「応援」と「期待」と「パラダイム」

フィードバックは「応援」までのマインド

 

私は仕事柄、誰かの「応援」をさせていただくことは、よくありますが、このことは「期待」とは分けて捉えています。

今回は主にこのことに関して、派生させながら色々と綴ってみます。

この「応援」のカタチは様々です。

遠く陰ながら祈るようなものもあれば、日常的なマメなやり取りや、ときには、密着型でガッツリした全力のフィードバックをさせていただくなど、あれこれあります。

この、がっつりフィードバックの場合は、その時点の私で出来るマクロとミクロの視点から、微に入り細に入るような視点に努めます。

その時点での利他のココロを込めまくることが、私の方針です。

これは私が起業して、それほど年数の経っていなかった時期から「本質追求派・密接型マーケティング・コンサルタント」としてのUSP(Unique Selling Proposition)を付けたことにも基づきます。

なんだか、ご大層なUSPだな~とは、自分でも感じますが……(^^)

このUSPは、自分自身の特性や経験を踏まえて(内観)、かつ、世間で必要とされることにピッタシはまる特徴(外観)として付けたもの(実行)です。

このスタンスで試行錯誤を続けた上、費用対効果良く、求める実績を上げてこられた集客クライアントさんも少なくなくなったのは、実に嬉しく有り難く思います。

そうして、私に対して、たくさんの反響や数珠つながりのようなご紹介までいただいてきたことは、とっても有り難い限りです。

このような実証・根拠からの肌感覚がある経緯に限らず、今でも私としては欠かせないスタンスだと認識しています。

このスタンスで、その瞬間での全身全霊で「応援」したからといって、それに応えてくれるだろうという見返りを個々に「期待」しているかと言えば、案外、そうでもありません。

その理由については色々とありますので、以下に思うままに順をおって記していきます。

 

私のフィードバック時のスタンス

 

スタンスとしては可能で必要な範囲で、その方向けに私が届けられるまでの深みも入れてみようと努めたり、合理的な範囲でかみ砕いてきますので、大抵はテキスト量としても多くなってきます。

いずれも、充分に有料にも出来るレベルまでの内容をフィードバックさせていただくように、心がけて実践を続けています。

手前味噌となりますが、初めて観ていただけた方には「感動すら覚えた」と有り難い言葉をいだたいたことも、結構あることは光栄の限りです。

だからと言いましても、その密着フィードバックをするマインドとしては、お相手に対して何かの「見返り」・「義務」を期待しているかのような思考ではなく、あくまで「応援」レベルのGIVEからのシェアに過ぎません。

では、ここで言う「GIVE」について、少しだけご紹介も含めて触れていきます。

「GIVE」などと言いますと、「絵空事のキレイゴト」と思う方もおられるかもしれませんが、そこまで薄っぺらいことを書くほど、私は時間を持て余しているわけではありません^^

 

GIVEのマインドに関連して

 

GIVEのマインドの持ち方に関しては、私は以下の書籍などを見直して復習&実践を繰り返して、すこしずつ自分に浸透させるように努めているところです。

 

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代

同書籍の著者:アダム・グラント氏は、全米トップ・ビジネススクールであるウォートン校の組織心理学者で、史上最年少の終身教授になったり、フォーチュン誌で「世界で、もっとも優秀な40歳以下の教授40人」とされた1人とあります。

同氏をご存知でなかった方でも、『影響力の武器』の著者であるロバート・チャルディーニ氏のことはご存知かもしれませんが、このロバート氏もアダム教授を絶賛されておられます。

アダム・グラント氏のTEDでのショート・プレゼン動画も面白いと思いましたので、ご紹介として以下に貼り付けいたします^^

  • 動画のトークは英語ですが、日本語の字幕が出ます。
  • TED(Technology Entertainment Design)とは…

    ノーベル賞受賞者や元アメリカ合衆国大統領、

    ビル・ゲイツ氏やスティーブ・ジョブズ氏などが登壇してきた、

    世界の叡智が講演するステージです。

 

『アダム・グラント: 「与える人」と「奪う人」? あなたはどっち?

