前回の記事では『活動者の方にとっての「Why(なぜ?)」って?』というテーマで記してみました。
はじめに
今回の記事では「Why(なぜ?)」を表すためのマインドセットについて、私が感じていること・思うことを記していきます。
カンタンに出来ることとしては書いていませんが、ここを追い続けていくと・・・
(以下は、あおったような書き方になったかもしれませんが)
- 言葉のテクニックや理屈などを超えたところで現れる
強い求心力と、独自性を創りだせる可能性があります。 - 誰にも真似されようがなく、誰も代わりがいない
独自の惹き付けを創り出せるという可能性です。 - その可能性から、様々な優良なご縁と現実
そこからの気付きや発見、学びと成長などの
嬉しい現実が得られる楽しさへの可能性です。
これらを創り出すためには、本当の「Why(なぜ?)」とは、何だろうか、と染み込ませるプロセスが先だと、私は体感してきました。
本記事も、前回の記事も長文となりおそれいりますが、気になるところからでも、併せてご覧いただけましたら幸いです。
何か残るものだけでも残りましたら、と願います。
今回は前回の記事で記した見出し『「Why(なぜ?)」は” キラーコンテンツ ” になる』に続く内容となります。
本記事の対象としまして・・・m(_ _)m
- 「虚業ではなく実業」としてお取り組みの方。
- 強く深い「Why(なぜ?)」を、実業に反映させたい方。
- 暖かいお気持ちで読解力をお持ちの方。
大変、おそれいりますが、上記三点をお持ちの方に限定させていただきます。
ここで結論から申し上げますと、本記事では参考事例やフレームワークは、ほとんど示しておりません。
フレームワーク framework 「枠組み」「骨組み」「構造」などと和訳できる英単語
( 引用元:Wikipedia )
なぜ、ここでフレームワークや事例を示さないほうが良いのか?です。
そのほうがスグに形にしていきやすいのでは?というような発想が、功を奏する場合と、逆効果の場合があるからです。
まずは、フレームワークの嬉しさに触れて^^
前回、「テンプレートにはめ込むだけで、スグに・カンタンにできるという、お手軽な類のものではない」とも記しました。
これは「Why(なぜ?)」を表す項目(テーマ)だからこそ、とも言えます。
他の項目でしたら、今回の記事の限りではないと思います。
最近は、自己PRのコンテンツに限らず、テンプレートやフォーマット、工夫されたシートを提供していただけるところが増えてきましたね。
業界では競うかのように活用しやすいフレームやツールなどが研究・開発されていき、体系化されていったり進化が続いていると感じます。
そのほうがフレームワーク化ができて、ずっと進めやすくなることを私も体感し続けていますし、私も提供できるフレームがあります。
私は「実践のための学び」という活動方針ですし、学びの再現にかけられる時間や、かけられる労力も踏まえて、わかり易さ・取り組みやすさは必要です。
そうして、まず自らが実践をして絞り込んだ内容を、新たにクライアント様向けに創ってご提供させていただくこともしてきました。
特に選定による選定で参加させていただいた、ビジネスモデル・デザイナー(R)は、個人的には「何年ぶりに、それなりの金額の連続講座に参加しただろう」というものでした。
私自身、今となってはリアルで活用させていただくことで、思考の相乗効果を得られることが、しばしばあります。
それは思考にとどまらず現実の事業活動に、有効に反映されるスピードが上がったということです。
私自身も、フレームワーク系は好きなほうですし、仕事柄、必要性もありますので、アンテナを張って目を光らすようにもしています。
中には、ツールなどを開発・販売し続けるとこが、主な収入源になっている他社もありますが、見る時にそのクオリティはとても気になりますね。
例えば、他社では「売れるためのテンプレート」のようなものや、「集客ブログ文章のためのテンプレート」など、観ていけば様々あります。
毎日、メールで沢山の案内が届いて、それらは私の受信フォルダの設定に合わせて、自動で振り分けされて蓄積されていきます。
仕事柄、ずっと色々と観てきましたが、自分向けというだけでなく、クライアント様にご紹介させていただく視点で観ても、滅多に「おぉ!」とは思えなかったり、するような、しないような。。。
これからも、アンテナを張り続けていきますが、今回の主題である「Why(なぜ?)」を表すということについては優先ではありません。
テンプレートに限らず、文章の構成についても起承転結に限らず様々ありますね。
私もその多くに精通しているわけではありませんが、まずは、それも優先ではないと思うところです。
「手軽さ・わかり易さ至上主義」のような・・・
テンプレートやフォーマットの活用の可否は、そのクオリティもさることながら、取り組む項目(テーマ)にもよると考えられます。
気をつけたいなと思うのが、世間では、一見しての「わかり易さ」ばかりが受けやすく、もてはやされる風潮もあるのではないかなぁ?ということです。
例えば、「このテンプレートに沿って埋めていけば、ラクラク、売れてしまう集客が出来上がる」などですね。
それで実際の内容を観ると、薄っぺらいと言いますか・・・。。。
まるで・・・
それでいい
もし、このようなことばかりが最優先だとしたら、どうなんでしょう?
