ侮辱的でしょう。

 万が一、暴走でもしようものなら不条理で理不尽な現象を生み出してしまうリスキーさにも触れました。

 こう考えると、”単純・シンプル”という耳障りの良さそうな言葉は、思考停止モードなキラーワードとも考えらます。

 キラーワード単純ながらも、全てを絶ち切る一撃必殺の技ですね。

 幼い子どもでもなければ、安易に、手抜きに、短絡的に流されないよう考えて、乱用する技ではないものです。

 「難しい話は分からないけど、”単純”に言って」は、時に有効であり完全否定しているわけでありませんが、それは黄色信号の有効さと言えます。

 

 ” 効率と効果 “、大切なのはどちらか。

 

  • 手っ取り早く、短絡的に済ませたいのか。
  • 丁寧に時間をかけて、相互に最適解を求めて行きたいのか。

 

時と場合にもよりけりです。

忙しい時には時間をかけられないこともありますが、その時はできる限り無理をせず、焦らず落ち着いた時間を作れるまで待つことも大切と思います。

忙しさが続いても、たまには立ち止まって、じっくり見つめることは急がば回れでもありますよね。

スピード、効率、マルチタスクを求める余り、むやみにショートカットして道なき道の密林に迷い込んでしまうと大変です。

そこは、どんな怪物が潜んでいるか分からず、甘い魅惑が漂っているかのようで、その実は魔窟(まくつ)の密林かもしれません。

つまり、人の心に対して粗野に扱い続けると、フラストレーションが積もり積もってカオスになってしまうこともあるという意味です。

近そうに見えて落とし穴もあったりして、何が潜んでいるか分からないショートカット。

道なき道を行き続けられるのは、よほどの熟練した者でないと危険でしょう。

見定められる方は、何度も何度も急がば回れをこなしてきた” 経験則 “があって、ショートカットできる” 勘 “だけではなく” 知見 “” 力量 “があります。

そこでもし、” 勘 “だけに頼るとしたら、 地図やコンパス、食料や燃料も持たずに密林に踏み入るような徒手空拳ではないでしょうか。

それは「無謀で危険」で、つまり、デタラメです。

標語だと「入るな! キケン!」

一足飛びのショートカットが楽チンそうに見えて目を取られかけても、敬意と誠意を持って丁寧に一段ずつ登り続ける意識を大切にしたいものです。

 

言葉足らずは配慮足らずかもしれないし、 過ぎたるは及ばざるが如しかもしれない。

その兼ね合いと伝え方は、 これで万事OKという終着点はないように思える。

Tomorrow never knows

 

ー 追伸

どうにも話を切り捨ててエゴイスティックを押し付けて来られる人とは、距離を置くか、通り過ぎる木枯らしのように思うまでとするのがベターかと思われます。

この後者の視点については、別の機会にまた触れていきます。

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