表面的と本質的

目次

○ 誰だって心地よく自分を生きたい

 

モヤなく、さっぱりと澄み切ったかのような爽快感が持続して、落ち着いている。

落ち着いているだけではなく、活力が自然と心地よく湧き出てくる感覚。

このようなときは、することなすことが好循環しやすい可能性が高く進みやすい。

ポテンシャルが発揮されていっている感覚、そのための成長が実感できて生きてきて良かったと心から感じられる状態、素晴らしく大事ですね!

逆に、モヤモヤやどこかイライラ感などがまとわり付いているときは食い違いも起きやすかったり…。

どうも空回りしやすかったり不安が拭えず、しまいには悪循環になってしまうことだってある…。

当然、どちらが良いかは言うまでもなく前者を望まれることと思います。

これらは人間関係を基盤として進むものですが、今回はよく言われる「相性」という視点から感じたことを徒然に記してみたいと思います。

 

○ 「相性」って、何なのでしょうか?

 

カウンセリング心理学の視点や占いなどの視点などからも、様々な解釈があることと思いますし、たまに私も参考にすることがあります。

そこで最近、知ったのは「相性」には「表面的」な相性と「本質的」な相性があるということですね。

表面的な相性が良ければ関係性は当初から進みやすく、価値観や考え方・物事の捉え方、コミュニケーションの波長が不思議と合いやすかったり、そのスピードも早いでしょう。

印象としても、なぜか落ち着く、話しやすい。

ずっと前から知っていたかのような初めて会った気がしないというほど進みやすい関係というのは、とても心地よく感じますね。

人間関係は第一印象を始めとして表面的な関わりから始まりますから、ここが悪いと関係性が進むことも、なかなか、難しいかもしれません。

進むことがあったとしても、お互いの深いところにまで及ぶことは少なく、お互い、それ以上は自ずと距離を置いたり避けたりなど、本質的な相性に至る前に終始される場合が多いかと思います。

ですが、表面的な相性が良くても本質的な相性が悪ければ、いずれ煮詰まりやすくなったり、残念ながら消え失せてしまうのも早いかも知れません。

それが熱々カップルでも、急激に別れの破綻に向かうことがあるということではないでしょうか。

とても哀しく辛いことだと思いますので、なぜ、そうなるのか…考えたいところです。

本質的な相性は、どこまで素直に本音で接し合えるか、さらけ出せるかにもよって視えてくるかなと思いますし、考える以上に予想もなくシンクロが続くなどからでも感じ取れてくるかもしれません。

本音で接したり、胸の内を明かすことは、とても怖いときもあります。

ぶつかり合いになったり、関係がダメになったらどうしよう、という不安も付きまとうこともあります。

ぶつかり合って、もういい!と整理したくなるときには、とても辛いものです。

 

○ 囚われは分離を招く

 

ここで思ったのは「相性」とはパッと見で分かりそうで分かり切るものではなく、例え、表面的な食い違いが多かったり辛かったりしても、本質的なところでは、とても意味がありマッチしているケースもあるということです。

この意味が人生において、とても意義の強く深いものである可能性にも目を向けてみたら、いずれ全く違う世界が視えてきて価値観が大きく広がったり、より人間らしさが育てられるかもしれません。

例えば、考え方や話が噛み合わないことが続くからといって、必ずしも「腐れ縁」とは限らないのではないかとも思えます。

もちろん、それで、よほど現実的にどうしようもないほどの支障が出ているなら、双方のためにも距離を置く交通整理、精算するなどの断捨離は必要です。

その度合、判断は、個人個人が決めることで千差万別でしょうが、何度も何度も出逢いと別ればかりを繰り返して、寂しそうなときが多い人というのは、何かしらの癖に囚われやすくなっていることもあるのではないでしょうか。

物事の表面にばかり囚われていては、どれだけ求めようとも孤立しやすくなっても不思議はありません。

よほど現実的な支障が出ているなら別ですが、そこまでではなく、ストレスが溜まることが続く、楽しくなかったりする程度では安直に切り捨ててしまっているのではないか、ということです。

