近づいて欲しくないような人まで寄ってくる

あなたが来て欲しい人にまで引かれませんように

 

集客・販促PR活動が進んで反響が上がるようになってくると、予想以上に様々な人が寄ってきます。

中には、近づいて欲しくないような人まで寄ってくることもあるかもしれません。

そこでWEBサイトに、「このような方は対象ではありません」と書くのは、どうですか?と聴かれたことが複数件、私もあります。

まず結論から言ってしまうと、対象の人(来て欲しい人)にまで排他的な印象を与えてしまうので良くないと思います。

オフィシャルな集客・販売サイトにおいて、安直にストレート過ぎるのは、あからさまに排他的でリスキーなのです。

嫌いなものは嫌いとして、それも人間性の味かもしれませんが、オフィシャルなものは、個人ブログや一対一のやり取りなどとは違うわけです。

リスキーさを把握して取り組んでいるかどうかで違いが出てきますので、徒然に記してみます。

私も嫌いなものは毛嫌いする特性がありますし、仕事上でお断りしただけなのにストーカーのような目に遭って、警察を呼んだこともあります。

ズバッと拒絶したい気持ちは分かるような気もしますが、それは最終手段でしょう。

ここで「アメリカでは、ビジネスでもストレートに言う」などとは関係なく、元々は農耕民族であった、私たち日本人を対象にした視点で記します。

日本で出回っているマーケティング手法はアメリカから入ってきたものが多く、そのままでは日本人にとってはアクが強いところがあります。

そのままを真に受けるのではなく、日本人向けに見直していく必要もあります。

 

小手先の手法で、どうにか出来るとは思わないこと

 

かつて、ある住宅販売の会社が出した「まだ住宅は買わないでください」的なDRMでのキャッチコピーが大成功した余り、それらを文字ってパクったコピーが異業種のあちこちで出回ったことも、ふと思い出します。

「まだ、○○は買わないでください」・「まだ○○は申し込まないでください」などですね。

その多くは、残念ながらサルマネレベルであり空回りが多かったとは、当時、よく聞きました。

例え、成果があったとしても、本当に瞬間最大風速だったようです。

そもそも、この「まだ住宅は買わないでください」は、最初のターゲティング設定も相当に絞り込まれていただけでなく、このフレーズに続く構成が、内容的にもしっかり緻密に組まれていて、初めて功を奏するものです。

上手く行っている事例を取ってつけたように小手先だけマネしても、うまくは行かないケースが続出した良いケースにもなりました。

否定から始まる切り口は、それなりに高等テクニックであり、そこだけ切り貼りしてもうまくは行かないというものです。

 

意識していなくても、言葉には裏の意味が込められる

 

話を戻しますが「このような方は対象ではありません」という選別や拒絶の言葉の裏には、少なからずも怒りや不満、苛立ち、否定などの負の感情や記憶が含まれていませんか?

負の感情の囚われに惑わされるのは、私はよくあります。

きっと、多かれ少なかれ誰しもあることなのでしょうし、それ自体を否定するつもりはありません。

そのようなストレスは発生させたくないと、私も心から思います。

 

そうは言っても集客・販売サイトで負の感情を見せられたら、プロフェッショナルの姿勢かどうかも疑問になりますし、見込み客はどう感じると思いますか?

脊髄反射的に記したものであれ、何であれ、言葉はオモテに出したときから、ひとり歩きします。

負の感情からの表現をオフィシャルで不特定多数にぶつけてしまうのは、結果として、メインターゲットにまで不快な印象を与えてしまうと予想されます。

それは足元をすくうことにもなりかねず、来て欲しい方まで遠ざける率が上がってしまうという逆効果になる推測されます。

つまり、来てほしい方々との関わりの中で、心地よく成長していけるはずだった一期一会の機会を逃す、または、みすみす減らすことになると考えられます。

 

嫌味っぽくなりかねない

 

「このような方を対象としています」と書けば良いところを、あえて「このような方は対象ではありません」と取り立てて書くのは、いかにも高飛車と取られかねなく嫌味っぽいと思われるかもしれません。

つまり、品性に欠けて、エゲつなさが醸し出てくるというところです。

それでは「このような方は対象ではない」と書いていないところに付け込まれたら、どうしますか?

