「どうせ、きっと、私なんて……」

 

いつからか、この感覚がめっきり出て来なくなっている。

思い出そうとしても、なんだか思い出せない。

通り抜けて忘れてしまったのだろうか。

ため息を吐き出すだけ吐き出して、グダも巻いてから

ダメなら、ダメじゃない方角と場所を探して行けばいい。

そういえば、「昔は良かった」みたいなことも、全然、思わない。

かつて、多幸感が絶望の日々に変わったことも、

今は為るべくして為ったのが分かるし、

散々、考え尽くしたからか、戻りたいとは思わなくなった。

トンネルをいくつも抜けて抜けて、自然と前だけを観てる感じ。

 

だけど、もちろん、完璧なんかではない。

ふいにわき起こる劣情もあるけれど、振り回されることはない。

あの時、あの抑圧や不安に流されなければ、どんな人生になっていたのだろう?

 

結局、それからは外れて、元々、自分が求めていたものに寄ってきているが、

少なくとも大幅に遠回りすることもなかったのではないか?

染まることも、変な影響も受けることはなかったのではないか?

 

ふと、そう思ったりすることはあるけれど、すぐに薄まる。

右往左往して遠回りして年数を費やしてしまって、

心理面でも自分にとってマイナスの要素もあったけれど、色々なリアルが観れて感じられた。

それが挫折を少ししか知らない純粋培養よりは、私の味になっているのだろう。

きっと。

どんな味に感じられるかは個々に依ることだ。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


新着ニュースレター(無料)

Topix

  1. 「陰」を観続けたからこその「陽」の灯火

  2. 「どうせ、きっと、私なんて……」

  3. 手から、こぼれ落ちる砂のように

「言葉の糸」

誰かの 少しずつ紡ぐような
哀しみ 痛みの言葉の糸に触れて

近ければ近いほど

自分だけ特殊ではないんだ

異常なんかじゃないんだ

辛いと感じているのは

間違っていなかったんだ

ズレていなかったんだ

そう 一人でも感じてもらえたら

未熟な私が 未熟なまま 紡ぐ言葉

話し相手(傾聴)サービスのほんわか倶楽部でストレス解消

新着ニュースレター(無料)

TOP