” コトバを綴る ” ということに寄せて

誰かの言葉に触発されて

 

思考にピタッとくる言葉

胸にストンと響いてくる言葉

自らにシンクロしやすい言葉や表現の数々……

ココロの内側を刺激されて、想いが溢れてくる言葉たち……

 

誰かの発信で言語化されているのを観ると素直にすごいな、と、私も感じます。

それらの言い回しなどに触発されて、色んな気持ちが沸き起こることもよくあります。

ところが、自分が何かを書こうとしている時に、なんとなく感じていることとズレているな、と思えてしまう時も、よくあります

でも、そのようなことを感じたり、考えることが増えたというのは、それだけ求める思考が動いたということでもあります。

つまり、目やココロが動かなければ感じられないことですし、それも、蓄積されるパワーになっていくと予想します。

パワワワ~~<←??です^^

まず、ココロのパワーが動いていないと言語化することはできないので、そのエネルギーを感じることが優先で、とても大事な礎として考えます。

 

一歩は、気が付けば千歩に

 

私は、私に対して「千里の道も一歩から」と思うようにしています。

ローマ帝国を創るほどの大それた気持ちでもありませんが、「ローマは一日にして成らず」です。

たとえ、亀の歩みのようでも、牛歩のようであっても、気が付けば、ずいぶんと進んだもんだなと、いつか誰かからの評価で気がつけるかもしれません。

テンプレート、フレーム(型)も、そのための近道の1つかもしれませんが、型にとらわれるとかえって書けないということもありますので、後述する自由発想法との使い分けにも私は思っています。

型の前に、足元(感性、根っこ)を大事に感じていますし、私は集客や販促に特化したものでもなければ、型はあまり使わずに散文系のものが多いです。

型にハメていくことで効率よく導線を創ることもできますが、同時に行間に染み出てくるものも型にハマってしまい、全体としてのニュアンスが変わっていくとも感じるからです。

型を使えないから使わないというのではなく、使うのは特定の場所に限り使うまでで、このようなブログなどでは私はめったに使わず散文調にしています。

 

ゆっくり ひらひら

 

前述で「千里の道も一歩から」と書きましたが、「千里の道」……途方もないと捉えてしまうと疲れてしまったり気持ちも萎えたり、焦ってしまったりするかもしれません。

ですので、「今を楽しめるように」(今だけを観る)、ここに重点を置くように私はしています。

焦ってしまったり、ココロと言葉がズレている度合いが強くなったり無理させるほどに、私は楽しめなくなってきます。

人によって、どのように視えているか分かりませんが、私は結構、飽き性で、短気でせっかちです。

若いときには同棲生活のために何年もペンを折った(書かなかった)時期もありましたが、書くことからどうしても離れられない自分は消えることなくくすぶり続けました。

消そうとしても消せなかったということです。

自己犠牲ばかりではいけないんだと感じたことが、いくつもあり、私は、それらに報いる必要も自分の中では強く感じていますが、贖罪の気持ちで過ごしているわけでもありません。

それを最近の私の言葉としては「利他のための利己」と表してみています。

書くこと自体が目的ではなくて、自分が自分を生きようとするためです。

それに勝るものは「利他のための利己」を観れば、きっと、ないのではないだろうかと思えています。

つまり、自分のココロを感じることを大事にすることは、自分のためでもあり、周囲のためでもある、という認識と痛切なまでの実感です。

今までもどこかで書いてきたように、書くことも傾聴も、私には突き詰めれば自分のためです。

どこまでも上には上がいますので、定期的に参考にして学んだりはします。

だからといって、自分の歩いてきた道、そこから感じてきた諸々のことが、どのようなものであっても誰かと比べて卑下したり否定するということではありません。

今は私は、自分に対して自分の軸を見失わないように、ゆっくりひらひら~を出来る限りはですがキープするように思っています。

自分を律したり背中を押すことも大事ですが、ムキになると胸がウツロになったりもしますので程度加減だと捉えています。

もしかしたら、いつでも、サクサク書けているかのように視えているかも?しれないですが、そうでもありません。

書けない時は、無理しない、無理に書かない、ようにしています。

ストレスは言葉や表現ににじみ出て、濁ったアクのようになってしまいかねません。

 

言葉にならないココロの声

 

寄せては消えそうになる、その時点では儚い言葉たち……

内側から寄せては返す波のように……

 