TED Talk』

 

ここでは「与える人」を「ギバー」と名付けていますね。

「奪う人」(ティカー)は、もはや論外ですが、長年の起業家、異業種の友人たちと会話していると、そのような奪おうとする人に遭遇してしまい、嫌な思いをさせられた話が出てくることもあります。

そんな時は、どこの業界にもいるなぁ~と思ってしまいますし、どうしても、それが警戒心に繋がってしまうものです。

私もそうでしたが、与えることで損をする、与えてばかりでは成功できない、なぜ与えることで成功するのかなどについて、様々な疑問点や違和感、懸念が通常は出てくると思います。

与えることは良いことのように思えますが、では、どこまで?、いつまで?などの疑問が湧いてくるのではないでしょうか?

この13分少々のショート動画を観ただけでも、それは解消されないでしょう。

そりゃそうです。

たった13分のバンドエイドで解消されるものではありませんし、ご本人もそんな魔法の杖を思ってトークしていないでしょう。

そこで、様々な実地検分や統計などのエビデンスに基づいて書かれた同書籍では、その秘訣が明確に記されている名著と言えます。

裏付けを踏まえた上で、本当に明確に示されています。

ご関心のおありの方は、ぜひ紐解いて、ゆったりとした姿勢で、折に触れて複数回は読み込んでいただればと思える書籍です。

私は一度、読んだだけでは足りないな、と感じました。

この中にあることを、しっかり読み込んだ上で、かつ咀嚼して吸収していくプロセスに時間を使う価値はあると、私は捉えています。

ここでインターネット上に出回っている、書籍の要約でショートカットをすると、それは他人の視点からの省略が入っていますので、自ずと狭義の解釈になりますね。

同書籍の内容は、一連の繋がりやストーリーからのものが意味の深みをなしていますので、効率的に把握しようとすると、かえって非効率になって誤解をしてしまうタイプの書籍と言えるかもしれません。

そして、そこから得た共通認識が多かれ少なかれないと、この拙記事に書いたこと、その表面は読めたとしても、本質は腑に落としにくいかもしれません。

どのようなことでも表面だけを観て、本質を腑に落とせなければ「理解」は出来ないと言われることを、私は大事にしたいと思います。

 

「応援」までなら「見返り」は求めずに済んで楽

 

私からの応援のフィードバックに含まれる言葉づかいにも、随所に距離感のあるものに自ずとなっています。

それは品性を気取りたいというよりも、意味があって距離感が感じられるように表しています。

みっちりしたフィードバックを受けて「義務」のようなものが生じる立場なのは、弊社とマンツーマンの有料契約をした集客クライアントさんでしょう。

プロジェクト進行のためのヒアリングワークに応えてもらうなど、それをしていただかなければ、マンツーマン案件が進まないような場合です。

ですが、このことは契約前から例外なく、複数回はお伝えしている前提事項であり、それを脳ミソに汗をダクダクとかき続けながら、こなしていった方は欲しかったものが得られています。

その方たちは間違っても、砂上の楼閣のような棚からぼた餅を期待して契約されているわけではなく、長期的に通じる仕組みを望まれているので、そのことに対応しています。

あまりない事例ですが、そのための課題すらも進まなければペンディングするという選択肢もあるわけで、最終的には、ご本人次第なのは変わりません。

なお、上記以外(集客クライアントさま以外)の関係性におけるフィードバックにおいては、それに対して、どうするかはご本人判断で、こちらとしては応援までのものです。

有料契約でない分、甘さが観られる割合も否ませんが、嫌だったり無理ならしなければ済むことです。

何を差し置いても応えないといけないみたいな、苦しい義務による縛りはお互いにありません。

お客さまへの応対や、全体に支障が及ぼしたり報酬が伴うこと自体には、直接的な責任は伴うものでしょう。

しかし、それ以外のフィードバックに関することに対して、何の義務が生じると感じられるのか、私には不思議にすら感じられます。

ちなみに自己肯定感のしっかりしている人は、受け取り上手とも言われることを思い出しました。

図々しくもないし、過剰に恐縮したりもしない、適度な受け取り上手という意味です。

有料契約した集客クライアントさま以外へのフィードバック自体において、私も「見返り」を求めないから「楽」に続けられますが、誤解を受けないためにも下記に続きます。

  • このようなフィードバック自体で、私は料金設定はしておりません。
  • このこと有料クライアントさまにおいても、当社では無料サービスの範囲内としています。
  • これはコンサルティングに含まれますので、同業他社でも無料とは限りません。
  • 私自身も、内容的に有料サポートレベルではあると自覚しています。
  • 以下では、有料契約のクライアントさま以外への、私からのフィードバック時におけるスタンスに関して記していきます。