「書いてないから、いいんじゃないか?」と。

もっと、非対象の条件を明記することになるのでしょうか……。

否定的・排他的な空気を出すと、もしかしたら、不毛なイタチごっこになってしまうかもしれません。

それが行き過ぎると、どんどんと脊髄反射のように排他的なカラーを推進してしまう暴挙になり、肥大化してしまう痛いレア?ケースも見たことがあります。

そのようなケースは稀だろうと思いたいですが、負の暴走、知らぬは溺れている本人ばかりで、頑張るほどに空回りするスパイラルに陥っていたようです。

もう、なんだか見えない敵への敵対心まで含まれている様子、それを外部から見ていたら辛いものがありましたね。

 

近寄らせる程度の雰囲気だから

 

意図せず望まない人が近寄ってくる率が高いのであれば、それは雰囲気づくりからして甘いということと、私は考えて取り組むようにしています。

安っぽい意識で創っていたら残念ながら安っぽいのが寄ってきて、来ないでくださいって言ったところで、また、どこからともなくスキを付くかのように近づいて来ても不思議はありません。

思考の甘さのブラッシュアップを徹底的に続けていくことは、同時に来て欲しい人が次々と寄ってくる好循環にも繋がります。

光には影が伴いますが、もっと光が強くなれば影は薄まっていきます。

そこまで磨き上げ続けられるかどうかですが、これがまず土台であり、この程度、適当で良いというゴールはありません。

看板を掲げるかのようにお断り文句を書くのは違うと思いますし、もし、どうしてもそうしなければならない時があったとしても、それは最終手段でしかないと私は思っています。

大切な出逢いを逃すことにもなりかねませんので、最大限、避けたほうが良いことと考えられます。

 

大切なのは雰囲気づくり

 

抽象的になりますが、寄ってくる人は、その雰囲気・印象を見て近づいてくるところが多いと考えられます。

時に来てほしくない人ほど、よく見ないでパッと見の印象で近寄ってくる傾向があるようです。

一言で言うとスキがあるから寄ってくるのですが、だからといって、ガチガチにガードしていると頑なで怖くすら感じられてしまいます。

肩に力を入れすぎるより、強風が吹いても折れない、しなやかな柳の強さが欲しいところです。

まぁ、ある程度はガードも必要だったりしますので、程度加減というところでもありますが、不毛なことをする前に他に出来ることは、沢山あるのではないでしょうか。

 

では、ガチガチにしないで、かつ、近寄ってきてほしくない人が、近寄りがたい雰囲気を感じるのは、どこか?

 

具体的に言い出すと、どんどんと緻密になってきてしまうので、程々に留めます。

そのサービス提供レベルや、こだわり、どのような方にもっとも効果的かなどを…… ” どのように表すか “

” どのように魅せるか ” 、ここが、最初のポイントであり根幹です。

ここを踏まえて、デザイン構成や内容、言い回し、魅せ方の全ての雰囲気の細部まで、何度も推敲を重ねてイメージを創り込みます。

来て欲しくない方に対する狙いは、本物すぎて、私には近寄れないと思わせる意識となります。

意識的に創り込みを突き詰めていくほどに、品性を落としてまで、あからさまに断り文句を書く必要などなくなってきます。

事業主ご自身が、徹底して本物に近づいていこうとする取り組みが強いか弱いか、その姿勢によりますし、それを表し続けて、研ぎ澄ましていくことによって違いが出てきます。

 

土台となる雰囲気があった上での加味

 

