「~モデルが流行っているから、~モデルをしよう」ではない。

○ 今回の記事はひとり言。

 

シビアな厳しさ・ダメ出しが苦手な「私は褒められて伸びるタイプなの」として現実を見れない人や、ましてや「資格のない自己弁護士」・「言い訳の達人」さんにはオススメしないし、読まないほうが良いと思う。

人をダメにする最も簡単な方法は、脳内がお花畑でもとにかく褒め続けることだ、なんて思わないのだろう。

今回の記事は、独自の起業活動がうまく行かず、ずっと苦しんでいて、誰が守ってくれるでもないし人生もかかっていて、何が何でも本気の本気でブレークスルーに取り組むという人にしかマッチしないだろう。

ダメ出しを本気での関わりと思えずにマウンティングとばかり思ってしまう人には向かないし、ハラスメントのように思われたり、自己合理化のためにわざわざ重箱の隅をつつかれるのも本意ではない。

 

「一部は一部。全部ではない」

 

それは生きる世界、志向する方向性の違いなんだと思うから無理に付き合って欲しいとは思わないし、下手に関わって攻撃されたくもない。

まぁ、大層なものでもない、ひとり言なんだけどね。

繰り返しになるが、ここでは独自の起業活動を現実に通用させたいし、色々と取り組んでみたけれど上手く行かなくて、ずっと苦しんでいる、誰が守ってくれるでもないし人生がかかっている…それで心底からのブレークスルーを本気で考えている人に向けて書いてみた。

あなたの矢が届かないのは、なぜでしょうか?

「矢が届かないのは」?

 

 

○「~モデルが流行っているから、~モデルをしよう」

 

そういう思考・志向は、なんか嫌だなと思ってしまうし、それもまた起業家思考・志向の1つなのだと思う。

これは他人へのダメ出しではなくて、私がそういう志向なのだということと経験値に基づく肌感覚として。

よく「他人がしていることはしない」という起業家も多いけれど、そういう志向だね。そういう志向なのも切実な経緯と意味があるよ。

それで劇的に上手くいった実績もあれば、それで苦しむほどではないにしても、時流に乗らずに損みたいな感覚を味わったこともあるかなと。へそ曲がりだったかな…とか思ったりね(笑)

もちろん、時流を知る・読むというのは絶対に大事だから知ること・学ぶことは大事で、それ自体は否定されるものではない。

…けれど、自分軸は何なのか、それをどう表すか、どう診られるか(どう具現化させるか)ってのを意識するのが独自ブランディングの最初ではないのかな。

外の世界もとても大事だけど、何かをするなら自分の内側の世界があってこそ…だからね。

皆がしているから、それをすると安定するから…というところから学ぶのも大事だし、私もよく目を向けていたり学び続けていたりするほうかなとは思う。(書籍も見るけど、それだけではないよ)

だけど、そこから学びつつ、皆がしているのとは違うやり方で考えられないか、というのも大事だと思う。

そこには産みの苦しみや不安も伴うけれど、そこを突き抜ければ一味も二味も違って見られるだろうし、さらに突き抜ければ同じようには決して見られないレベルに行くだろう。

「あぁ、この人もこれかぁ…」って思われるのと、「ん?、これは違う」と一見さんの段階から思われのと、どっちが…いいかな。

それを猿マネばかりしていて上手く行かないからと学びの渡り鳥、セミナー参加のジプシーになっていても仕方ないよね…。それって、どこで本当のところで自己満足できるのかな…。

 

○ 時代は繰り返すなのか?

 

こう書いていると、かつて感情マーケティング(エモーショナル・マーケティング)、そのためのダイレクト・レスポンス・マーケティング(DRM)が流行りだした時代に、多くの人がパクリみたいなキャッチコピーを使いだしていたのを思い出す。

ネタ帳も大事だし、モデリングも大事だよ?

でも、パクリだけで売れるならいいけど、それだけでは思うようには売れなくて、結局、DRMなんて使えないって、簡単に見切りをつけるような人の何と多かったことか…。

かなりの違和感を感じたけど、そういう人ってモデリングからして甘いんだよね、表面だけをなぞって、その本質を捉えないから見透かされてうまく行かない。

そりゃ…うまく行かないだろうね…。そこには成長もないし…。

それが通用するなんて思うこと自体が甘くて、人間である受け手に対して失礼だとか思わないのか、視野狭窄になってそれが感じられなくなっているのか…厳しいけど、それなら視野狭窄を抜ける視点を探せばいいのにね。

反省だけなら猿でも出来ますよ、という言葉もあったね…。そう言えば。

ところがその程度ではない人たちはDRMをしっかりと使い切って、今は違うレベルにいる人だって沢山いる。

反省も「良い反省」と「悪い反省」があって、行動の変化に繋がらなくて同じことを繰り返すのは「悪い反省」で、それって、そういう癖(習慣)になっていくよね。

「良い反省」とは、思考や行動を見直してから活動の変化にスグに繋げていくことを言う。

考えるより先に、している行動は動機を強化するから、まず行動習慣から変えてしまえば早い。

 

○ 起業活動、それでいいの?