度合いによっては、まるで、子どものようなことになってしまうのではないでしょうか?
私も面倒で手間がかかるより、効率よく楽なほうが好きなのは同じですが、ここは、大人の楽しみ方を考えたいなぁ~と思うところです。
自己満足のお遊びでしているのではなく、「Why(なぜ?)」に伴う目的があって取り組んでいるのでしたら、その目的に堅実に近づけるほうが楽しいのではないでしょうか?
目的達成も確実
このようなフレームワーク↑なら良いでしょう。
目的が達せられる効果が得られると、良いですよね。
ところが、もし・・・
フレームワークに入れようとすると、かえってズレてくる、真剣に活用しようとするほどに、逆に目的の本質から外れてしまう場合は、どうでしょうか?
ラクラクなどという謳い文句のもののほど、使ってみると、多々の違和感や疑問を感じることがあります。
一見、わかり易そうという目先の効率ばかりを追い求めて、だんだんと目的から外れていって、かえって非効率にハマっているケースも見受けられます。
本来の目的から外れるのでは、せっかく時間を有効に使おうとして目を付けたのに、時間泥棒に遭ってしまうようなことになるかもしれません。
時間だけではなく、費用対効果が得られるかどうか、です。
コンサルタントの中には、残念ながら、クライアント様ご自身の効果より、自らの実績や収益を最優先する思考、吸い取りタイプが今でも少なくないようです。
「ラクして、スグに、誰でも」などの甘い言葉や、腕組みのドヤ顔写真などが特徴でしょうか。
趣味やマニア、または、世間勉強として取り入れているなら別ですが、実業として進めていくにあたっては、振り回されたくないところです。
ふと、「急がば回れ」という言葉を思い出します。
「急がば回れ」
項目(テーマ)によっては・・・
成功事例ばかり 先に出していては
本来のポテンシャルが出てこなくなる
このことを、感じるときがあります。
他の項目でしたら有効なフレームワークでも、この「Why(なぜ?)」を表す項目では当てはまらない割り合いを感じます。
つまり、事例やフレームワークがジャマになる、近道のようで近道でなくなることがある、ということです。
何か・・・自分でも違和感を感じる
何かがチガウ・・・
フレームは思考を推進させるためのものであったはずなのに、枠にハメて進めようとすると、思考がジャマされることがあります。
自らの「Why(なぜ?)」は、枠にハメて表現できるものなのかどうか?ということでもあります。
そもそも、日本の社会人でしたら、皆さまが義務教育などを受けてこられているでしょうから、どなたでも、ある程度の文章は書けるはずです。
かつ、強く深い「Why(なぜ?)」をお持ちになるほどでしたら、今までの人生で感じてこられたことが、すでに充分な訴求力・求心力を秘めていると考えられます。
これはお世辞でも何でもなく・・・
ということです。
ただ自分自身のことですと、なかなか実感しにくいかもしれません。
最初から伝え方が最高のものでなくても、そのまま公開されるわけでもないのですから、まずは自由に伸び伸びとアウトプットすることが大切と思います。
その時にしか出てこないフレーズというのもあると思いますが、上手い下手など関係なしに、まずは出し切ることが優先ですね。
そのようなフレーズは抑圧があると遠のいてしまい、再現が難しいこともよくあるのではないでしょうか?