そこに何の学びがあるか、自分が望んでいた・いない(我欲)に関わらず、どのような気付きの機会を与えられているかの視点も大事だと、私は思うときがあります。

もし、コミュニケーションが関係性のネックになりやすいのでしたら、そこを改善させる方法を学ぶとともに、使いこなすためのメンタルの成長という道も考えられます。

自分にはエゴもあるし、やはり楽をしたいという欲求だって常にあります。

楽しくないよりは楽しいほうが良いに決まっている、と感じます。

ですが、本当に楽しいとは表面的なことだけではないと、私は感じます。

そこに、どんな意味があるか、自分にとって双方にとって学ぶ意味が残されているのなら学びきってからでないと視えないもの、感じ取れないものがあるのではないか。

どこかで、そう感じ取れるうちは例え辛いときがあっても踏ん張り続ける姿勢も必要なのではないか、と思えるときがあります。

昨今の世間の流れですと、楽しいことを尊重する傾向は強いですし、ワザワザ合わないことはしないというのは、とても大事と私も思います。

楽しくもない、苦しいことばかり…それで頑張っても頑張るほどにうまく行かないし、苦しい。

それよりも辛いことは頑張らないで、楽しいことをしていったほうが伸びる。

「苦労は買ってでも」というのは、全てにおいて通ずることではなく、買わないほうが良い苦労だってあります。

 

○ 物事には複数の側面が伴う

 

それは良いと思いますが物事には両局面というのがあって、同時に相反するものを内在していることも少なくないでしょう。

一見、合理的に視えて実はとても非合理だったり、サバサバしているように視えて、実は単に利己的に過ぎなかったりすることもあるでしょう。

先の例えでしたら、楽しいことを尊重するけど、それは実は成長を阻害していたり、自画自賛となり視野を狭くしている場合もあります。

上記に書いたこととの矛盾ではなく、買ったほうが良い苦労も、またあるということです。

物事は、黒と白とハッキリ分けられることばかりではなく、黒白と分けられないことも多いということです。

これは「両価性」とも言われ、カタカナ言葉では「アンビバレンス」とも言われます。

ここでウィキペディアに掲載されている解説を引用します。

アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すことである。

たとえば、ある人に対して、愛情と憎悪を同時に持つこと(「愛憎こもごも」「愛憎半ば」)。あるいは尊敬と軽蔑の感情を同時に持つこと。

オイゲン・ブロイラーが「ambivalenz」と言う用語を創始したとされ、ジークムント・フロイトがそれを精神分析理論に組み入れた。

二つの感情のうち、一方が(とりわけ「望ましくない」などとされがちな面)が無意識下に抑圧され、それがその人の行動に様々な影響を与える(中略)、この状態が昂じると、葛藤状態に陥り、神経症の原因となることもある、と説明されることがある。

また、心理学の教科書などでは、アンビバレンスとスプリッティング(splitting)を対置して、「人は幼児期には往々にして両親についてスプリッティングな見方をするが、成長するにしたがってアンビバレントな見方をするようになる」といったような説明をしていることもある。

ここで言う「スプリッティング」とは、「ママが大好きだから、パパは大嫌い」というような精神状態。対象ごとにひとつの感情だけが割り振られている状態。

何かの拍子に母親のことを嫌いになると、今度は「ママは大嫌いだから、パパが大好き」といった精神状態に切り替わるような状態。

そのような精神状態が、年齢を重ね、精神が成長するとともにアンビバレントな状態になるとしているのである。

すなわち、大人になると一般的に「ママには好ましいところもあるけれど、好ましくないところもある。

パパにも、好ましいところがあるけれど、同時に好ましくないところもある」という見方をするようになる、という説明である。

 

勧善懲悪のように、何でもシンプルに善悪が割り切れることばかりでもなかったりします。

物事への考え方や捉え方、その一面ばかりに偏ると大事な気付きへの深みや、一皮もふた皮も向けるような成長の機会を逃すことになるのではないでしょうか。

そこまで踏まえて「本質的な相性」であり、そこまで行って、より「ほんもの」に近づけていくのではないかなと思える今日この頃です。

そのために大切なのは、自分自身の囚われや心の癖から、いかにして自由になるか、そこから、いかに俯瞰して物事を観ていこうとする視点を養うか、ということかと思うところです。

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