雰囲気が土台とは書きましたが、それで万事OKとはならないでしょう。

それでも来てほしくない人が混ざったら、という懸念には、商品・サービス内容にもよりますが別の手法を加味することも考えられます。

実際には、その商品・サービス、取り扱い企業ごとに、その性質をよくよく踏まえて個別に考えていく必要があるものです。

以下に示すようなことは、いずれも必要最小限に留めて、やりすぎない程度が肝要です。

 

事前のがっつりヒアリングの自動化

 

例えば、コンサルティングであれば申し込みの前に、見込みクライアントの方に事業内容やミッションなどの取り組みを、しっかり必須として入力していただく、ガッツリしたヒアリングフォームを付けるなどがあります。

入力内容が足りなければ、それだけの姿勢ということで受けなければ良いですし、文章量だけ多くても内容が怪しければ、それも「総合的な判断で」ということでお断りすることで関わりを避けられます。

実際に私がしていて功を奏していたと考えられる手法ですが、あくまで土台となる雰囲気が創り込まれていて、入力をしてもらえるモチベーションへと繋がります。

いきなり、取って付けたように、ガッツリしたヒアリングフォームだけでは、功を奏しないどころか嫌われやすくなるでしょうから、くれぐれもご注意ください。

そんな、一朝一夕、お手軽に使える手法ではありません。

申し込み手前、水際でのヒアリングを、どのようにするかというポイントですね。

 

聞かなくて良いことは聞かない

 

伝えてもらう必要のないことまで、フォームの入力項目に設ける必要はありません。

例えば、年齢を知っておく必要があるのでしたら、年齢だけをヒアリングして生年月日まで聞く必要はない(フォーム項目に入れない)ということです。

明確な必要性や、客観的に見て許容性があるかどうかです。

もし、その入力項目がある理由を求められたとしても、スマートに説明できるもののみに留めるのが基本です。(実際に、説明を求められることはないとしても)。

聞かなくて良いことは聞かない、当たり前ですね。

なんとなく聞いておいたほうが良いかな、という曖昧なレベルで項目に入れるのは余計です。

併せて、プライバシーポリシー(個人情報保護指針)を用意することも必要となります。

(弊社のほんわか倶楽部でのプライバシーポリシー例)

 

規約の活用

 

他にも、お申込み規約やご利用規約などの活用もありますね。

規約を設けることで、カバーできる範囲の取りこぼしを抑止しやすくなってきますが、事業者寄りに偏っていない公平な視点が大切と思います。

ご参考になるかどうか、こちらは弊社のほんわか倶楽部のご利用規約例です。

 

余談ですが、生命保険でも今は、医師の診断不要で加入できる幅の広い商品が増えましたが、それでも申し込み書には事前告知欄というのがあります。

この事前告知に引っかかる場合は、加入できないというものですね。

過去に保険業界に関わっていた時に聞いたことがありますが、もし、事前告知で嘘を付いたら、いざ保障が必要な時に調べられて詐欺罪に問われることもあるそうですので、くれぐれも嘘は付かないように、です。

生命保険は読めないぐらいの小さな文字で、びっしりと規約が設けられているのが、なんだかなぁ……と思わないではないですが、それだけリスクもある商品ということでしょうか。。

 

排他的な思考に注意する

 

排他的な思考は、アクが強くて飲めないスープのようなものではないでしょうか。

商品・サービスによって、どのようなフィルターをかけるかについては、様々なものが考えられますが、そこには配慮や品性が大切です。

感情的な子どもの視点、またはヒステリックな負の感情ではなく、企業努力の一環として出来る限り嫌味のないように、俯瞰した大人の誠意的な視点で考え抜くことが大事と私は考えます。

無理に、何でもかんでも人に合わせなければならないということなどありませんが、最初から頭ごなしに排他的な視点、そこに他者の尊厳への配慮はありますか?

難しいところもありますが、難しいだけでため息を付いていたら思考停止そのものですので、私も気をつけたいと改めて思うところです。

 

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負の側面ばかりにフォーカスしすぎると……

 

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