『読んでいただける方への「敬意」を持つには』というテーマで、全5回に分けて投稿しております。
本記事は、その第5回目です。
前回までの記事は、下記リンク先をご覧ください。
後ろ足で、ホコリまみれの隅に追いやっていないだろうか?
猪突猛進に突っ走る余り、声にならない声を、そうと知らず潰してしまう、または埋没させてしまっていないか?というのは、いつも力及ばずながらでも気にかかります。
……でしょうか。
どこまで行こうとも完璧な文章など存在しないのに、と思えたりしてしまいます。
他の方の文章を観ていても、とても素晴らしい内容が大半なのに、たまに、そのことに気が付いていない姿が文体から読み取れてしまうザンネンな時があります。
次に書くのは、書いても伝えるのが難しいところで半信半疑に思われるかもしれません。
…… サッと流し見で進めていただければ幸いです。
私は、気質に関わるテストの結果も感覚処理感受性が「非常に強い」と出ましたが、良きにつけ悪しにつけ、とても敏感な特質のようです。
潰してしまう、または埋没させてしまえるイノシシな人が気が付かないところが、(もちろん完璧ではないにしても)感じられるほうだと実感できてきた諸々の経緯があります。
併せて、私自身もどれだけ自己チェックしても至らないところがあるんだろう、と思えたり、何年も経ってから、ふっと気がつくこともあったりもします。
慢心には気を付けつつ人の振り見て我が振り直せで、反面教師の機会に恵まれたとも考えられますね。
「敬意」×「敬意」を心がけたい
これも当然といえば当然ですが、「尊厳」も「敬意」もファッションではありません。
- ちゃんと相手を”真っ直ぐ”に観ていますか?
- それとも、型にはめるかのように”斜め上”からですか?
釈迦に説法のようですが、表に出した言葉はその時点から独り歩きします。
独り歩きされてしまうことにおいて……
これらの言い訳は自分を許すためには大切としましても、それが万人に通じるとは限らず、現実として言葉は、そのまま独り歩きしてしまうことも否めません。
多かれ少なかれ表現者の端くれである以上、言葉には、とんでもない力があり両刃の剣でもあることは忘れずにいたいと思います。
楽しく邁進する、その足の後ろ側でホコリまみれに何かを潰していないか、よくよく気を付けたいものですね。
そのポイントは、書き手としての根底に「敬意」を、どこまで心がけているか、その在り方によると感じます。
そう考えると、どこまで出来るのだろうかという気持ちも起こります。
これまたゴールのない話に思えてしまいますが、猪突猛進して突っ走ってばかりいて、アクの取れていないエグミスープにならないよう気を付けたいですね。
前回までの記事は、下記リンク先をご覧ください。
Ps-
以下の外部ブログ記事も、面白いなと思いましたのでご紹介としてリンク貼り付けいたします。
著書も出しておられる精神科医シロクマ(熊代亨)さんのブログです。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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