平和に穏やかに暮らせているのは、とても良いのだけど、突き刺さるような痛みが、少しずつ少しずつ鈍化していくのも、それはそれで良いのだけど、時に、全身を覆う骨に刺さるような不安な事柄がやってくると、痛みの実感を思い出せるのも、それもまた良い。
私は、痛みを忘れたくない、という選択を望んでしている。その先を観たいと願い望んでいる。
月日をかけて、透明っぽくなりかけているところに、逃れられない濁点が1つ生じて、それがココロの内の波紋として広がり覆われる波や渦は、いつまでもズキズキと蝕むように痛い。
泥まみれの時は、大したことなかったように感じていた渦。きっと、本当はそれだけのこと。
人は、常に赦しと自己肯定と自由を求めるけれど、同時に、忘れてはならない陰の側面も思い出そうと、ココロが叫ぶ時がある。
それが意識的であれ、無意識的であれ、全身を覆うような痛みであれ……。
哀しみも喜びも陰も陽もワンセットで共にある、ふっと空っぽになると入ってくる内からの気づき。
かけがえのない大切な存在。
自分の生命にだって替えても良いと いつでも思えるほどの存在。
理不尽に不条理に掠め取られ 自らの存在すらも潰され兼ねない あの痛み。
痛みなんてありきたりな言葉で 到底 言い表せられるものではないけれど、もう言葉にならない。
そのスパイラルが社会から消えたわけでも 昇華されているわけでもない。
言い知れようのない不安だから、突き動かされて、突き動かないと動かなかった、のほほんとしたところをカバーしていく。
苦笑いなバランスとでも言うのか……。
陰陽を含めて嘘のないカタルシスだけが欲しいと思っているから。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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