そっと、そっとつなぎ留めるように手元のメモアプリに、計算なしにつらつらと書き留めて、じっくり熟成させて、暖めることも大事な習慣です。

過去記事で書いてみたフレーズですが、「言葉にならないのも声で、言葉」です。

発信すること以上に内観のほうが先で大事な要(かなめ)であり、すべての源泉。

枯らさぬように・・・ですね。

 

溢れ出すまで

 

色々と読んだり観てきたのが貯まるに連れて、コップに一滴ずつ貯まった水が溢れ出すように一気に書けたりします。

または、貯めながら・・・書かないといられない!という気持ちが湧き出る時も、表現としては未完であってもそれに従うようにしています。

そこで誰かと比べたり、何かに気兼ねしているとブレーキになってしまいます。

ブレーキをかけるほどに、その視えない内心の圧力は言葉をかき消してしまうことも、よくあると、私は感じてしまいます。

ですので、まずは想いのまま書き出す意識を大事にします。

だからといって、社会に接続させるものはなんでもOKということはなくて、言葉を選ぶことも必要ですが、まずは、儚い言葉でも下書きで保存したりしています。

そうして表に出すまでに、ある程度、あたためて熟成させたり精査するようにしています。

 

だんだんと

 

様々な言語化や表現を観るほどに、うわぁ、この表現、胸に響くなぁ~というものがあります。

それは無名であれ有名であれ、そんなことはどちらでも良くて、自分自身に響くかどうかです。

 

それらも、きっと誰しも最初からストンと響く表現は、おそらくスグには出来なかっただろうと、小さな一歩から始まり、その積み重ねであったようにも感じられます。

傍からは、それが出来ているように視えても、自分とはすごい差があるように視えたとしても、進めば、本人には、またその先が観えてしまいます。

どこまで行っても至らない自分を感じて、それは傍からは分からず、本人のみが感じるものです。

そんなこんなで完成も完璧もないわけですが、ココロにピタッとする度合いが高い言語化は、じわじわと成されてくるもののように、私は感じています。

書き手として、じわじわとでもその一歩を進もうとしているかどうか、止めないで済むように自分を保っていることを、とてもとても大事にしています。

感性がセンシティブであるほど、それが多数派でないほど(独自性があるほど)、自分の言葉への丁寧さ・素直さ・誠実さなどを味方に付けておくこと、大事に思います。

 

伸び伸びと量と質

 

気兼ねしたり、むやみに自分に無理させず

今の自分のペースで根っこを見失わないように

 

そうして、積み重ねと進化が進むほどにスピードも上がり、量も増やせてくると肌感覚で実感しています。

増やせてくると、その中からピタッと来るものも出てくるという「量と質」の相乗効果というのがあります。

それに書き続けていくと、いつからか、人と比べてしまう気持ち、私は、ずいぶんと減ってきました。

少なくとも、めったに囚われることはなくなり、素直にイチ読み手、ファンとして観れるようにもなってきて自由度も上がったと言えます。

セルフイメージが透明化されていくほどに刺激を刺激として、インスピレーションとして受け取りやすくなり、より加速されていきます。

囚われないで済むのは、自分の奥のほうの感性は、自分だけのものだからです。

知識やスキルは上には上がいるでしょうが、感性は深耕化や拡充を続けていけば、上も下もない世界に感じています。

誰か一人でも、多少でも認めてくれる人がいれば本当に、私は本望に感じます。

(実際は、それは磨かれるほどに波及して拡がるものとなりえます)。

 

自己一致こそ^^

 

書いていて、なんかチガウな……と感じる感性は、とてもとても大切なものです。

前述で触れましたがどこまで行っても、表現というものにはゴールはないのだろうな?と感じると共に、私が思うことがあります。

「今しか、書けないものは、今しか書けない」ということです。

言葉にすると、なんだか当たり前のように見えちゃうかもしれません。

たとえ、未熟であっても他の○○さんから観たら、ぜんぜんイケていなかったとしても・・・そこは小島よしおです(笑)
 
(「そんなの関係ねぇ♪」です(笑))

まぁ、関係なくもなくて参考の1つには思うこともありますが^^

成長してしまったら、未熟な自分の生々しい言葉では、きっと書けなくなり、成長した自分の言葉で書くことになります。

今だから出てくる言葉、未熟からの言葉だから響くもの、それは今だけの期間限定の宝物かもしれない、とも想っています。

自己一致されているものこそ訴求力へと繋がりやすくなり、それは吹けば飛ぶような一時的なものとは違ってきます。

” 整っていないほうが泥臭いほうが、人は突き動かされる ” というのは感情マーケティングの基礎土台でもあります。

感情マーケティングは、集客の業界を塗り替えたものです。

 