伸び伸びと自由な心で書くこと、大切にしていただきたいと思います。
参考事例の落とし穴
次に、他社の参考事例を持ち出して、クライアント様にお伝えしていくコンサルタントが多い風潮から、私が思うことです。
事例を出されると、一見、イメージしやすくわかり易いという印象を与えられますし、そのように感じられると思います。
弊社では出していませんが、参考事例集などを出すと、ウケもよく、コンサルタントとしては売りやすいので、観たことがある方・お持ちの方もおられるかもしれません。
参考事例を数多く持つことがコンサルタントの引き出し、と言うこともありますね。
参考事例は宝の山、ですが・・・
参考事例は、その言葉の使い方や言い回し、さらには全体構成まで様々なヒントがあり、しっかりしたものですと、惹き付けるための「法則」が含まれていることがあります。
それらを見い出していくことで、遠回りをせずとも近いクオリティ(効果)を得られると期待して観ていくかと思われます。
とっても、有効な方法のように思えますし、徹底して使いこなせば使えます。
特に、一般的な販促物を始め、DMや広告などの時間勝負的な集客ツールレベルでしたら、事例集も、まだ使いやすいと思います。
ただし、創るテーマや参考事例を観るタイミングによっては・・・ 手放しで有効とは言い切れない場合があるのです。
真剣ガチのラブレター
「Why(なぜ?)」を表すとは、ただ一人の方に向けてラブレターを書くようなものです。
どうでしょう?
ラブレターを書く時に、何か事例を参考にして書きますか?
もし仮に、何かしら事例を参考にしたとしても、そのインプットの際に、上には上がいることを痛感します。
ここで真面目すぎると・・・?!
今の私では、ダメなんじゃないか?
向上のための自問自答は素晴らしいのですが、誰かと比較して、出来ていない点にばかり目が行ってしまうと、どうでしょう?
短所にばかり目が行くと、長所が見えなくなってきて、しまいに推進力にフタをしてしまうことになるかもしれません。
気をつけたいのが、事例は、何度も見直し・改訂されてきた可能性が高いということです。
一朝一夕で出来たものではなく、もしかしたら、相当の年月がかかっているかもしれません。
ですが、バックグラウンドの動きというのは、とくに泥臭いところは、なかなか見えなかったりしますね。
なのに、最初から「同じように表現できるだろうか?」と、頭の片隅ででも思ってしまうこと自体、一足飛びになって、弱気になってしまっているわけです。
そうなると・・・出てくる言葉も出てこなかったりする、ということが起こらないでしょうか?
自信などは後から付いてくるものとして、優劣など関係なしという視点も大事と思います。
ウキー!
しまいに、成功事例の表面だけをなぞらった猿マネなどしたら、ドボンです。
これは結果が証明することで、猿マネレベルのものは、どこかで見透かされることが多いものです。
事例から学び取り、それを有効打にまで反映させていくのは、実は緻密な職人レベルの技量が求められます。
その事例の奥の奥、魂の響きまで感じ取って、と言いましょうか・・・、そこまでして猿マネを超えていけます。
猿マネを超えて、人マネだけでも足りなくて、さらにそれ以上のオリジナリティまで引き上げて、有効な反応が得られるものになります。
この点を踏まえての個別フィードバックや密接したレクチャーがあっての事例活用なら、まだしもですが、いかがでしょうか。
そこまで、と思われるかもしれませんが、言葉一つのチガイで、反応が大きく(過去の弊社事例では10倍以上)変わることもあります。
それは売り上げということだけではなく、一期一会のご縁、繋がりが違ってくるということとも言えるのではないでしょうか。
表現するということは、それほどの価値があることとも言えると思います。
軽い! 軽い!
もしくは、自分から観て大したことないと思える事例に当たったとします。
慢心してしまうと、表現は甘くボヤけやすくなります。
成功事例には、パッと見では分からないところが秘められている可能性がある、という視点が大事です。
そんなカンタンに成功事例になるのでしたら、誰しもが成功事例の多発ではないでしょうか?