 

本人に「見返り」を求めずに済む理由

 

私は聖人君子ではありませんし、なれるとも思っていませんので、後述するような、自分の実力アップのためというモチベーションが、私には一番にあります。

そして、それはその時点で、誰かに向けて~というのが強く明確にあると、もっとも発揮しやすいモチベーションになります。

その機会を与えていただけることに感謝の気持ちですし、その時点では利他の気持ちに集中し切ります。

人は自分のためだけには頑張りきれないし、他人のためだけにも頑張りきれない、とも言います。

これは私も、両方とも感じます。

そうして自分としては、その時点までのことはやり切ったと一区切りできれば、それでスグに別のことを考え始める思考の習慣になっています。

なぜなら、もっと遠くに求める強いビジョンに生きているからであり、今は道半ばでしかないと感じているためです。

なんだかカッコいいことを述べましたが、これは演出などではなく、本当にそうなのです^^

それは執着心や、何でしょうか、その類のものに囚われて行ける場所では到底ありません。

 

もう一つは、私が認定講師として所属しているところから知った、「私があなたを助ければ、誰かが私を助けてくれる」という思想文化もあります。

このことについては、シェアのスパイラルフローという概念がありますが、詳しくはこちらのページでもご覧いただけます。

(同スクールに入りたい方は、ビジネスモデル・デザイナー(R)・1級講座以上を受けた方ですと有料で上記スクールに入会できますので、村田までお問い合わせいただければと思います)。

ただ、シェアのスパイラルフロー、これだけでは、誰でも彼でも構わずに「GIVE&GIVE&GIVE」となってしまうかも知れません。

そこで、前述でご紹介した書籍:GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)がオススメと言える理由があります。

これは「思想文化」のレベルではなく、研究により実証された裏付けのある内容です。

ここで詳しく説明すると長くなりますし、著作権にも触れてしまいそうに思えますので、詳細を知りたい方は、上記書籍から知っていただくことが出来ます。

ここでは、以下を引用転記いたします。

マルクス・アウレリュウス(第16代ローマ皇帝)

○ ある人びとは、誰かによくしてやるとお返しをしてもらおうと、常に期待している。

○ また、ある人びとはそうではないが、よくしてやったことを意識していて、 相手は自分に返すべき恩義があると思ってる。

○ しかし、第三の人びとは、そんなことなど考えもしない。

彼らはブドウの木のようなもので、何の見返りも期待せずにブドウの実をつける。

(中略)だから、誰かを助けてやったら、

(中略)後は、もうほかのことにとりかかるのだ。

(中略)私たちはそのような人間でなくてはならない。

 

同書籍で記されていることで、即物的に目先の利益ばかりを求めるのではなく、細い糸のような弱い繋がりを、たくさんたくさん持つという視点があります。

その結果、楽になるという、集客マーケッターの私には実にマッチしやすい視点でもあります。

(集客マーケティングでは、反応率や成約率などの確率で観ていきます)。

目先ばかり求めていると、いつまでも目先ばかりになってしまうのは、もはや自明の理です。

集客施策で「今スグ客」ばかり求めていると、スグに枯渇するようなものです。

たくさん持った細い糸、そのほんの数パーセントからでもTAKEされるような、複数の対象へGIVEを続けていた効果が得られるというのは、日本人としてのマーケティング視点とも合致しています。

同書籍では、与える人を「ギバー」と名付けていますが、ギバーは損しやすいように観えて、もっともトップレベルの実績を挙げられるのも「ギバー」です。

実は損をしやすいギバーと、得られやすくなるギバーの2種類があり、それぞれのケースが述べられていたり分析されています。

後者の「ギバー」になるための注意点やルールや範囲も、同書では明確に示されています。

このチガイは生まれ持った才能ではなく、戦略や選択による意識的なものです。

GIVE&TAKEを最優先する「マッチャー」でもなければ、奪うばかりの「ティカー」になると、実は損をしやすいのは何故なのか…についても書かれています。

私のささやかな経験則から観ても、奪うばかりの人(ティカー)は最初は勢いはスゴいですけど、後々になって分かる長期スパンで観ていくと、実に落ちていっているんですよね…。

