以下は、読む人によっては、私の個人的な感覚と取られるかも?しれませんが・・・
お金や実績への執着心から離れられてから、それらが予想以上に、キレイな形で気持ちよく付いてくるようになると、私は感じます。
「逆もまた真なり」ということでしょうか。
このことは、変な自己啓発や思い込みなどのものではありません。
私自身、ある時からハッと体感で気がついたのですが、いくつもリアルに実体験してきた中で、今はリアルな肌感覚としてあります。
経済的な実績や他者からの評価などは、追いかけない姿勢や意識でこそ得られる、という肌感覚です。
私などは恵まれた生まれ・育ちではありませんでしたから、泥臭く、富や名声などへの執着心は油断すると、スグにムクムクと沸き起こってきます。
ですが、追いかけると逃げていく、と言いますか、追いかけて得られたとしても、小さいものだったりします。
お金は、生きていくために必須なものでありますが、だからこそ、執着しない、執着したら逃げていくのですから、ということですね。
「評価」も、気になります。
私のような凡人は、思考でいくら思っていても、まだまだ敏感に気になります(笑)
私が、それらを得られたと実感できた時は、後になって思えば、それらを追いかけていない時の結果でした。
執着を止めて、根幹や本質に、こだわり続けた上でのことでした。
例えば、(集客支援の)クライアント様を得ることに自社努力だけでも困ることもないのに、ご紹介も数珠つなぎのように出て来ることも続いたりすることもありました。
それら皆さまが質の良いお支払いをしていただけた、優良クライアント様で、ご紹介に甘んじたダンピングを要求されたわけでもありませんでした。
このことは、もし私が、口先だけでの、なんちゃってコンサルタントをしたりして、他者(他社)を食い物にしていたら、まず得られなかったことだと思います。
他、付随してきたものとしては・・・
私より世代からして大先輩の中小企業の経営者の方々、300人以上の前で登壇してマイクを持つ主催者側の立場になったり、マスコミ紙にも度々、掲載されたり。
世界的に有名な、社会奉仕団体の新支部の立ち上げ役員になったり等々・・・の現象がありました。
ここで書いた自社業務の集客以外の、あれやこれやは、ガラでもない自らの立候補ではなく、全て他者からのお声がけから受けてきたものです。
名声の部分は、私には性格的に合わなかった(疲れてイヤになった)ので、長く続けることはしなかったものの、これらは、人間社会での惹き寄せの心理にも基づくものですので、普遍性があると感じています。
時代が変われば通用しなくなるような、一過性のものではないと思います。
当時は、いわゆる「レベルの違う世界」と呼ばれる所に関わりたかった、そして、惹き寄せることが出来た、ということだったのでしょう。
当時は、こんなことが、とてもうれしく誇らしかったりしましたが、今、思うと、本来、求めていたものからかけ離れていく動きにハマっていたとも思います。
そもそも「レベル」というキーワード、仕事で便宜上、使うことはあったとしても、どことなく違和感のある、内心にフィットしないキーワードです。

ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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