そんな軽くないですから、吸い取り型コンサルタントの甘い言葉に呑まれないように・・・と願います。
近道をしようと思って他社事例を観ていたところ、気が付いたら、道に迷って袋小路に入ってしまっていることがあります。
これでは、本来のポテンシャルは、みすみす発揮しにくくなってしまい、近道せずに「急がば回れ」のほうが早かったということになります。
まずは、独立独歩から
生まれ育ち、生き方・環境、在り方が人それぞれ違うように、強い「Why(なぜ?)」は、人によって、当然、大きく違うはずです。
一人ひとりが唯一無二のオンリーワンであるように、ラブレター一つとっても同じであるはずがありません。
つまり、何かの受け売りや似たり寄ったり、間違っても、ありきたりのようなものにしてはいけない、要(かなめ)のところと言えます。
だからこそ、特に最初は事例からの影響は、出来る限り受けずに独立独歩のほうが良い気がしています。
最初は
「学ぶは、真似るから」と、まずは真似ることから・・・という視点もありますものの、このことが万能とは限りません。
「Why(なぜ?)」の表現において、” 最初に取り掛かる時点では ” 誰かを真似るところではないと考えられます。
ご注意していただきたいのが、” 最初に取り掛かる時点では ” という点で、いつまでも、ということではありません。
見直しや改訂などのブラッシュアップの段階では、他の事例などにも目を光らせていくことは必要となってきます。
その際は、「守・破・離」というプロセスも多かれ少なかれ必要になってきますが、いきなり、最初の段階では混乱してしまうほうが多いかもしれません。
ですので、最初からはまだ早いという意味でしかありません。
まずは、甲乙などを気にせずに集中して取り組んでいくことで、養われる感覚・視点もあると推測されます。
その感覚・視点が養われてきてから、初めて他社事例に振り回されないで観る目が出てくると考えられます。
どこかで見たのと似ているなぁ・・・
受け手の方に、このように感じられてしまうことを避けるためでもあります。
また、表現テクニックに影響され過ぎるあまり、かえって書けなくなったりすることを避けるためです。
今の私では 書けない
もっと もっと 学んでからでないと・・・
テクニックを知り尽くすのは、おそらく、不可能でしょうし、今の私でないと書けないものがあるはずで、その心の声、肉声が大事だと、私は思います。
- 「Why(なぜ?)」は、当然、人によって大きくチガウ。
- フレームワークや参考事例が、せっかくのポテンシャルを抑圧することもある。
- 「何か、どこかで見た」っぽいと思われてしまうことを避ける。
- 最初のアウトプット推進力を阻害しないためにも・・・。
「テクニック不要」でも「テクニック至上」でもありません
ここで勘違いしないでいただきたいのは、想いが全てで、テクニック不要論などをかざすわけではありません。
言葉を使って表現していくにしても、想いもテクニックもどちらも必要ですが、言葉のテクニックが先に立つわけではないということが、とても肝要と言えます。
やはり、テクニックなどの「やり方(Do)」以上に「在り方(Being)」です。
つまり、表現の精査や見直し、ブラッシュアップ等々は・・・” 後から行う “
その際に、だんだんとテクニックも取り入れていって、じっくり丁寧に反映させていけば良いという意味です。
自ずと何度も、読み直し・改訂の手間はかかりますが、私はそれで良いと思っています。
ちなみに、慣れていくにつれて、その繰り返しの手間・時間は短縮できたりしていくかな、とも思います。
巷、「テクニック至上」が、もてはやされていないか?
様々な高等テクニック、それはそれで凄まじいものもありますので駆使することで、多少はどうにか出来るかもしれません。
ですが、人は言葉のテクニックなどに、” 心底 “ 惚れるわけもなく、言葉を超えた、その奥にあるものを感じ取り、動いていただけるのだと思います。
言葉を使っていながら、言葉以上のものを醸し出せるかどうか、が、とっても肝となるところで、まずは、そこに集中することからだと思います。
(ちなみに非言語のところの重要性については、こちらの過去記事の後半でも触れております)
仮に、テクニックでどうこう出来たということがあっても、それはテクニックを超えたものと大きく長い目で比較してみた場合、到底、かなわず、砂上の楼閣のようなものなのではないでしょうか?