 

場に沿ったパラダイムを…

 

私には上司もいなければ、部下もおりません。

法人にはしていますものの、一人親方の稼業と言えます。

私が創設して、有り難くも多くの方々に共感・賛同していただき、リーダーシップを取らせていただいているチームはあります。

そこでも主従の上下関係のようなものではない、「対等性」のあるチームです。

仮にチームメンバーの方のお一人が、旧来の慣習的なココロの癖から…先入観で上下関係、主従のように誤解したとしても…です。

他の場での慣習をいつまでも当てはめようとして、「どうしても、上下関係に思ってしまう」と、どこかからの固定観念を見直すことなく言われるとしたら、私自身が違和感を感じてしまいます。

…そう言われたとして、一体、私は何と返せばよいのでしょうか?

なぜ、チガウ場に来て複数回の説明も受けていながら…関係のない他の場での慣習を持ち出せるのか、そのメリットや意義がどこにあるのか、不思議に感じます。

本音を述べてくれるのは良いのですが、このケースでは、理解しようとするより、理解されることを望んでいると予想されます。

そもそもチガウ場での癖が抜けないことを主張されたとしても、受け止めはしますものの、それは子どもではない以上、ご本人の課題ではないかな…と考えられてしまいます。

どのように言われようとチガウものはチガウというだけであり、それ以上は私には、どうしたら良いか分かり兼ねるところです。

そこまでフォローしないとならないのか?についても疑問に感じることであり、合理性は見い出せないと思われます。

場が違えば、その場に沿った捉え方(パラダイム)で考えて観てこうとしないことには、下手したら、チームは別物になり兼ねないかもしれません。

もし、別物になってしまったら、当初に目指していたものからは離れていくことになってしまいますので、下手な迎合は出来ません。

そして別物にしているのは、個人のパラダイムに囚われる人の脳内に起こることであり、「きっと皆、そう思っている」は思い込みに過ぎず、事実と意見はチガウのです。

なぜなら、確認を取ってきているから、その度合いは明白と言えるわけです。

そうして先入観などのバイアスを見直さない方の場合は、私のところだけでなく、他の新しい対等性のあるチームでも、どうも続かないようでジプシーのようになっている人も、現実に見かけたりします。

もし、上司部下の関係、または親子のような関係でしたら、目上の立場にある人間は「育てる責任」というのがあるでしょう。

ですが、対等性のあるフリーランスのような集まりでしたら、そのような上下の関係性でもなければ、そのような責務もありません。

ここでは、アライアンス(提携)チームとも言えるものとして述べており、そのアライアンスは目的があってなされているものです。

そのための応援にしても、それはあくまで付加サービスのご支援に過ぎず、有料サポート契約をしていなければ責務などではありません。

それなのにチガウ場の概念や慣習を持ち出して、もし、サポートするのが当然かのように来られたら、在り方レベルでのミスマッチとなり成り立たなくなってくるわけです。

ここで冷たい云々ということではなく、場が違えば、場の在り方もチガウということです。

「○」は「○」であって、「□」ではないというだけですので、「○」は「○」と認識していただくしかないでしょう。

もし、このことが冷たいと感じられるのでしたら、何かのカン違いが残っているか、もしくは、どこかに依存があるということではないでしょうか。

例えば、可能なかぎり提示していたとしても、それを理解しようとする行動の少ない方に合わせ続けることは、物理的に考えても立ち行かなくなることは目に見えています。

つまり、もし万が一、そのようなことを求められたとしても、過度にお応えする義務もなければ労力的にも不可能となります。

前述で触れた「ギバー」とは「ティカー」を許し続けることでもなく、自己犠牲をすることでもありません。

 

全体のハシゴを登るも登らないも

 

