執着よりも大切なステップ

○ 基本的だけど大事なことから

 

あなたには、何か執着している人物はいますか?

その執着と共に不安を感じることは、よくありますか?

「こんなに好きなのに…想っているのに…」と、ぐるぐる感情がうずまきますか?

 

愛とは違って、執着とは自分のことしか考えていない状態です。

執着と愛は混同されることもよくありますが、執着の状態では、常に自分のために相手の存在があり、相手よりも自分を気にかけています。

相手を気にかけるように見せていても、それが自分のためが優先なら、遅かれ早かれ見透かされてしまいます。

見透かされるのは、自分の都合の良いようにしか考えていないからです。

それが言葉の端々や態度ににじみ出てくることから、相手は違和感を覚えて、やがて不快感や不信感に繋がってしまいます。

…と、ここまで基本的なことだけど大事なことを記してみました。

ですが、上記のような基本的なことは知っていても「分かってる。よく分かってる。でも…できない!」という場合も多いのではないでしょうか。

 

○ 執着よりも…

 

今回は『執着よりも大切なステップ』というタイトルにしましたので、そのことに触れてみたいと思います。

分かっていても出来ないのなら、出来るように内面を磨くことが大事ではないでしょうか?

そのための最初の小さな一歩は後述しますが、なぜ内面を磨くことが大事かと言えば、どこまで行っても執着にはゴールなどないからです。

あれもこれもとなっていくだけでなく、双方がそれを受け入れようとすれば、どうすれば無理なく出来るでしょうか?

その方法があるとしたら、なぁなぁの誤魔化しの共依存の状態ぐらいで、それはお互いを都合の良い幻想に観ているだけなので、現実に触れるほどにいずれ破綻します。

現実からかけ離れた幻想は、二人だけの密室や無人島にい続けるなら維持できるかもしれませんが、実際はそうはいかないでしょう。

そもそも、それは視野の狭い、限定した状態での寄り添いなので、何かあれば崩れやすい砂の上のお城のようなものになってしまいます。

それよりも内面を磨いて、より魅力的になっていったほうが、あなた自身も充実してくるし、相手も改めて惹き付けられて、どんどんと上手くいくようになるのではないでしょうか?

元々のあなたの魅力を感じていたから、相手も好きになったはずです。愛してくれていたなら尚更です。

その魅力を曇らせるのではなくて、さらに磨けば執着などするよりもラクに行くのではないでしょうか。

でも…と思う方も、ぜひ、もう少し読み進めてみてください。

 

○ 愛からか? 不安からか?を認識して…

 

そのためにまず、どこから始めたらいいかな、と思いますか?

最初に、以下のようなシンプルな問いかけがありますが、まずは現状の認識からです。

「それは愛からの行動ですか?、それとも不安からの行動ですか?」

 

…さて、どちらでしょうか?

不安からの行動だと、その度合いによっては、いずれ上手く行かなくなります。

相手は誠心誠意で愛していきたいとしているのに、もし、不安な気持ちが前面に出ることばかり続くとしたら、それは、何故でしょうか?

もしかしたら、一つに相手の本心は別のところにある、本当ではないというのがあるかもしれません。

そうではなくて、相手は本心から誠心誠意で大事に思ってくれているのに、不安に振り回されるとしたら、相手を見ずに、何かの執着から見ているからではないでしょうか?

つまり、相手のそのままの心を見るよりも、「自分のための相手」として見ているから、不安が出てくるということもあるのではないでしょうか?

例えば「自分の不安を全て受け止めてくれる相手。その不安が、どれだけとめどもなく流れ出ても…」だしたら?

相手は「なぜ、信じてくれないんだろう?」と寂しくなったり、しまいにはイラついてしまったりすると思いませんか?

「自分のための相手」と観ている限りは、他人をコントロールすることなど出来ないのに、どこかで、それをしようとしてしまっている状態です。

白馬の王子などいないと分かりきっているのに、もしかしたら…どこかで求めてしまっているのかもしれません。

そんなわけはない!、そんなことは分かっていると逆ギレするよりも、少し見つめ直してみてください。

「私を助けてくれるから」・「私を支えてくれるから」・「私の不安を和らげてくれるから」・「優しくしてくれるから」など、もし、そのためだけに接している限りは、常にどこかに不安がつきまとうでしょう。

気が付いたでしょうか?

