Twitterなるもの
私は今までTwitterをマメに観るということはしてきませんでしたが、今さらながらかもしれませんが、最近になって、たまにTwitterを頻繁に観るようになっています。
改めて観てみると、いやぁ~、色んなツィートがあるものですね!
当然、まだまだごく一部しか見れていないと思いますし、特別、話題のツイートに詳しくなりたいとも思っていませんが、見れば見るほど色々とあるものだな~と思います。
見すぎると、時間がどんどんと過ぎてしまう、というのも分かりますね^^;
たしかに毒っ気が多いと言えばそうですし、毒っ気が多いのは見ていて気持ち悪くなることも、たしかにありますね。
逆になるほどと思う心の声や学びになるツイート、笑えるツイート、etc …… 様々で、清濁、一概にTwitterは害になるなどとは、私は思いません。
Facebookとは、また違う味がありますが、いずれも使う人次第というのは、そうですね。
さて、毒っ気の部分で、批判や非難、攻撃や罵り合いなど、日夜繰り広げられている合戦も、非常に多くあるのは、ここで触れるまでもなく、皆さまご存知でお察しのことと思います。
中には、なかなか、凄まじいものもありますねぇ…… 人間模様が垣間見れる気がします。
あまり見過ぎると心身に良くないと感じられますので、無理してまでは見ずに程々にしています。
批判なのか、非難なのか、単なる嫌がらせ?
個人的には、批判と非難は違いますし、人格攻撃までするものではないということぐらいは当然と思います。
ただ、それらは顔が見えない、または直接対面することのない場所であれば、人の隠されたえげつなさも出やすいというのが、ありありと感じられたりもしますね。
アカウントによっては、かなりエゴイスティックな感じで言いたい放題で言っているのもあります。(そうでないアカウントも沢山あります)。
その中には、実に巧妙に、または乱暴なのもあります。
それらを見かけると、他人を傷つけたり、攻撃する言葉を吐けば、潜在意識で自分に言っているのと同じである、ということを思い出してしまいます。
これでは、Twitterはコワイと言う人がいるのも分かります。
コワイわねぇ……
観ていると、私も下手なツイートは出来ないな、と、少し身構えてしまう小心者の自分を感じてしまいます。
だって、攻撃されて粘着でもされようものなら、気持ち悪いですし、面倒くさいですからw
私は自らの性質柄、粘着されることを、とても嫌います。もう生理的にダメです。
変にまとわり付かないでね
(そりゃ、真っ直ぐな好意なら嬉しいですが、粘着は違います)。
なんで、不毛に思えるような攻撃やハラスメント、批判どころか非難、さらには粘着行為を続けたい人が多いのか、その心理にも何があるのかな、とも思います。
他者批判ならぬ、他者非難には中毒性があり、自らそれにハマりたくない、気をつけたいと共に、その心理に何があるかも知りたいと思う。
このことは「自分を生きるために、止むを得ずの批判」を否定する意味では書いていない。
— 白空(はくう) (@hakuuxyz) 2018年11月10日
↑他者批判や非難をしていると、自分のことを内省せずに済む?ような、そんな中毒性もあるかな、と感じられるような、つぶやきです。
(他にも、中毒性や粘着の要因は多種多様にあるように察しますが、学びながら、別の機会で触れられれば記してみます)。
何気に、生命(人生の時間)の使い方を大切に、自分を活きるために使いたいと思います。
『批判的思考』というものについて
まずは、批判ってなんだろう?というところから、少しだけ考えてみようかなというのが、今回の記事を書いてみようかな、というキッカケです。
改めて思うと、今まで明確に調べたり学んだりして考えたことはなかったように思いますが、今後のためには知りたいと思いました。
そうは言っても、このテーマは最適解を求めていたら、実に大変そうです。
まずは……
批判の原則ってなんだろう?
(原則なんてあるのかな?)