私もリーダー的な位置にいる場所では、全体の方針や方向性を示していっております。

これらは現実の社会背景からの問題や課題を踏まえた上で、提供するサービスに関連する原理原則などのセオリーから、ビジョンやミッションをイメージして創られていきます。

方針や方向性、そこからのスタンスによる応対の仕方などはエゴによって創られたものでもなく、ブレないものとして位置づけて設定します。

私が関わっているチームでは、リーダーもメンバーも同じ位置(同列)ではないにしても「対等」です。

それらを提示したとしても、命令ではなくチームとしての共通認識としてあるもので、このハシゴを示すのはリーダーとして当然の役割と認識しています。

つまり、主従で言われるような義務的なものではないため、私は一度も命令的な指示をしたことはなく、すべてがお願いとしての言葉・姿勢・文脈で伝えております。

「お願い」ですので応えようと応えまいと、ご本人次第です。

もし、全体の方針や方向性に賛同や、それに伴う実行が難しければチームは成り立たなくなりますので、お互いにパートナーシップの継続の可否を選択する権利はあるという前提です。

つまり、ここにおいても、お互いに変な「期待」で縛り付けることはなく「選択の自由」があります。

 

「期待」は「諸刃の剣」だから

 

「期待されているから応えないと」などの気持ちに対しては、真摯さを感じて有り難くも思います。

ですが、それが過度の負担に感じられないようにはしたいものです。

書き手の手元を離れてからは、どうしても受け取る側のニュアンスに左右されます。

それは書き手であっても、コントロールしようのない範囲が多く伴うものです。

私が駆け出しのライターだった頃、「受け取る側のニュアンスは、受け手の自己責任」とも教わりましたが、まさしく、そうだなぁ…と感じる時があります。

(前提として、しっかり書ききった場合に限ることです)。

真っ直ぐ読んで主訴をそのままに捉えるのも、深読みが歪んで主訴からズレて捉えるのも、どちらであっても、ご本人のパラダイム次第であり裁量によるものと言えるでしょう。

ときに極端なケースでは、とんでもない斜め上から、まるで別物のように観てくれる人がいるのも、そういうこともあるんだ…と、世間の七不思議のような参考にはなります。

また、心理学などを学んでいくうちに、その不思議が少しずつ解明できていくような時もあります。

そのような時は、まさしく事例ケースに巻き込まれた実感を持って観えてきますので、アタマで思っている以上に肌感覚でリアルな学びになります。

話を戻しますが、書く際には細心の注意を払ったとしても、読み手によって言葉が独り歩きしていくことは、多かれ少なかれでも、よくあることです。

それは書いている内容から始まったとしても、(書き手の元を離れて)読み手の世界観によるものに変化するからです。

私は前述のような集客クライアントさんとしての関係性や、または何かしらのプロジェクト全体に支障が及ぼされるようなことでもなければ…

フィードバックさせていただいても、それに「応えないとならない」と思っていませんし、そのようにも書いていません。

「期待する」というのは、そのことにより成長を促せるというピグマリオン効果もあるでしょうが、同時に、その人にプレッシャーを与えたり、送る側・受け取る側の人によっては束縛ともなり兼ねません。

同時に、もし「期待に応えてくれなかった」などと捉えてしまった場合、イラつきや失望感などを招きかねず、そのようなフラストレーションは、私の好むところではありません。

好むことでないのは、わざわざしないわけです。

それを他者にも与えてしまわないように気を付けたいと思っていますが、受け手のニュアンスまでは私の範囲外です。

私に限らず、フローなゴキゲンでパフォーマンスが発揮しやすい状態でいたい、というのは、多くの方が望まれていることと思います。

「期待」とは、ピグマリオン効果のように良い意味の範疇で済んでいれば良いのでしょうが、ときに「共依存」を生み出しかねない諸刃の剣とも言えるものではないでしょうか?