ここには全て「私のために」が付いて回っています。

仮に全てがそのためでなくても、どこかで、そのような依存心が強ければ、それは歪(いびつ)になってきます。

なぜなら、それは相手を行動であれ、精神的であれ栄養分として利用してしまっているからです。

相手のことを思うだけで幸せという気持ちとは逆…、違いますよね。

相手は、あなたに利用されるために存在しているのではないので、もし利用できなくななったらどうしよう?という不安がつきまとってしまうのは、当然です。

利用というのは、精神的であれ物理的であれ、どちらかがどちらかに与える(ギブする)比重が多くなってばかりいると、利用になってしまいます。

与え合うからズレていった、与えてもらうことばかり望んでしまっている状態ですね。

では、どうすれば良いのでしょうか?

不安に囚われている度合いが強いと、それで例えギブしても、愛からの純粋なギブというより、どこか見返りを求めた純粋ではないギブになってしまうかもしれません。

では、その不安を、どうれば良いのだろうか?となりますね。

不安は目を逸らしても、ごまかそうとしても、それで解消されるものではなくて、だからこそ、やっかい…と感じることと思います。

ここで「不安」は必ずしも良くないものとは限らず、何かを気が付かせてくれるサインだったりします。

不安に呑まれそうでも、そのサインが何なのかを見据えられるかどうか、一つの正念場だったりしもしますね。

その前に不安を相手にそのままぶつけて解消される場合もあれば、そうではない場合に触れていきます。

 

○ そうするだけで幸せという感覚

 

相手は、あなたを愛しているからこそ、あなたとのことを喜んで最優先させていたとします。

ですが、それは義務感でもなければ、あなたを自分に依存させるためでもありません。

あなたに喜んで欲しかった、一緒にいたかった、ともに安らぎたかったなど…。

純粋なギブ、本来、見返りなど求めていなかったギブでした。

ところが、それがあまりに相手からの一方通行で与えてばかりだと、いずれ気づかれます。

…何に気づかれるかは、素直な自分の胸に手を当ててご自身で考えてみてください。

気づかれて、そのままだと相手も寂しさから、いずれ歪んできてしまったかもしれません。

見返りなど求めていなかったのに、ただ純粋な気持ちや想いだけを求めていたのに、一方通行だったと認めたくないばかりに見返り的な何かを言い出してきたかもしれません。

ですが、それが一番、欲しかったのではなくて、本当は、あなたの優しく暖かい愛情の気持ちを向けてほしかっただけかも知れません。

相手は、あなたと共に見たい夢があったから、色々と改善を試みようともしたかもしれません。

でも、愛と執着の狭間では、あまりに揺れ動くことが多くなり、それは叶わず、叶わないどころか哀しく壊れていくかもしれません。

まるで、津波に壊される堤防のようなものかもしれませんが、決壊したならそれで終わりとは限らず、人には自己回復能力(ホメオスタシス)というものが備わっています。

 

○ どこから進もうか

 

では、どうしたら良いのでしょうか?

ますます、不安からの執着に流れますか? その先に道はあるでしょうか?

相手が○○のようにしてくれたら…と、どれだけ思っても、それが通じないのなら理由があるはずです。

執着している限り、それはいつまでも視えてこないままですし、要因が分からないと進めるものも進めなくなってしまいます。

そうして同じことの繰り返しになるばかりでしょう。

または思い切って相手と別れて、別の相手に変えたとしても、根本が執着や依存のままでは、どこかで同じようなことを繰り返してしまうでしょう。

そうして、もし、どこか白馬の王子を探すように星に願いを託したとしても、それは幻想で、幻想にハマっているときほど幻想を見ているとは気づきにくかったりします。

他人をコントロールすることは出来ませんが、自分をコントロールすることは自分次第です。

自分の感情の管理者は、他の誰でもない自分です。地に足をつけて、足元と前を見てみましょう。

執着や、その先のせつなさ・哀しみのループから脱するには、内省と内面を磨いて成長させるのが大事ではないでしょうか?

まずは、執着している想いを良い悪いなど関係なしに、自分だけのノートに書き出してみてください。

延々と続いても大丈夫ですから、とにかく書き出してみてください。

誰に見せるノートでもありませんから、そこでは評価(ジャッジ)も制限もなしで行きましょう。

そうすることで次第に、その執着が客観視できるようになってきて、執着の囚われから自由になりやすくなってきます。

もし、そんなことして、どうなるの?と思えたとしても、その前に案ずるより産むが易しです。

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