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「解決策」に猪突猛進する前に、心からの「寄り添い」を

time 2019/03/27

「解決策」に猪突猛進する前に、心からの「寄り添い」を

前回、綴ってみた記事は、どうにも分かりづらかったかもしれません。

どこか迷走していたような感もあります。

「難しい話は分からないけど、”単純”に言って○○だよね」に隠されたもの

以下は続編というわけでもありませんが、『「解決」の前に、心からの「寄り添い」を』ということで綴ります。

 

「短絡的」や「浅はかさ」「即物的」を 、「単純」や「素朴」「シンプル」といったような耳障りの良さそうな言葉に転嫁して使っていないかどうか、気をつけたいものです。

どういうことかと言いますと、「私は単純に考えているだけだから~」と言う言葉で、深く考えている相手の思考を受け止めずに封じ込めてしまっていることもあるかもしれない、ということです。

そうして「単純に」という言葉で、自らの粗野な態度から目を逸らしたり正当化させてしまいます。

共に最適解を見い出していく道から見たら、それは哀しいですよね。

 

例えば「” 単純に ” 出来ないことから助けようとした」などと思い、相手を否定する言葉を言ったり、そのような態度を取り続けてしまったとします。

これは「~しなけれならない」・「~すべき」と縛り付ける思考に繋がって、モラハラともなりかねないベクトルです。

相手の言葉数が少ないからと言って何も感じていないわけではなく、多くを感じすぎるから言語化が追いつかないということもあるのです。

猪突猛進していたら盲目になってしまうことも多々あると踏まえて、一歩でも二歩でも三歩でも、立ち止まって観たほうが心地良い方向へ向かえるのではないでしょうか。

 

  • 自分正しいと思いこんでばかりいたとしても、お相手はそれを望んでいますか?
  • その「正論」が本当に相手にマッチしているかどうか、どこまで視えていますか?
  • 相手の心の声に、真摯な気持ちで両耳を傾けていますか?

 

もし、勝手な思い込みからの解決思考だとしたら、それは解決思考もどきとなってしまい、相手をより一層、がんじがらめにして辛くさせます。

人は重い鎖に縛られたままでは思うように動けず、心が萎縮してしまい、そうなっては出来ていたことすら、どんどんと出来なくなってしまいます。

そうしてても言った本人は自分は正しいことを言ったと思い込んでいたら、それが相手にとっても適切かどうか深く観ることはかなわなくなります。

そのまま、猪突猛進してしまっているとしましょう。

残念ながら、その姿は実に独善的で痛々しいと言わざるを得ないのではないでしょうか。

声にならない心の声を封殺して、自己満足してしまうのは身勝手な「短絡的」……でしょう。

 

ここで大切なのは「解決思考」より「寄り添い思考」です。

受け止めることが出来ないからと、自分にとって良かった(けど相手にとって良いとは限らない)解決法を押し付けることは、仮にそれで一時期は進んだとしても依存性があり、長期的に観ても良策とは思えません。

大切なのは、双方ともにポテンシャルが発揮しやすい状態であることです。

相手に敬意を持って、相手を信じて寄り添うことからポテンシャル発揮への第一歩となります。

信じてもらっていたなら動くことが出来ても、「どうせ出来ないだろう」というような疑いの眼差しの中では、その力を発揮することは難しいものです。

メジャーリーガーならまだしも、私も含めて多くの人たちは、アウェーでも充分に能力が発揮できるほどタフネスなマインドを持ち得てはいないでしょう。

日常において、みすみすアウェーのようにしてしまう必要はなく、それは本来、双方が望んでいたものでもないでしょう。

一生懸命になりすぎる余り視野が狭くなり、ぎゅうぎゅう詰めになってしまっただけかもしれません。

伸び伸びとポテンシャルが発揮できていくほどに、自らにマッチした方向を自発的に見い出していきやすくなります。

楽しみながら伸びていき、それが課題を心地よくクリアにさせていくエネルギーとなることも、一呼吸置いて観てみれば容易に想像できるのではないでしょうか?

 

受け止めて寄り添うのはパッと見で思うほど簡単ではなく、言葉でいうほど浅くもなかったりすることも少なくありません。

笑っていたとしても、笑顔の裏で哀しくなっていることもあるのが人間です。

だからといって、難しく考えてしまうと思考のほうに気を取られるあまり、余計に見えなくなります。

肩の力を抜いたほうが、ふっと観えるようになって出来やすくなっていきます。

 

もし「寄り添うだけで何になるのか」などと懸念を持つとしたら、では、辛い状態にある相手を否定・抑圧してまで、持論を展開して何になるのでしょうか?ということです。

そのような時は相手を見ているようで、実は自分のエゴの餌食になっているのかもしれません。

 

まるで、骨折している人にマラソンを薦めるかのような……。

もし万が一でも、そうなっていったら、とても横暴なイジメのようになってしまいます。

身体のケガなら見えやすいとしても、心のことは目には見えにくいもの。

だからこそ、短絡的な発想は危うげなのです。それはもう、思う以上に、想像以上になのでしょう。

まず、大義を装った自己満足のために相手を消費していないか、よくよくセルフチェックを、自分の在り方を見つめてみることが肝要です。

「寄り添う」とは何かをゆっくりと学びながら、心の視力を養って、双方にとって最適解を模索し見い出していただきたいと願います。

相手を信じて慈しみ、心穏やかに過ごしていただきたいと祈ります。

 

『「解決策」に猪突猛進する前に、心からの「寄り添い」を』

このことは「お相手」に限ったことではなく、自分自身の心に向けても言えることでもあります。

特に、本来の実力が発揮されないことばかりで空回りし続けているような時に、どこかで自分で自分の心を抑えつけてはいないでしょうか?

自分で自分をイジメていないか?ということを見直してみても良いと思うのです。

自分に優しく、人に優しく過ごしたいですね。

 

こちらのページをご覧いただけましたら幸甚です^^


 

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