その視点から「期待」より「応援」までが大事と、世間で言われることが増えてきたように思います。

「期待」より、「応援」

 

究極的には自分のため

 

私は、どれだけ密度の濃いフィードバックをしようとも、それは自らの表現力の1つとしてフィードバック力を上げたいという「自分に期待」して行なっています。

他力を活用できる視点も大切ですが、それに依存するような心理ではありませんし、それは、もしかしたら儚いものに期待するような「星に願いを」心理かもしれないと思う傾向もあります。

人によっては、この視点はなかなか真っ直ぐに受け取られにくいこともあるようですが、「応援」しているからといって、=それで「期待」して縛り付けようとしている、わけではないという意味です。

「期待」ではなく「応援」までだから、仮に思うように行かなくてもイラつくことも失望もなく、私はフラットな状態を保てます。

フィードバックした時点で、私の手元を離れて、私の思考は切り替わります。

私は自分自身がフラットな状態を保てていることが大事で、このことはクリエイターとしての生産性にも関わることです。

そのため、誰かの動向に振り回されることの一切は、本当に避けたいことです。

 

だからといって、「期待はしない」と言葉で述べてしまうと「軽く観ている」などの誤解を受けそうです(汗)

このことは「無視」や「見放し」のような冷酷な視点でもなく、「ただ応援するまで」、それ以上でもそれ以下でもないだけのことです。

期待されていないから上がらないという心理効果を「ゴーレム効果」というそうですが、もし「期待して欲しい」のならば、ただ、自発的な行動で示せば良いと私なら考えます。

恋人のようなプライベートな関係なら別ですし、行動で示せば良いなんてことは、そりゃ冷たいと私も思います。

ですが、フリーランス的な繋がりまでの関係でしたら、行動という見える化(客観視)できる基準で判断します。

それでないと基準が曖昧となってしまい、印象や思い込み、仲の良し悪しなどの主観に左右されてしまうことも、もしかしたら発生するかもしれないからです。

コミットなどの言葉も一概にウソとは決めつけませんが、行動、その中身が一番の本当なのではないでしょうか。

こう述べたからと言って、それが義務と述べているわけではありません。

 

私は自分ができる行動を、私のために続けていき、もし、それが些少でも誰かのためにもなるのであれば、御の字と思っているまでです。

密度の濃いフィードバックをさせていただくのも、その1つです。

 

「期待される」ことを望むよりも

 

親でも上司でもない関係性において私が望むのは、自ら自発的に上がっていこうとする方とのパートナーシップからの相乗効果です。

もっと言えば、他者承認に左右されない自己肯定感の根強い自立心を持たれている方と、自立した人間同士だからこその可能性、なし得る共創を望むものです。

そうして自発的に上がっていこうとする際に、もし、何かを求めていただけるのなら、とても有り難く全力で「応援」サポートまでをさせていただきます。

たまに、密度の濃いフィードバックを観て、「過度に期待されている」とカン違いされる方がおられるようですが、それは錯誤の認識と言えるでしょう。

なぜならフィードバックを書いた私自身、「過度な期待」などの妄想で思考を浪費する無駄遣いはできなくて、ただ、自らのベストを尽くすのに全力を出すだけですから…。

フィードバックにおける案件との関わりにおいて、応えようとするかどうかなどは、いずれの場合でも、ご本人の意識に基づいた裁量と考えられます。

それは、ご本人の自己責任の範疇のことと思いますが、全体に支障が及ぼされるようなことでもなければ、わざわざ、そこまで干渉するお節介をする意向は私にはないのです。

ただ、そのレスポンスの度合いやクオリティが記憶に残ることは、その良し悪しに関わらず、(それも自己責任と言えますが)仕方ないことと思います。

もし、この記事がキツイと思われるのでしたら、それは、どこかに甘えがあるからかもしれません。

逆に、自立性を尊重することで爽やかと思っていただける方だと、さっぱり感がありますね(*^^*)

自社のミッションにも含めていますが、エンパワーメントな方との対等なアライアンスな関わりは楽しいと感じます。

 

長文になりましたが、最後までご通読いただき、誠にありがとうございます(*^^*)

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  1. 近づいて欲しくないような人まで寄ってくる

  2. インディペンデントで

  3. かさつき

「言葉の糸」

誰かの 少しずつ紡ぐような
哀しみ 痛みの言葉の糸に触れて

近ければ近いほど

自分だけ特殊ではないんだ

異常なんかじゃないんだ

辛いと感じているのは

間違っていなかったんだ

ズレていなかったんだ

そう 一人でも感じてもらえたら

未熟な私が 未熟なまま 紡ぐ言葉

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