コピーライティングやセールスライティング、トークスキルなどの技法優先で行くのなら、技法は溢れかえるほどあり仕入れられるでしょう。
仕入れられるという、産みの苦しみが少ない分、他の方でも、その気になればマネしやすいものとなります。
手っ取り早く、即物的に、ではなく、本当のものを求め続けていくなら、テクニックは後からのほうが良いと、長い年月で私は感じ続けてきました。
強く深い「Why(なぜ?)」をベースに、言葉以上のものが醸し出されているものは、多くのテクニックを要さずとも惹き付けられるものがあります。
逆に、テクニックなど不遜で邪魔な時だってあります。
その求心力は、その書き手独自のもので、誰かが真似しようとしても似て非なるものになります。
つまり、このほうが世間で言われる「顧客の流出」を未然に防げる、ワザワザ防ごうとしなくても自ずとそのようになる確率が上げられるということです。
- 言葉のテクニックなどは、後から考える。
- 言葉以上のものを込めることに集中する。
- テクニックで得られるものは、テクニックを超えたものには敵わない。
- 顧客の流出を防げる確率も、自ずと上がる。
テクニックが先に立っているものは、見る人によっては臭いで感じ取られます。
どんなに上手な描ける画家でも、それだけでは売れないということとも似ているかもしれません。
もしくは、対人折衝の巧みなセールスマン・・・。
上手く言えないけど、不快・・・
気が付いていないのは本人ばかりで、このようなこともありますね^^;
こうなってしまうと、頑張れば頑張るほどに、空回りしてしまうのではないでしょうか。。。
「なんか、鼻に触る」まで行かなかったとしても
あなたの「Why(なぜ?)」を考え抜いて、とても良い感じに表現できたとします。
そうして、それらを観て優良な見込みある、心地よく熱心なご連絡をいただけたとします。
ここまで行くと、とっても嬉しいですし、続けてきた甲斐がありますね^^
ところが・・・ご連絡いただけた方と、実際に接した際に
思っていたのと
何かがチガウ
このような現象が、連続して起こるケースも過去の弊社クライアント様ではありました。
いわば、「問い合わせは来るのに、どうも話が進まないことが続いている」という決定率の低いケースです。
これは、自らのウソ偽りない在り方を表現することから、少しずつでもズレていった場合に起こります。
ついつい、表現技法にばかり走りすぎると、実際の姿とは別ものになっていき、机上のものになっていくことが起こりやすくなるのだ、とも推測されます。
そうなると、せっかく、あなたの「Why(なぜ?)」を観て来られた、お客様・クライアント様と現実に接した際に「何かがチガウ」という違和感を含ませたものになってしまうということですね。
「ウソを付いた」とまでは言われないかもしれませんが、このようなことも現実に起こりえます。
このような関係性ですと、成約に至ったとしても、何かの時にスグに顧客離脱を巻き起こしやすくなります。
もし、この流れで離脱になっていった場合は、泣こうと、わめこうと高確率で戻ってこないと予想されます。
なぜなら・・・
思っていたのと違ったんだ!
もう、いいや
・・・と、なりやすいからでしょうか?
二度とリピートしない、逆効果のものとなる残念な確率が上がり、やり過ぎると自社の信用すら落とす一石になってしまうかもしれません。
そして、創っている時点で表現テクニック走りすぎているかどうかは、それなりの場数をこなしていないと、なかなか気がつけなかったりするようです。
そうなると、せっかくのご縁となるはずだった、一期一会の出逢いが後の祭りになってしまうかも、しれません。
- 技法に走りすぎると「何かがチガウ」となることも。
- 「何かがチガウ」と思われると、離脱率が上がりやすい。
まずは少しずつでも
テクニックも事例も他の誰かのことは、一時的にでもできる限り気に留めずに、まずは、今のご自身の真っ直ぐな感性や想いから、とにかく書き出してみる第一歩が大事だと思います。
「真っ直ぐな」と書きましたが、変な駆け引きや誇大表現、ハッタリも一切不要でしょう。
それらは、仮に自分は良かれと思っていたとしても、変な臭いを醸し出してしまうかもしれません。
次の記事では、この「真っ直ぐな」に関して、すこし記してみたいと思います。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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