いつからか、この感覚がめっきり出て来なくなっている。
思い出そうとしても、なんだか思い出せない。
通り抜けて忘れてしまったのだろうか。
ため息を吐き出すだけ吐き出して、グダも巻いてから
ダメなら、ダメじゃない方角と場所を探して行けばいい。
そういえば、「昔は良かった」みたいなことも、全然、思わない。
かつて、多幸感が絶望の日々に変わったことも、
今は為るべくして為ったのが分かるし、
散々、考え尽くしたからか、戻りたいとは思わなくなった。
トンネルをいくつも抜けて抜けて、自然と前だけを観てる感じ。
だけど、もちろん、完璧なんかではない。
ふいにわき起こる劣情もあるけれど、振り回されることはない。
あの時、あの抑圧や不安に流されなければ、どんな人生になっていたのだろう?
結局、それからは外れて、元々、自分が求めていたものに寄ってきているが、
少なくとも大幅に遠回りすることもなかったのではないか?
染まることも、変な影響も受けることはなかったのではないか?
ふと、そう思ったりすることはあるけれど、すぐに薄まる。
右往左往して遠回りして年数を費やしてしまって、
心理面でも自分にとってマイナスの要素もあったけれど、色々なリアルが観れて感じられた。
それが挫折を少ししか知らない純粋培養よりは、私の味になっているのだろう。
きっと。
どんな味に感じられるかは個々に依ることだ。

ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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