 

起業活動って、その先でお客さんなり提携先なり誰かを動かすということだと思うけど、猿マネレベルのキャッチコピーで人の心が動くと思う発想がいただけない。

そんな簡単に行くなら楽だけど、それなら誰もが簡単に成功者だろうし、「あぁ~、またこれか…」と見た人に思われるって思わないのかな…。

あなたが思う以上に、多いよ、そのパターン…。

安易な人みたいに思われたら信用なんてされないし、ファンになるどころか二度と戻ってこないよ?

それでも信用されたりファンにまでなってくれるとしたら、たまたまか、人が良くそれ以外の要素を観てくれて、それで惹き付けられたということだろうけど、それは猿マネに惹かれたんじゃない。

それ以外のあなたを観てくれたのだから、猿マネがたまたま当たったなどと思ったら墓穴を掘りかねないから注意したいところだ。

運も実力のうちだとしても、運頼りというのは起業活動ではなくて博打活動じゃないのかな。

起業活動もマーケティングもギャンブルじゃないからね。

学ぶは真似るから始まるから、最初は猿マネレベルの”ワーク(練習)”でもいいだろうけど、それは表に出す前か、出したとしてもテスト・マーケティング段階のDoで留めるべきだろう。

PDCAの「Do」は本格的なアクションではなくて、試しにやってみるというテスト段階だからね。

そのテスト段階でダメだったから、その施策自体がダメなのではなくてブラッシュアップが甘いから、もっと深耕化させたり磨き上げる必要があるというのが「Do」で見えてくるわけだね。

PDCAに関する捉え方は、このブログの過去記事でも書いてきている)。

上記を読んでくれた人ならお察しの通り、本格的なアクションとして取り組むなら「Do」の程度ではダメだ。

なぜなら、そこに魂なりミッションを深く強く感じるのと、そうではないのとでは大きな隔たりがあるからだ。

(それを「受け手が鈍いから分からないんだ」等々、間違っても受け手のせいなんかにしていたら、もはや起業家でもプロですらない)。

そこで少なくても猿マネレベルではなくて人マネレベルにはしておく必要があるし、これなんてまだ最低限でしかない。

さらに大事なのが人マネを超えたオリジナルにすることで、これは基本がしっかりなされていて初めて近づけていける。そういう意味で学ぶのは必須。

守・破・離というのはやっぱり外せなくて、そのために最初は猿マネでもいいけれどそれはあくまで練習レベルでしかない。

「守・破・離」というプロセスの重要性

 

○ ~モデルが流行っているからというのも、そう。

 

まずは知ってみたり、学んでみたり、そこからビジネスモデルを自社で発想してみるのもいいけれど、それが現実に通用するかどうかは別。

現実に通用するように組み立てていくのが「構想」で、通用しない限りは「発想」ではないのかな。

過去記事にも書いたけど「知っている」と「ワカル」・「デキル」はレベルが違う。

つまり「知っている」と「デキル」は全く違うということになる。

知っている・ワカル・デキル・教えられる

 

ここで、一部の慣れ親しんだ人たちとの間だけで受け入れられたなど、そのような狭い村のようなマニアックな感覚が、ここで言う「通用する」ではない。

本来のペルソナ設計にマッチしている人ならば、どの人にも高い割合で通用する(受け入れてもらえる)というのが「通用する」ではないか、と私は思うようにしている。

その感覚で、(手前味噌になってしまうが)私のマーケティング相談からの成約率は常に94%前後を続けているし、一時的ではなくてそれが何年も長いこと続いている理由も分かっている。

それはまさしくノウハウと言えるものだから、有料のクライエントさんとの公平性を保つためにも、ここで安々とは詳細を書けないけれど、それもその数値を得るために起業したんじゃない。

起業した想いは理念やミッションに込めているが、あなたはなぜ(Why)、何のために起業したのですか?という自分への問いかけと、それに見合った思考・志向と行動を続けていくことが大事だと思う今日このごろ。

 

「Why」を表すためのマインドセット

 

本当のところではね。

うまく行く人って表面ではなかなか見えないところで違いがあるし、こういった類のダメ出しって、何度も、もっともっと深く広範囲において自分で自分に行なっていたりするよ。

もしくは、誰かにしてもらい続けているとかね。清濁併せ呑んで。

「清濁あわせ飲む」に思う先

 

今回は過去記事の貼り付けも多かったな…。

 

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