と思い検索してみました。
Wikipediaから
原則と銘打っていたわけではありませんが、検索上位から見ていって最初に目についたのは、Wikipediaで『批判的思考』についてのページでした。
そこでは、冒頭で以下のようにありますので引用してみます。
(以下の引用にあたり、注釈などは割愛しました)。
批判的思考 またクリティカル・シンキングとは、あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法である。
ただし、「批判」の定義については論者によって異なり、多くは単に否定的になるのではなく、自身の論理構成や内容について内省することを意味する。
(引用元: Wikipediaで『批判的思考』についてのページ )
ふむふむ、定義は論者によって異なるが、多くは単に否定的になることではなく、自分自身の論理構成や、その内容について内省することを意味する、とありますね。
その前には『適切に分析することによって』とあります。
事実を歪曲したりすることではないということと考えられます。
次に『最適解に辿り着くための思考方法』とありますね。
最適解に辿り着こうとするのは、とても大事ですね。
逆に言えば、ただ難癖を付けたいためのものは『批判』ですらないとも、私は読み取りました。
次に『概要』に進んでみます。
見てみると、もう学問の世界ですね……。
そこから抜粋して引用してみます。
批判とはあら探しではなく
理想的には思考過程を改善するための情報の提供をも意味し
批判的思考とは、複雑な判断、分析、統合、
また省察的な思考や自己モニタリングを含み、
文脈に敏感な高次元の思考技能
「証拠を評価し、選択肢を検討し、結果を査定し、
結論が意味があるかを決定すること」からなりたっている
(引用元: Wikipediaで『批判的思考』についてのページ )
なるほど、「あら探し」ではなく、「思考過程を改善するための情報の提供」をも意味するとあり、「証拠を評価し、選択肢を検討し、結果を査定し」とあります。
つまり、後者は自分本位の適当な思い込みをぶつけるのではなく、客観的な証拠、根拠が必要とも読み取れます。
まぁ、当然といえば当然ですよね。
もう一つ、抜粋して引用してみます。
「見かけに惑わされず、多面的にとらえて本質を見抜くこと」
(引用元: Wikipediaで『批判的思考』についてのページ )
見かけ、表面上に惑わされず、多面的に……、大切ですね。
今、目に見えていると思っている(思い込んでいる)ものが、全てではありません。
(ルービック・キューブ、懐かしいです^^)
続けて記されている『批判的思考のガイドライン』も、とても参考になりますし、その次にある『批判の意味』では、もう明確ですね。
『批判の意味』から抜粋して引用します。
批判という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから否定や非難と同義で用いられるケースが存在するが、
批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指し、客観的把握をベースとした正確な理解が必要である。
批判という字自体「批(事実を突き合わせる)」「判(見分け定める)」という意味合いであり、元々否定や非難という意味を持たない。
また、否定という言葉は その情報自体を拒絶するという意味合いが強く また主観的要素を含んでおり、本来の批判という言葉の意味とは隔たりがある。
(引用元: Wikipediaで『批判的思考』についてのページ )
「批判」は、「否定」や「非難」と同義で使われやすくても、元々は「否定」や「非難」という意味は「批判」は持っていない、という解説ですね。
「批判と非難はチガウ」と言われる所以が、きっちり様々、明確に書かれていますので、とっても助かりますね。
インターネットを介してWikipediaという媒体で、きっと様々な人が加筆修正して創られた内容、有り難く感じます。
読み進めていくと……
批判的思考を行うためにもっとも重要なことに好意的な理解
とあり、やっぱりそうだよなぁ、と安心しました(^^)
文末まで一通りは目を通してみましたが、とっても奥が深そうですね。
ということが、全体を通じて第一印象として感じられました。
一度に全てを理解できたわけではありませんが、なるほど、と思いブックマークしました。
参考文献などは、もう学問の世界です^^;
いずれにしましても、批判や非難ばかりして、その実、何も生み出していなかったりするより、光に向かっていくものを生み出す思考を大切にしたいものです。
他者批判・否定などより、自分がどう感じて、どう捉えて考えて、成長して上がっていくか、そのほうが大事だと、私は思うのです。
Amazonにて
Amazonで『批判的 思考』について、売れている順に検索してみました。
回し者ではないですが、その中で、現時点で一番、売れているのは以下の書籍と出ました。
[amazon asin=”4478000492″ kw=”世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく”]レビューも良い評価が多いですね。
欲しくなってきましたが、今、積ん読状態になっている本、読みたいのに読めていないのも増えてきていて……、どうしようかなぁ^^;
検索してみると、概要?は、このような流れのようです。
速読もできますし、読むのは早いほうなんですが、積ん読ばかりになるのも、どうかなぁ~と思ってしまいます。
むやみに、やり残したことを増やし続けるのは、じわじわと精神的によくありません。
今、自分にとっての優先順序で読みたい本は、他に購入してあるので、まずは、欲しいものリストに入れました^^;
言い訳しても良い訳です^^
もっと、自分にとっての必要度が高まった時に読もうと思います。
この記事は、書籍のオススメ記事を書こうと思ったわけではないのですが、綴っているうちに読んだこともない書籍の紹介になってしまいました^^;
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
(ただし、非難でなく、”批判であれば”)