無理をせず生み出し続ける

 

今の自分の軸を大切に感じながら、言葉にならないけど感じている何かを大切に暖めながら、自分のペースで、さっと多読して、多く書くのも無理をしない範囲で続けたいと思っています。

発信する場所にもよりますが、少なくとも、自分の個人配信であれば駄作が多くなっても構わない、という視点も、恐縮ながら私にはあります。

精一杯、書いたとしても駄作ということはあるでしょうし、駄作を生み出し続けたからこそ、響くものに辿り着く、という感覚です。

駄作でも予想外に響くこともありますし、綴っておくことで進化の元になります。

書く場所は多少は選びますが、私の場合はそれがどこであれ、ひと目にさらすほうが自分にとっての見直しが深められていくと感じています。

すこしずつですが磨かれていく感触がします。

いまだにバッチシ!と書いた後々でも思えるものは少なくて、あぁ、成長過程だなぁと・・・いまだに自分に思います。

まったく、ひと目にさらさない秘密のノートもありますものの、以前よりはずっと落ち着いている最近は、どこかで晒している方が多くなりました。

その程度加減は、その時期によって違っています。

 

スグに文章にならなくても構わない

 

誰かの言葉や表現から、刺激を受けてインスピレーションから内側で湧き出てくる、怒涛のような流れに言語化が追いつかないことも、よくあります。

そのような時は、自分の言語化能力に至らなさを感じたりしてしまいますが、そう何でもかんでも、すぐに言葉にデキるわけでもないか、という、今後の楽しみにもなります。

まだまだ、残されているんだな、という楽しみです。

私はどこで書くかは別にしても” 自由発想法 “を大事にしています

ご存知かもしれませんが由来は、フロイトによる心理療法の仕方として有名なものだそうです。

詳しいことは省きますが、思い付いたキーワードを脈略など関係なしに、ただ、つらつらと出していく制限のない自由発想。

そこから紡いでいくということですね。

私はキーワードに限らず、文節でも、つぶやきでも出てきたら何かに書き留めたりしていないと気持ち悪くなってしまいます。

 

楽しめる範囲で触れ続ける

 

そんなことをしながら無理をしない範囲で活字でも、マンガでも気の向くまま多読しています。

その半分、遊びの刺激がまた、創作意欲を掻き立てます。

覚えるつもりで読むものは限られていて、大体は水を飲むようにささっと流すのが多いです

” それでも残るものは自分の中に残るし、残らないものは自分にとってはそれだけのものだった “

・・・と、ライターの専門学校時代に大御所?の先生から教わりました

すこし蛇足となりますが、てきとー多読のためにAmazon Kindleの読み放題に入っています

(Kindleアプリを入れれば、スマホでも読めます)。

音楽もココロで聴ける時は聴いてみたり、逆に、何もしない時間も大事に感じて、ぼーとしたり、どこかで確保することは大事だと思っています

ちなみに、デキる起業家は休日から先にスケジュールを決めていくそうです。

仕事より休日を確保することを優先する、です。

それは丸一日でなくても、時間でも、とも考えられるでしょうか。

 

黒歴史だって大事な一歩なのさ

 

書いたものを月日が経ってから見直すと自分でもイタターと、プチ黒歴史のように視えてしまうものも私はあります。

そんなんでも書き続けていると「進化しているやん」と自分で感じられていたりします。

そのプロセスで、なんとも有り難いことにプラスの評価をいただくこともあったりしますが、うれしく感謝と同時に、囚われないようにしています。

他者からの評価は、その時々で移ろいやすいとも感じますので委ねるのは危ういとも、私は感じています。

発信する場所を選びながらでも、自分のココロのままに、が進化し続ける礎(いしずえ)になるのだと私は感じています。

 

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哀しみ 痛みの言葉の糸に触れて

近ければ近いほど

自分だけ特殊ではないんだ

異常なんかじゃないんだ

辛いと感じているのは

間違っていなかったんだ

ズレていなかったんだ

そう 一人でも感じてもらえたら

未熟な私が 未熟なまま 紡ぐ言葉

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