30と10と5

目的地は「30のグリーン」

 

例えば、30のグリーンを目指していて、そこに双方一致で同意したとします。

双方のスタート地点は、ほぼ同じの5でした。

双方が観て30のグリーン地点は、とても素敵に視える目的地でした。

深みと広がりのあるグリーンで、嘘偽りなくココロの底から爽やかなそよ風が似合います。

そこで30を目的地として近づくために、まずは10の地図が明示されたとします。

 

「なぜ、そんなことをしなくてはならないの?」

「しんどいじゃない。それをして何になるの?」

「賛同したんだから、それだけで良しとしててよ」

「他にも成長の仕方はあるよね。レッドでもいいよね」

「私は、気の向いたことだけしていたい」

「なんと言っても「直感」が大事だから!」

 

「おぉ! 足りないところが視えてきた」

「これは、私自身を1つ磨くことに繋がるのではないか」

「目的地に近づくためには、今はこれがベストのようだな」

「他にも成長の仕方はあるけれど、これの有効性は目的に直結しているし体得しよう」

「直感は大事だけど、それは積み重ねてきた土台があってこそ、ズレが減るだろう」

「よし、無理なく楽しみながら、少しずつ身に付けていく習慣を考えよう」

 

方向性を定めるから目的地に近づける

 

このように同じものを読んだり観たり聞いたりしても、チガイが出ることがあります。

これは30のグリーンという目的に向けての、その後の成長度合いにチガイが出てきますね。

グリーンに向かうのに、レッドの地図を持ったり、勘頼りだけでは、どこに向かうのやら、ということになってしまいます。

地図次第で、目的に対する認識やマインドセットにもギャップが出てくるでしょう。

海に行こうとしているはずなのに、山に行く準備をしていては、まるでチグハグです。

マインドのパラダイム(地図)に、何を持っているかのチガイとも言えるかと思います。

目的に対する「本気度」や「真剣度」・「真摯さ」など学ぶ姿勢にも左右されるところです。

これは一言で言ってしまうなら、ココロの「在り方」に左右されるところと考えられます。

30のグリーンを本気で真剣に目指していくのなら、後者Bが近づいていけることになります。

前者のAでも何かしらの成長はするでしょうが、チガウ地点に向かうだろうと予測できますね。

 

及びえない事柄に対して

 

ここで、ドキッとするコトバがあります。

「愚か者は、一般に自分の及びえない事柄についてはなんでもけなす」

このコトバは、17世紀のフランスの文学者であるラ・ロシュフコー氏の言葉です。

目的地に向かうと決めた際に「自分の及びえない事柄」があるのなら、そこは一足飛びには行けないわけで、それがあるのは近づくチャンスであり伸びしろとも考えられます。

 

そのままだと、いずれ前者Aは、及びえない事柄に近づいていくBの空気感にガマンできなくなるかもしれません。

そうしてジワジワと溜まるフラストレーション…。

そこから逃れようと、自覚のあるなしに関わらず、アラ探しをしようとしたり、結論ありきの非難を浴びせかけようなど、何かしらの残念なマウンティングを試みてしまうかも知れません。

そこにエネルギーを費やし、Bのエネルギーを奪おうとしたり浪費しようとすることは、哀しい不毛地帯のようなものと言えるかもしれません。

例え、Aが「私は、そんな課題があるとは思っていなかった」と、いくら声高に叫んだとしても、それは、まるで夢見る夢子ちゃんの叫びのようで、事実と意見はチガウということなのです。

これは例え、口に出していなくてもココロの中で思っていたとしたら、根底としては同じことと言えるでしょう。

 

Bは、ワガママには付き合えない

 

いまは及びえない30のグリーン地帯に向かおうというのが目的で、一見、手っ取り早く視える、チガウ地点のレッド地帯に向かおうとしているのではありません。

Bの属性を持つ人々は大抵は紳士淑女なので、たとえ気が付いていても、滅多にストレートに、そのような指摘を他人にすることはないかもしれません。

それは、駄々っ子のAのワガママに付き合っていたくない、フラフラ引力に引っ張られたくない、時間や労力が惜しいというのもあるでしょう。

そうして、いつまでもAは自覚も出来ないまま、その点においては驕りの幻想の迷路にハマるパラダイムから抜けられないことになってしまいます。

目的地からズレたパラダイムの行き着く先は、30のグリーンなんて幻なんだという自己正当化かもしれません。

そういったことが増える度に、「目的を決めても、私はフラフラしてしまうんだ」というココロの癖を強化してしまいます。

目的思考がすべてとは思いませんが、目的を見据えて動かないのは、気ままなふらり旅のようなもので、放浪カメラマンでもなければ、それでは仕事とは言えないわけです。

 

するかしないか、だけ

 

AからBに移るのは、シンプルに捉えれば「するかしないか」だけです。

利己的な理屈をこね回したり、マウンティングなどをすることではありません。

逆のベクトルのことを思うだけで、志向性は離れていき逆効果が増していきます。

目的地に向かう地図がズレているのならば、ズレていない地図を手に入れるのが先です。

それをアタマで考えるだけでは、堂々巡りの迷路かもしれません。

迷路の中では抜け出た先のこと分かりません。

ですが、出口は何度も目には写っていて、そのドアを開ける勇気がないだけなのかもしれません。

開ける勇気がないとは、どこかで目を逸らして、真正面から見据えられていないということです。

真正面から見据えるから少しずつ実感が伴い、肌感覚で掴めてくるというのは沢山あるでしょう。

見据えたらどうなる?と、コトバでいくら聴いたとしても実感が伴わなければ分からないことです。

それを今の自分の思考でのみ結論を出そうとしてしまうと、いつまでもAに留まってしまいます。

強く向かいたい目的があったとして、AとB、どちらのほうがいいなーと思いますか?

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