「無国籍料理」が教えてくれたこと

私は無国籍の創作料理が好きで、昔、その料理人をしていたときがあります。

和洋中、さまざまな材料や手法、考えなどを取り入れて、新しい世界観や味が生み出せていけるのは、とても驚きであったり発見でもあります。
様々な一連の要素に文化や思想、ドラマがあったり、世界中を旅することは出来なくても、味(味覚・嗅覚・視覚・触覚)を通じて、お皿の上でだけでもいくらかの世界を実感できるような感覚…

同時にそのためには料理は亜流ではなく、本質を知っていくプロセスがとても重要です。
素材・手法・レシピ・調味料・盛り付け・提供…
合うドリンク、空間・シチュエーションなど…
原則も基本もなく、新しい味を現実的に創り続けることは出来ません。

いま、この例えを出したのは、心のための学びや実践でも、本当にそうだなぁと思うからです。
この世界でもなおさら、本質とは何だろうか?と歩んでいきます。

そのために「なぜ、これが原則のようになっているんだろうか?」というところも知っていけるように、伴に学び実践に向けていけるプレイスも、私は創っていきます。
けっして完成することのない、変わり続けるプレイスです。

ここで変わらないのは、「完成」と思わないで深化させたり、拡げたり変化し続けていくあり様です。
ここでは「先生」は居なくて、「あ、こういう星もあるよ」、「こういう星もあるね」という、一時的にナビゲーションし合う関係性です。
私も星についてシェアしたり、願いを込めて近づくためのご飯を創って提供したりします。

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