上記の写真では画面に映っている風景が、全てではありませんね
○「そのまま」の受容から始めるために
状況などの事柄の把握や改善も、とても大事ですが、それは人間関係のコミュニケーションにおいて、” 感情や気持ちを知るための取っ掛かり(入り口)”とも言われます。
人は感情の動物とも言われて、どんなに頭脳明晰でロジカルな人でも、最終的には「感情で判断」しています。
その感情や気持ちを「知る」ために偏りや固定観念でのフィルターにかけてしまうと、ズレたり歪んだり、一部を切り取って、しまいには膨らましてしまったりと別物になってしまっては「知る」ことすら成り立たなくなります。
その人を大切に尊重しようとする場合は、まず「そのまま」を傾聴で聴けるかどうかが大切ですね。
傾聴で聴くとは、話し手を受容するということですが、明確には「傾聴の3つの基本態度条件」からが土台となるものです。
「そのままを聴く」というのは、曖昧な話は曖昧なまま、複雑な話は複雑なまま聴く、ということでもあると学びました。
○ 簡単には分かり合えない
生まれた時から、お互いに違う旅路を歩んできた人間です。
交わり重なり、伴に旅するようになったとしても、人は簡単には理解し合えないことだって少なくないのではないでしょうか。
表面的な意味での「分かり合えた」でしたら、簡単に思えるかもしれません。
ここで言いたいのは本来の「分かり合えている」…
つまり、深い意味でそうなっているかどうかということです。
そう考えると、もし、簡単に分かったような気になられたとしたら…虚しくなるのではないでしょうか。
人によって違いはあったとしても、個人的な思いを分かり合える範疇(はんちゅう)には、きっと限りがあるだろうと思います。
仮に、どんなに「私は単純だから」と自己表現している人であったとしても、人は元々、複雑な生き物ですから、それは一部の自分を主張しているだけであり、実際は違いますよね。
○ 嘆く前に
ですので「理解し合えないから嘆く」というよりも、「分かってくれようとしない」から哀しいということだって少なくないように思います。
理解してくれなくても、「本心から真摯に分かってくれようとしてくれていたら」、感じ方は大きく違うのではないでしょうか?
すぐに理解されるようなことではなかったとしても、批判やジャッジなどなしに共感的な姿勢で “「理解しよう」と受け止められている安心感や心地よさがあるかどうか。”
分かってもらえている度合いより、まず、そのほうが私は大事なように思います。
ただ、分かろうと寄り添ってもらいたい、という気持ちは本能的な「愛と所属の欲求」の一つとも言えます。
寄り添ってもらえるだけで、受け止め・受け入れられるだけで満たされることだってあるでしょう。
○ わかり合っていくには
理解をしていくには、沢山の話を傾聴で聴き続けないと、どうしても断片的で平面のようなものだと思います。
人の気持ちとは、例えば「嬉しいけど、不安」・「愛しているけど、哀しくなる」など、平面ではなく様々な側面がありますね。
そんな人間の気持ちをリアルで立体的に把握して理解していこうとするには、まず、何度も話をお聴きして「もう、本当に話すことはないですか?」と確認した時に、本当に話し切っている場合でしょうか。
きっと、そこが、” 本当の第一歩 “ではないかと思います。
それ以前の段階では理解されることそのものよりも、理解しようと受容されていること、まず、ここが重要ではないかと思います。
大げさかもしれませんが、受容されるだけで生きていける場合もあり、それだけで「私は独りじゃないんだ」と感じられて、勇気付けられたりする場合も少なくないのではないでしょうか。
○ 目的は、目先の物事ではなかったり
人は何かを求める時、「どんな気持ちになりたいか」が目的ということも思い出されます。
何か物を買うことも、サービスを受けること(どちらも事柄)も、実はそれら自体が本当の目的なのではないのですね。
その先で「どんな気持ちになりたいか」という目的があるわけです。
例えば、物を買うことで、便利で快適な生活を味わいたいという気持ちがあったりしますね。
サービスを受けることで、面白かったり、癒されたり、自己成長できて嬉しい・充実感や達成感があるのようなものです。
つまり、物やサービスという事柄自体が欲しいのが目的ではなく、「自分の心を満たしたい」という根源的な欲求からのアクションと言えます。
なぜ、この喩えをここで思ったかですが、このことはコミュニケーションの場でも当てはまるからです。
「分かってもらいたい」という思いも、「分かってもらうこと」そのものが目的でない場合も、よくあります。
「全部を分かってもらえるなんて思ってはいない」・「だけど、分かろうという心で受容して欲しい」
受け止め・受け入れられることで満たされるという、人間の基本的欲求もあるからですね。
具体的には、基本的欲求のうち「愛と所属の欲求」と言えると思いますが、これは二大欲求のうちの一つです。
(もう一つの二大欲求は、「力への欲求」(成長・達成など)があります)
他にも基本的欲求は「自由・楽しみ・生存」などもあり、人によりそれぞれの強弱は違いますが、いずれも遺伝子に組み込まれた本能レベルのものとも言われます。
『きっと明日はいい日になる』の中の『思いやる』より
田口 久人 (著) 出版社 : PHP研究所 (2018/9/18)
落ち込んでいるときに
元気を出してと言われるより
失敗したときに
大丈夫と言われるより
フラれたときに
もっといい人がいるよと言われるより
そばにいて
ただ話を聞いてくれたほうがうれしい
何を言うかより何を言わないか
言葉にできない気持ちこそ
思いやりとなる

ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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