傾聴で同感に依存してしまうと・・・

「共感」と「同感」を区別して捉える

 

友だち同士での会話では「わかる! わかる! 私も~」などは使いやすいですが、これは同感ですね。

では、不特定多数のクライアント様に向けて、「わかる! わかる!」と言えることが、どれほどあるでしょうか? 

「同感」とは、言葉の通り同じように考えたり感じることで、喜怒哀楽を同一化するかのように共有する心の働きといえるでしょう。

 

はたして同感は、不特定多数の全ての方において可能でしょうか? 

つまり、何でもかんでも全てにおいて「わかる! わかる! 私も~」などと反応できるものでしょうか?

当然ですが、ウソや誤魔化しなどは見透かされるものでしょう。

そもそも「誠実」ではありませんし、誠実ではない傾聴などあり得ないですよね。

 

この「同感」に依存していると天井が近いですし、自分の感情もコントロールしにくくなり呑まれやすくもなりかねません。 

ですので、傾聴では「同感」ではなく「共感」を使います。

「共感」とは、違う立場・環境の人間として、心のなかで薄く柔らかい風船のような一線を保って行なうものです。

同一化することではなく、自分の感情をコントロールした理性的な反応です。 

傾聴での「共感」

 

傾聴で同感に依存してしまうと・・・ 

 

 天井が近い。範囲が限定されやすい。 

  • 自分の経験や感覚の範囲内でしか、「わかる! わかる! 私も~」といった同感は出来ない。
  

 同感による仲間意識がズレたとき、残念感を味わいやすい。 

  • 話が進むほどに深まるほどに、ズレる確率は上がると予想される。 
  • 友だちのように親しくなったとしても、以前からの友だちではないため「共通話題」が豊富とは限らない。
  • お互いのことが、たいして分かっているわけではないため「共通認識」が多いわけではない。
  • 仮に、単発だけの関わりだと、余計にズレやすいことも多いのでは?という懸念も発生する。

 目先に流され、共依存を招きかねない。

 そして、傾聴から外れ「傾聴っぽい」ものになってしまう。 

 そして、傾聴の目的は忘れ去られていく。。。(悲) 

 そして・・・どこに向かうやら。。。 

 

「本当に理解してもらえるのか」

 

 

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