読んでいただける方への「敬意」を持つには

『読んでいただける方への「敬意」を持つには』というテーマで、全5回に分けて記していきます。

本記事は、その第1回目です。

 

綴られる世界たちを観ながら

 

日常的に様々な方の文章を拝読させていただいたり、私も稚拙ながらも駄文を書いたりしています。

色々と読ませていただくことで各位の文章から、その配慮のされ方など、とても参考になることも多くあります。

文体から感じられるお人柄や思考・マインドセット等々、受けて心地よい影響は沢山ありますね^^

時にはその逆もありますが、それはそれで何故、そのように書いたのかなどを考えてみる意味で参考になることもあります。

(イヤな書き方をされているなぁ…と思えてしまう記事を見かけた場合は、なぜ、そのような穴に陥ったような書き方をされているのか、自戒を込めて見るようにしています)。

書く人によって十人十色な表現があり、それら多様な表現に水を飲むように触れられたら、私は幸福感も感じます。

私は書くにしてもテンプレートやパターンにはめ込むような創り方よりも、たくさん読んで感じて…… 肌感覚を少しでも養うほうが大事で近道だと捉えています。

(テンプレートやパターンなど型にはめ込むような書き方は、書くトレーニングの1つとしては良いかもしれません)。

肌感覚を育てるためにも急がば回れで、可能な範囲での多読も意味があります。

読んだ全てを記憶することなど不可能ですが、影響を受けて自らのフィルターも通して残るものは有形無形に残ります。

何かしら書く方の多くがそうなのではないかなと推測しますが、私も読む時に、自然と書き手としての視点で読むクセになっています。

書き手として読む

 

こうして何かしらの影響を受け続けながらも、書くということには到底、学び切れないぐらい諸々の大切な要素があります。

私も学びを続けていきたいと望んでいますが、いずれも根幹として読み手への敬意が大切だなぁと思います。

「敬意」とは ” 相手を敬い、重んじること ” とあります。

「敬意」を払うのは当然過ぎるぐらい当然だろうと思いつつも、軽視してしまったり忘れてしまうこともあるかもしれません。

 タイトルにも「敬意」と含ませて、この最初の章からも主訴(もっとも言いたいこと)として繋げたのは、以下に記していく多少の意味があります。

(この記事は私の書き方の姿勢も交えつつ、大半を抽象的に記しています)。

 

醸し出ているもの

 

画面の向こうにいる読み手さんは血の通った生身の人間に他ならないことも、当然といえば当然かも知れませんね。

ここを、なんとなく「そうだねぇ」と華麗な流し目で思っているのと、ガン見で意識しているのとでは違いが出てきます。

相手が生身の人間である以上、言葉で書く以上に醸し出る敬意や暖かみが伝わります。

つまり、どこを観て、どのような気持ちで書いているか?という自己チェックが大切ということになります。

入力する眼の前の画面だけを見ているということはないですか?

 常に、目の前に読み手さんが居るイメージで書いていますか?

” 目の前の画面を見つめると同時に、画面の向こう側に読み手さんがこちらを観て座っていて、発する者としてそこを観るイメージ “ を持つようにしています。

書く内容によっては、読み手さんは「見込み客」と捉えてもいいですね。

集客施策の一環としてコンテンツを書く際には、以下の視点を踏まえることが肝要になってきます。

「ただ一人…」に向けていく強さのリアル

 

主観と客観を行ったり来たり

 

読み手さんが目の前に座っているとイメージして書いたとしても、書いた直後はどうしたって見落としがあったりします。

” 熟成と見直し改訂 ” は大事で、「熟成→ 忘却→ 発見」のようなサイクルが習慣になっている書き手さんも多いように思われます。

読み手さんを意識しながら、主観と客観を行ったり来たりするプロセスですね。

  • 【 熟 成 】 じっくり時間を置いて(他のことをしたりして)

    → ムズムズと見直し欲求に従います。
  • 【 忘 却 】 次に、書いた内容をほぼ忘れてから

    → 沸々と再・見直しをしています。
  • 【 発 見 】 忘れてから見直すと

    → それまで全然、気が付かなかったことが観えやすくなったりします。
  • 文章を見直すということは

    → 文章構成や文体、誤字脱字・体裁などを整えるだけではなく
  • 自分の感じ方・思考の客観的な見直しと浸透にもなると感じています。

 

随分と月日が経ってから見直すと、まるで黒歴史のように見えたりする記事もあって、思わずフリーズすることも私はあります……^^;。

それも書いたからこそ、公開したからこそ感じられることだなぁと思ったりします。

複数冊の書籍を出していて、その中にはロングセラーもあり海外出版もされている著者の方と、数年来に渡り、公私共に密接に関わっていたことがありました。

( とても哀しかったですが、今は他界されておられます )。

その方が言っていた「文章は叩いて叩いて行かないとね」という言葉には、まるで日本刀を創るかのような印象を受けたのを、今でも思い出します。

 

 利他に 謙虚に

 

もし、どこか、上から目線で排他的だったり、(金銭に限らず実績や結果などの)自己利益ばかり求める心情であったとします。

それは書き手が思う以上に、読み手(見込み客)の方に透けて感じられると考えたほうが良いでしょう。

自己顕示や承認欲求などの心の利益への欲求が強すぎるのも、アクの強さを感じさせる元になってしまいます。

これは書きたいことに囚われるあまり、読み手さんへの敬意が下がっている時に起こりやすくなっていきます。

信頼や利益は実は追いかけるほどに逃げていくとも言われ、それで得られたとしても満足の行くものではなかったりします。

見合う状態になっていれば自ずと(いらないと言っても)満足以上に得られると言われます。

自己利益を最優先したい心情は誰しも持ちえますが、利他の気持ちで敬意を心がけて逆効果にならないようにしたいものです。

 

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